春はあけぼの・・・。
まだ日の出前、小川沿いの道を小父さんは早足で歩いている。
日課のウォーキングは欠かしたしたことがない。
「元気小父さん」と呼ばれている。
御年80歳と言われているけれど、どう見ても60代前半にしか見えない。
背筋はまっすぐだし、いつも若々しい。
手を大きく振り、歩幅も一杯にとって、颯爽と歩いている。
だから、お爺さんではない。小父さんなのだ。
その小父さん、近所の人に呼び止められて、立ち話・・・。
「あら、お早う。いつも早いわね」
「はい」
「いつも、お元気ですね」
「まあ、おかげさまで・・・。風邪ひとつひいたこともありません」
「いいわねえ、健康で」
「一時、ジムやプールに通ったこともあるんですけどね」
「そうですか」
「でもね、やめたんです。つまらなくてね。ああいうの、あまり面白くないんです」
「だけど、皆さん楽しそうじゃありませんか」
「いやあ、私には合いません。何たって、歩くのが一番合ってます」
「そうね。歩くのも楽しいわよね」
「楽だしね。歩いてると、いろいろなものが目に入って楽しいんです」
小父さんは、まるで元気の秘訣は歩くことだと言わんばかりだ。
「私はね、病気って、この年になるまでしたことがないんです。薬の世話になったこともね。だから、病
院にかかったこともないしね」
「え~っ、本当ですか」
「本当です。皆さん、不思議に思うらしいけどね」
「信じられないわ・・・」
「・・・でしょう?」
「でも、私みたいな人、結構いますよ」
「へえ~!」
「まあ、年のせいで少し腰痛が出てきました。それと目がねえ、どうも悪くなって・・・」
そう言って、小父さんは少し咳き込むように笑った。
その笑顔が、少年のように見えた。
いまどき、こんなに元気な人もいるのだ。
運動は歩くことだそうだ。
歩いたあとは、家に帰って玄米の朝食をもう30年も続けていると言った。
この小父さん、乗り物の車内でも立っていることが多い。
空いている電車やバスでもそうである。
だから、そうでなくても人が席を譲ってくれるのを、いつもやんわりと断ることにしている。
駅の階段は、歩いて上がり降りする。エスカレーターは決して使わない。
デパートやスーパーでも、必ず階段を使う。
それも、あの有名な96歳の日野原重明さんの真似ではないが、階段だって二段跳びで上がって行くのだから、大したものだ。
いつだったか、エスカレーターに乗る同行の人とは別に、駅の階段を先に上がりきって、その人を待っていたこともある。
「早いですねえ」
「早いでしょ、歩いたほうが・・・」
「参ったなあ」
「バスもね、なるべく乗らないようにしてます。天気の好いときはね、歩くんです。歩くに限りますよ。そ
れが一番です。このあいだもね、バス停の始発から終点まで歩きましたよ」
小父さんの元気の源が分かった。
鎌倉は勿論、丹沢、箱根、富士山まで、近いところへは今でもよく一人で出かけるらしい。
散歩帰りの夕方は、立ち飲みの居酒屋でちょっと一杯やることもあるそうだ。
夜は夜で、寝る前に好きな焼酎を一杯・・・。
煙草は、百害あるのみだからとやらない。家には灰皿はない。
その元気小父さんと顔見知りになっても、お互いに名前も知らない。
その小父さんと、JRの駅前でたまたま会った。
どこかへ、お出かけの様子だった。
「今日は、お出かけですか」
「はい。今日はね、ちょっと東京まで。いやなに、ほんの散歩ですがね」
「お散歩?」
「なにね、久しぶりに東京見物です」
「東京見物?」
「ええ、東京タワーからね」
「東京タワーですか」
「なんか子供みたいでしょ。たまにはいいかと思って・・・」
小父さんはそう言って、また少年のように笑った。
「今日はね、それも上まで歩いて上るんです」
「歩いてですか」
「階段をね、600段です。歩いてですよ・・・。春風に吹かれながらね」
「えっ、階段をですか。展望台まで・・・?」
「そうです。上りきると認定証をくれるんです」と言って、私の顔をまじまじと見つめ、
「そうだ!どうです、よかったら一緒に行きませんか?」
「・・・!」