オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

連日連夜・・・

2022-07-09 | 弁当

7/9(土)今週は、月曜日から今日まで夜の部がつづいた。昨夜は流石に草臥れたのか、二次会を軽めにして十時過ぎに帰宅した。尤も、金曜日で人形町の酒場は何処も満席状況だったこともある。

月曜日は立川駅前、火曜日と木曜日は渋谷「奈加野」、水曜日は横浜・馬車道と、店と相手は変わりながらも帰郷を前にして数年ぶりの友人知人との歓談、毎度お馴染みの友人達との酒場談義。

こんな日々であったが、水曜日は思い立って午後から鎌倉へ。鎌倉は十年ぶりくらいになろうか。北鎌倉駅から紫陽花で有名な「明月院」を目指したら、なんと紫陽花の剪定でこの日から三日間閉門になっていた。

学生時代から北鎌倉から鎌倉駅への道は何度も通った。紫陽花のシーズンは終わるころだが、久々に散歩を兼ねて訪ねたのだが・・・。シーズンの終わりと平日もあり、北鎌倉は下校の小学生の声が僅かに聞こえるだけ。静寂の中に昔のままの佇まい。

明月院の紫陽花は目にしなくとも、途中の山際に紫も鮮やかな数株があり愉しむことができた。

            

然し、明月院から鎌倉・小町通に向かう亀ヶ谷切通を下りてからは暑くなった。日差しは弱いが蒸し暑い。汗を拭いながら歩くことになった。

              

小町通りは平日にもかかわらず観光客で賑わっていた。何軒かの店を覗いてから、駅に近く客の姿が少ない店(回転すし)を選び、生ビールで渇きを癒し、汗に濡れた体を冷やして久々の散歩疲れをとった。

              

この日の夕、関内駅でKISHIMOTO大兄と合流して一献交わし、その後馬車道「メグスタ」に顔を出すことにしていた。鎌倉から関内駅に向かう乗り換えを大船駅で乗り換え、根岸線を選択したのが大間違い。約束時間に十五分も遅れると云う失態を演じたのである。

大兄と会ってから馬車道の居酒屋・中華店で歓談後、一人「メグスタ」へ。

 

ー間もなく一周忌ー

店に客の姿は一人だけだったが、葉子さんの店「禅」からの顔見知り、サッチャンがピアノの演奏で歌っていた。思い起こせば一年前の7月8日の夕。ここで葉子さんと、店主のダーナの唄を聴いたのだ・・・。

この時、葉子さんと「九月とになったら帰京するのでまた会いましょう」と別れたのが永別となった。私は翌週に帰郷。この月の下旬に秋田に戻ると言っていた橋本葉子さんは、一週間後にコロナに罹患し、八月二十四日に永眠した。と、涙ながらの声でダーナから連絡を貰った時は田舎にいた。

ダーナは今月下旬、「禅」の元スタッフ数人を誘って葉子さんと、ご主人の東郷好彦さんが眠る弘前の寺に詣でるとのことだ。ダーナは、葉子さんを姉同然に大事にし、敬い、偲びつづけている。

ハイボールを片手にダーナと二人して、葉子さん・東郷さんを、そして良き時代であった三十五年以上も前に六本木警察裏手にあった「禅」のことを懐かしんだ。今や貫禄たっぷりだが、この時代、ダーナはまだ駆け出しだった。光陰矢の如し、実感するばかりだ。

 

昨夕は人形町で歯科治療の後、馴染の面々と「高松」で歓談。その後、二次会の店を探して彷徨った。これじゃコロナ患者も増えようと云うほど、どの店も繁盛ぶりであった。NUMATA氏の案内で漸く潜り込んだ店も立て込んでいた。

余談ながら、PCR検査を前日受けた。その結果が夕刻に届き「陰性」とあった。地元駅前では日々無料検査を行っている。なんの問題もないとは思いつつ、帰省前でもあり念のために受けた。そしたら500円分使える商品券を渡された。「バカヤロー、税金の無駄使いをしやがって!」と、胸内で呟いた。それなのに、隣のパン屋で早速その券を使った・・・。

 

火曜日から金曜日までの弁当を掲載するが、何時もながら代り映えなし。変わらぬ物にこそを、真理あり?か。

          

          

           

 

今夕は、JIN先生宅にお呼ばれされている。先生、心づくしの美しくて美味しいお料理がいつも供されるが、私はあまり食さないので申し訳ない。今夕は、顔見知りが2~3人同席されるとのことだ。賑やかになるであろう・・・。

諸々、感謝しつつ東京での残り少ない日々を過ごしている。

 

 

 

 

 

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