2013年1月7日(月) さて、今日が弊社の仕事始めとなる。と云うことは「弁当始め」でもある。昨夜も深夜まで眠れず、今朝は目覚ましの音で目覚めるも二度寝をしてしまった。年末始の習慣が抜けないのであった。
年末始は郷里で老母と過ごし、妹夫妻や甥姪、従姉たちも顔を出してくれたので賑やかな日々であった。正月三日には、旧土佐藩時代の旧道で参勤交代の道としても使われた「野根山街道」を従前のメンバー8人と歩くことになった。
朝から寒い風が吹く中を、日差しを遮る木立の山道、と云うよりは杣道と言うべき処を歩いた。が、寒さと同行の従姉妹の歩みの悪さで、5人は途中で断念。オムスビを食して下山となった。それにしても寒い、寒いのである。標高の高さと、冷たい風。日差しの届かぬ山道をポケットに手を入れたままとぼとぼと歩んだ・・・。それでも、登り下りで4時間ほどの行程であった。
帰宅予定時間よりも1時間以上遅れて帰宅。風呂で体を温めた後は、皆で「軍鶏鍋」をつつきながら飲んだビールの味は格別であった。今回は畑仕事もできず、相続関係の手続きと母の相手をするのが目的。体の動かない代わりに口だけは達者な母に閉口しながらも年末始休暇を堪能した次第。
そして今朝、すっかり遅くなったが弁当を作る。予定では「鶏肉のトマトソース煮」と「海老フライ」、「小松菜のお浸し」と「卵焼き」、これに蒲鉾を添える予定だった。が、時間に押されて海老フライは断念、挙句に長女にはご飯が炊きあがらず「今朝は弁当間に合わず、ゴメン」となった。
従って、今日のお弁当は家人とK君の二人分となった。初弁当からこれでは、先が思いやられるな~・・・。
私用のスムージーは、バナナ・小松菜・イチゴとアボガドであった。が、このアボガドが難あり。前日、駅前の東急ストアで家人と一緒に買い物、その折に袋入りで安いこのアボガドが目に付き、家人の制止を無視して籠に入れた。値段の安さから味への期待はないが、それでも立派なスーパーが置いている品だとの信頼は有る。処が今朝開けてみてビックラ!一つは完全にスカスカで中はまっ茶色、紺畜生と生塵袋に放り込んだ。そして次の一つを使ったのだが、これも酷い代物であった。後の品も押して知るべしであろう・・・親の意見と家人の言うことは、千に一つの無駄がない。か、聞かなくてはいけないと反省であった。
そんな訳で、折角美味しいイチゴが加わりながら今朝のスムージーは失敗・美味しくない・不味い・最低・最悪の出来となったのであった。
昨日の日曜日、午後には会社に出るつもりであった。が、西武線の富士見台駅に近い老人ホームに伯父が入所したことが判明。大凡5年ぶりとなる伯父をホームに見舞った。ちょび髭の私を見て、最初は分からなかったようだった。暫くして理解したがボケも進み耳も遠くなっていた。来月には93歳となるそうだから致しかたなし。
父や母は元気かと訊ねる、父の死を伝え、ひとしきり懐かしい思い出話が出た。帰り際に、次に訪れる際の土産の要望を聞いた。私の耳もとに口を寄せ「缶ビール」と囁いた。それまでの耳の聞こえない人とは思えない小さな声で、少し照れたような云い方が可笑しかったが・・・ビールを持ち込んでいいものか?ダメだろうな。それでも一番小さな缶をこっそりと差し入れるかな・・・未だ悩んでいる。お酒の好きだった伯父だから、それぐらいは大目にみてやりたいのだが・・・。
西武線の池袋駅が帰路となる。池袋と云えばK大兄の住いからも遠くない。新年の挨拶がてら、時間が有るようならお会いしたいと連絡すると、快く池袋で会えることとなった。会社に出ることを断念した。
西口駅前の居酒屋に入る。この店は、以前にHiroさんと入ったことがある。その時も昼間で、朝から飲んでいる常連が居た。その同じ常連が大きな声を上げて賑やか、昼間ながらカウンターだけの一階はほぼ満席状況であった。
この店、漫画の「深夜食堂」を二回りみまわり大きくしたような店構。メニューも同じように何でも有なのだ。数年来こんな店が私はお気に入りとなった。立派に老人になったと云うことだろう・・・。
奇遇にもHiroさんと座った同じ席に陣取り、ビールとハイボールをやりながら新年の挨拶や、年末始のことなどについて話す。心温まるひと時を過ごしたのであった。
別れ際、丁重にも立派なイチゴを頂戴した。その美味しいイチゴの一つが、今朝のスムージーに入ったのであった。