紅葉にはまだ早い鎌倉に出かけていて、たまたまこのことを知って、急拠会場を覗いてみた。
そこに、「芸術の秋」を発見したというわけだ。
この絵画展、『守屋多々志特別展・源氏の世界』で、鎌倉芸術祭の一環として行われている。
少しばかり、胸が高鳴った。
昭和14年以来、鎌倉を拠点に、数々の名作を残してきた、日本画壇の巨匠守屋多々志画伯の代表作である、「扇面源氏物語」全百三十景の展示である。
これは、また凄いなと思った。
会場に入って見ると、期待に違わぬ素晴らしさであった。
守屋画伯が心血を注いだとされる、平安王朝文化の世界を扇面画に描いた大変貴重な絵画展で、10月8日まで、鎌倉で開かれている。
こんな素晴らしい巨匠の絵画展が、無料と言うのだから嬉しい。
画伯は、歴史画の大作や数多くの素描などを残しており、平成13年には文化勲章を受章し、
院展同人としても活躍した。
平成15年に、91歳で守屋画伯は天寿を全うしたが、言わずと知れた紫式部の大長編「源氏物語」を得て、彼は3年がかりで構想を練り、平成3年にこれを完成させた。
当時の守屋画伯によれば、「源氏物語の文章に書かれた場面の描写だけでなく、物語を取り巻く、その折々の風物、行事、庶民の生活の姿なども織り込んで描き、平安王朝の世界を再現してみた」と言うことだった。
展示のはじめの方で、若宮を抱きいとしむ桐壺更衣の絵の解説には、例えば、こういう記述がある。絵を見て、短い解説に目をやると、なるほどと一人でうなずく。
「何時の頃であったか、時の帝は、桐壺更衣をこよなく愛され、やがて、玉のような若宮
(のちの光源氏)が誕生された」
(いづれの御時にか、女御、更衣あまた侍ひ給ひける中に、いとやむごとなき際にはあら
ぬが、すぐれて時めき給ふありけり)(原文)
「若菜」(御簾)では、朱雀帝と藤壺女御の女三の宮は、源氏と結ばれて薫を生むが、柏木
との、秘かな恋に苦悩する姿を、御簾の向こうに描いている。
「幻」では、紫の上を失った源氏が、過去の思い出にふけりながら、出家の決意を固める、
寂寞の場面も・・・。
そして、満開の桜が月明かりに妖しく照らし出されている「花宴」(花かげ)の解説は、
「その夜、源氏は、朧月夜君と扇を取り交わした」と、書かれている。
・・・ひとつひとつ扇形の絵を眺めていると、それは「源氏絵物語」となって、いつしか平安王朝
の世界へといざなわれてゆく・・・。
これらの絵は、縦21センチ、横44.5センチの極彩色の扇面画130枚に、源氏物語の筆を起
こす紫式部の絵日記ともとれる形で、物語の展開の順序に従って描き継がれ、最終的に、
「夢浮橋」から「月影」そして、宇宙に月を描いた「永遠に」という形で終わるのだ。
めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に
雲かくれにし夜半の月かげ (紫 式 部)
極端な言い方を許して頂ければ、この百三十景をざっと一覧しただけでも、「源氏物語」のほぼ全容が読み取れるほどの、見事な作品群である。
解説付きの、源氏物語絵画展といったらいいか。
解説も、すべて守屋画伯自身が書いている。
理解しやすく、大変興味深い。
守屋画伯は、全54帖に及ぶ、紫式部の大長編小説を隅の隅まで読み解いて、この絵画を完
結させ得たのだ。物語の、かなりのデテールまでの理解だって、必要不可欠だっただろう。
そうでなければ、この130枚の絵は描けない。
守屋画伯は前田青邨に師事し、昭和14年から鎌倉に住んだ。
円覚寺の天井画や法隆寺金堂壁画の再現事業、高松塚古墳壁画の模写などにも携わった。
来年は、「源氏物語」が、記録上確認されてから千年という節目の年で、それに先駆けての展覧会だそうで、主催の鎌倉芸術祭実行委員会も力が入っている。
一人の画伯の、これだけ揃った、「源氏物語」という優れた作品にめぐり逢える機会は、滅多に
あるものではなく、たまたま出逢いの機会を得られたことは、とても幸いなことであった・・・。
まことに貴重な、「芸術の秋」を、鎌倉のギャラリーで感じたひとときだった。
外に出ると、黄昏の街に清涼な秋の風が吹いていた。
鎌倉芸術祭 源氏の世界ー守屋多々志ー
期 日 10月2日(火)~10月8日(月)
時 間 10:00~17:00(8日16:00)
場 所 鎌倉生涯学習センターギャラリー
TEL 0467-25-2030
( 鎌倉駅徒歩2分 )