オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

走行3000キロ(2)

2014-04-07 | Weblog

3月28日午後1時、佐田岬小学校を後にして高知へと向かう。東京を発つ前の計画では、宇和島から豊後水道沿いに小さな港町、入り江の景観を楽しみながら高知市内へと向かう、向いたかった。然し、佐田岬を発ったのは予定より二時間も遅れてからであった。

                        

高速道路の降り口が分からず時間のロスをし、八幡浜の海に面した道の駅で遅い朝食を摂り、そこのご飯の酷さにウンザリしたり、岬の突端でお婆さんの蜜柑売りに捕まったりと、道草も多かった。夕方五時半から六時には「はりまや橋」でF氏と落ち合う約束である。景観は諦めて、高速道路を高知まで進むルートにした。

                      

                                 お値段は900円、飯が・・・・   

元来た高速を戻り、松山から川之江へ。そこから高知道へとまっしぐら。高知市内の宿に着いたのは、想定したよりかなり早やく四時半であった。丁度F氏から電話入った「遅れて、いま空港から市内に向かっている処」とのこと。待ち合わせ時間を少し遅らした。これでシャワーを浴び前夜からの旅垢を落とし、髭剃りをする時間が出来た。

この夜は高知市内で一献。それも、F氏、T氏の卒業とU老の引退祝いをやることになっていた。サッパリとした気分で飲みたいじゃないか・・・。六時半、車組のT・Uとともにホテルからすぐの赤い欄干「はりまや橋」に向かった。この橋は、来て観て誰もがガッカリすることで知られている。水の流れがない処に掛かっている観光用の橋なのだ。

                         

                           観光用「はりまや橋」

「がっかりだね・・・」三者三様の感想を述べて、酒場へと向かう。今夜の店は「おまんらあ、なめたらいかんぜよ」のセリフで知られる宮尾登美子氏の本のモデルとなった「得月楼」を予約したかったのだが・・・。残念ながら、座敷が取れなかった。致し方なし、東京にも姉妹店がわんさか在る「司」と云う店になった。

まあ~、こっちの財布の怪我は軽くて済んだ。が、三人前用と云う皿鉢料理、鰹の刺身などを注文した。処が、なんと何とTもUも柚子の香りが苦手ときた。高知となれば柚子、これは県民の象徴的な調味料なのだ。徳島のスダチ、大分のカボス、薩摩の芋焼酎、山形の芋煮、秋田のハタハタ、北海道の鮭・・・と同じ位置づけなのだ。これが苦手とは・・・、味のわからん輩どもだぜ!

                        

                      皿鉢料理(中皿・刺身、貝・エビ・巻きずetc、)     

拙いことに、翌日の夜は拙宅にて泊まる。高知の定番、おもてなし料理である「皿鉢」を当然の如くに注文してあった。

まあ、そんなこともあったが、一次会を終えて、二次会は唯一私が知っている酒場「沙希」へ向かう。途中、折角なのでFもTも知っている、高知勤務のOKADA君に電話を入れた。送別会を終えて、帰宅途中との処を呼び出した。

U老は、くたびれ果てて先にホテルに戻ってしまったが、OKADAが加わったので依然メンバーは四人。二年ぶりに訪れた「沙希」は、店の場所が変わっていた。テーブル席に腰を下ろし、ハイボールを二杯も飲んだ頃合いで店は満席となった。JAの総会があって、その流れの様子。偶にしか来ない客が邪魔をしちゃいかんと、早々に席を立った。

Tが、カラオケに行こうと云う。地元のOKADA君に案内をさせてカラオケBOXに入った。言いだしっぺのTが「歌は一番だけ」とかのルールを持ち出した。我先に曲を入れて順番待ちするが、一番だけでお仕舞なので早い早い・・・。中々いいルールであった。

                 

                     O&T             熱唱の O君             F&A

明日は、高知城から桂浜・・・、と云うことで、この夜はお開きとなった。カラオケ代、OKADAに払わせtたようだな・・・・、気の毒に。

 

 

 

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晴れ後雨

2014-04-07 | Weblog

4/7(月) 昨日の日曜日、11時に京浜急行線立会川駅に集合してお花見会の予定であった。メンバーは、末娘が中・高と通っていた学園のバレーボール部の親の有志達。毎年この時期に、立会川在住の親が発起人となって飲み会が開かれている。

駅から歩いて行ける公園で、花見の宴をやることとなっていた。処が天気の様子が思わしくない、昼過ぎには雷雨・強風の予報であった。そんなことから呼び掛け人のKONNOさんから「予定を変更して自宅でやります」と、出しなにメールが入った。上々の天気であったが、一応折り畳み傘を持った。他には、朝に煮た新筍と土佐鶴・大吟醸であった。

学芸大学駅に向いながら、空を見上げると抜けるような青空が広がり、彼方に唐ヶ崎の鉄塔が聳えている。この朝の時間、悪天候になるような気配はなかった。

                          

昼前、KONNOさん宅に着くと既に始まっていた。先日に長女が結婚したYAMAちゃんは、披露宴の写真を持参していた。末っ子たちのバレーボール同級生では一番手であった。娘を嫁に出したオヤジの心境などを肴に、私も飲み始めた。今回は集まったメンバーが少なく例年の半数、静かな宴会であった。

                          

 2時近くとなったので先にお暇をしたが、駅に向かう途中から雨粒が落ちてきた。夕方から、家人の誕生祝をやるとのことなので遅れないように・・・。五時から学大の鉄板焼き店に長女夫妻、下旬に式と披露宴を行う次女夫妻と家族が勢揃いした。普段は喰へない上質の肉やホタテ、飲み物は何時ものハイボール。

                      

昼間から呑んでいるので、結構に酔いが廻ってきた。しかし、今夜は未だつづきがあった。学大の居酒屋で、地元・鷹番JVCのOGのオヤジ方が何人か集まり一杯やっているのだ。家族との会を終えて、オヤジさん達の飲み会に向かった・・・。

久しぶりに会うKANEさんは、退職後に軽トラックで運送業を始めていた。昨秋に胃を半分切ったKIMURAさんは、顔色もよく元気であった。呼び掛け人で大阪に単身赴任中のNAKAYAさん、すぐ近所のTODAさんにYAMADAさんが顔を揃えていた。

この日は長時間に渡る酒席で、すっかり疲れてしまったか。何時の間にや居眠りをする始末であった。嗚呼・・・酒のない国に行きたい!

 

 

 

 

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