3月28日午後1時、佐田岬小学校を後にして高知へと向かう。東京を発つ前の計画では、宇和島から豊後水道沿いに小さな港町、入り江の景観を楽しみながら高知市内へと向かう、向いたかった。然し、佐田岬を発ったのは予定より二時間も遅れてからであった。
高速道路の降り口が分からず時間のロスをし、八幡浜の海に面した道の駅で遅い朝食を摂り、そこのご飯の酷さにウンザリしたり、岬の突端でお婆さんの蜜柑売りに捕まったりと、道草も多かった。夕方五時半から六時には「はりまや橋」でF氏と落ち合う約束である。景観は諦めて、高速道路を高知まで進むルートにした。
お値段は900円、飯が・・・・
元来た高速を戻り、松山から川之江へ。そこから高知道へとまっしぐら。高知市内の宿に着いたのは、想定したよりかなり早やく四時半であった。丁度F氏から電話入った「遅れて、いま空港から市内に向かっている処」とのこと。待ち合わせ時間を少し遅らした。これでシャワーを浴び前夜からの旅垢を落とし、髭剃りをする時間が出来た。
この夜は高知市内で一献。それも、F氏、T氏の卒業とU老の引退祝いをやることになっていた。サッパリとした気分で飲みたいじゃないか・・・。六時半、車組のT・Uとともにホテルからすぐの赤い欄干「はりまや橋」に向かった。この橋は、来て観て誰もがガッカリすることで知られている。水の流れがない処に掛かっている観光用の橋なのだ。
観光用「はりまや橋」
「がっかりだね・・・」三者三様の感想を述べて、酒場へと向かう。今夜の店は「おまんらあ、なめたらいかんぜよ」のセリフで知られる宮尾登美子氏の本のモデルとなった「得月楼」を予約したかったのだが・・・。残念ながら、座敷が取れなかった。致し方なし、東京にも姉妹店がわんさか在る「司」と云う店になった。
まあ~、こっちの財布の怪我は軽くて済んだ。が、三人前用と云う皿鉢料理、鰹の刺身などを注文した。処が、なんと何とTもUも柚子の香りが苦手ときた。高知となれば柚子、これは県民の象徴的な調味料なのだ。徳島のスダチ、大分のカボス、薩摩の芋焼酎、山形の芋煮、秋田のハタハタ、北海道の鮭・・・と同じ位置づけなのだ。これが苦手とは・・・、味のわからん輩どもだぜ!
皿鉢料理(中皿・刺身、貝・エビ・巻きずetc、)
拙いことに、翌日の夜は拙宅にて泊まる。高知の定番、おもてなし料理である「皿鉢」を当然の如くに注文してあった。
まあ、そんなこともあったが、一次会を終えて、二次会は唯一私が知っている酒場「沙希」へ向かう。途中、折角なのでFもTも知っている、高知勤務のOKADA君に電話を入れた。送別会を終えて、帰宅途中との処を呼び出した。
U老は、くたびれ果てて先にホテルに戻ってしまったが、OKADAが加わったので依然メンバーは四人。二年ぶりに訪れた「沙希」は、店の場所が変わっていた。テーブル席に腰を下ろし、ハイボールを二杯も飲んだ頃合いで店は満席となった。JAの総会があって、その流れの様子。偶にしか来ない客が邪魔をしちゃいかんと、早々に席を立った。
Tが、カラオケに行こうと云う。地元のOKADA君に案内をさせてカラオケBOXに入った。言いだしっぺのTが「歌は一番だけ」とかのルールを持ち出した。我先に曲を入れて順番待ちするが、一番だけでお仕舞なので早い早い・・・。中々いいルールであった。
O&T 熱唱の O君 F&A
明日は、高知城から桂浜・・・、と云うことで、この夜はお開きとなった。カラオケ代、OKADAに払わせtたようだな・・・・、気の毒に。