徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「エリザのために」―社会の矛盾と善悪の揺らぎの中に人間を見つめるヒューマンドラマ―

2017-02-11 18:00:00 | 映画


 父親は考える。
 子供のための人生なのだから、子供のためには何でもする。
 だからといって法を破ってよいのか。
 父親のありかた、そして子供の求めているもの、父親の思い込みをめぐって、この作品は、ルーマニアの不正のはびこる社会で翻弄される大人と、それを乗り越えていく若い世代を、厳しいリアリズムのタッチで描き出している。

 「4カ月、3週と2日」(2007年)、「汚れなき祈り」(2012年)に続き、社会派のクリスティアン・ムンジウ監督が、ルーマニアの政治的腐敗を背景に、緊張感みなぎる5日間の物語を綴った。
 この作品の謎めいた演出力は、どうやら最後の一瞬まで、観る者の心をとらえて離さないようだ。
 クリスティアン・ムンジウ監督といえば、もはや近年では最高賞パルムドールなど、三度受賞に輝くカンヌ国際映画祭常連ではないか。


ルーマニアの地方都市にある病院に勤める中年の医師ロメオ(アドリアン・ティティエニ)は、妻マグダ(リア・ブグナル)と、高校卒業試験を控える娘のエリザ(マリア・ドラグシ)の3人家族だ。
一家は、国の民主化による変化を期待して帰国したのだが、今の腐敗がはびこる祖国の現実に嫌気がさしている。
そんなロメオが強く望むのは、エリザをイギリスの大学に留学させることだった。
その一方で、ロメオは英語教師のサンドラ(マリナ・マノヴィッチ)と愛人関係にあり、マグダとの夫婦生活は冷めている。

ある朝、ロメオがエリザを高校へ送った後、彼女が暴漢に襲われるという事件が起きる。
エリザは命にかかわる負傷は免れるが、手に怪我をし、精神的に大きなショックを受ける。
エリザの動揺で試験に失敗することを恐れたロメオは、警察署長や試験担当官、さらには副市長に会うなどして奔走し、何とか口利きを頼みこむが、副市長の不正を捜査する検察官に目をつけられるハメになる・・・。

家族の朝の風景の中、家の窓ガラスが何者かの投石で突然砕け散る。
また別の日には、ロメオの自動車のフロントガラスが割られていたりと、映画は冒頭から不穏な空気を漂わせる。
犯人はいずれも解らずじまいだが、エリザを襲った暴漢も・・・。
警察は彼女に容疑者を面通しさせるが、結局犯人は解らない。
こうした社会不安を象徴するような謎めいた雰囲気を、主人公の心理に重ねるように、クリティアン・ムンジウ監督の演出は多義的に大きく膨らませていく。

驚くべきことには、ルーマニアという国は、民主化後とはいえ今でもなお汚職やコネが平然とはびこり、無法社会だそうだ。
このドラマでロメオは、何が正しく、何が正しくないか、判断を次第に失っていく。
ロメオはコネで結びついた人間たちの間を奔走し、その合間には姑、妻、恋人らと向き合わねばならない。
手持ちカメラの揺れる映像を通して、ロメオに追随し、観客は疑似体験を強いられる。
チャウシェスク政権打倒後、理想的な社会の建設を果たせなかった徒労感は、ロメオによって吐露される。
違法な口利きやコネを使って、様々な裏工作を試みる父親の、凝縮された5日間の物語である。
ルールや法律よりも便宜と恩義でつながる、るルーマニア社会特有の人間模様だ。

ここに登場する父親は、根っからの悪人ではない。
体調の思わしくない妻の代わりに娘の世話をし、学校へ送る。
病院の老母に対する気遣いも忘れないし、病院では謝礼を受け取らない誠実な医師としての信頼も厚い。
そんな一面もある。

妻を裏切っている夫が父親として娘に見せる愛情は、自分だけが子供のことを大事に考えているという、父親だけの誇大な思い込みではないのか。
この男だけを見れば、ずいぶん自分勝手な男だと映る。
娘は娘で自立心が芽生えて、傷ついた自分の気持ちに寄り添ってくれる父親とは思っていないようで、ロメオにはどうもそれが見えていない。
彼は、自身も社会の汚れた側面に手を染め、家族も自分も破綻していく。
端的に言えば、このルーマニア・フランス・ベルギー合作映画「エリザのために」は、ルーマニアの現実を如実に映し出している。

この作品は会話劇の要素が強い。
ヒロインのエリザの姿は、諦めや苦しみだけではない、かすかな救いも見える。
そこにこの映画の価値を見出すのだ。
親の気持ちからすれば、娘に希望を託し、のびのびとした外の世界に送り出したい。
だが実際には、子供たちは親の心配などよそに、自力でいつの間にか成長しているのだった・・・。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回はアメリカ映画「マリアンヌ」を取り上げます。


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2 コメント

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でも、 (茶柱)
2017-02-11 21:01:21
得てして「誰かのために」と行っていることが決してその人のためにはなっていないということは往々にして見かけますね。
却って、「自分のためだ」と公言している人の行為の方が、いろいろな人の役に立っていることの方が多い気がします。
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確かに・・・ (Julien)
2017-02-13 03:57:34
そういう側面はありますね。
その人のために考え、その人のために尽くすことが相手に素直に受け入れられない。
相手の気持ちを十分に忖度するところまで、なかなか追いついていかないんですね。
人が人の気持ちを読むのは、実は大変難しい作業ではないでしょうか。
相手の心理を、いかに正しく理解することかですものね。
大いなる努力が必要でしょうね。
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