「ぐるりのこと」(2008年)から7年、橋口亮輔監督のオリジナル脚本による、長篇新作映画である。
こんな日本でどうして生きていけばいいのか。
そんな問いかけから、今ここに生きる人々の生き方を探りつつ、生々しい空気と感動を映し出している。
誰もがもがいている。そして追い詰められている。
「恋人たち」というタイトルだが、この作品は甘やかな物語ではない。
生活環境の異なる三つの物語を並行して進めていくのだが、極めて小さな細部でそれらは結びついたりしながら、背景は日本の今のねじれた空気が漂う中に、橋口監督のいろいろな想いが盛り込まれている。
特異な愛の形をモザイク模様のように組み合わせて、今世紀の日本にみなぎる、息苦しいまで閉塞感、絶望感が描かれる。
しかし、その先にはそこからの解放感と希望の光も垣間見えて・・・。
3年前に妻を通り魔に殺され、理不尽な社会に苦しむアツシ(篠原篤)は、橋梁点検技師をしている。
妻への思いを断ち切れず、いまだに喪失感と怒りから立ち直れないでいる。
損害賠償訴訟に最後の望みをかけている。
弁護士の四ノ宮(池田良)は同性愛者だ。
尊大に人を見下すエリートで、学生時代からの親友に密かに想いを寄せていたが、その妻に小児性愛の疑いをかけられて親友から絶交されかかる。
無愛想な夫と姑と暮らす主婦の瞳子(成嶋瞳子)は、彼らとの仲がうまくいかず、平凡な生活に飽き足らない。
パート先に出入りする精肉業者の男(三石研)と交際し始める。
彼はどこか怪しいが、桃子は胸のときめきに抗えない。
主人公は三人で、三者三様の生き方に焦点が当てられている。
その誰もが、何かにもがいている。
アツシはいつまでも悲しみから抜け切れない。
橋梁点検の仕事をしながら、裁判に奔走するが困窮し、日に日に追い詰められていく。
瞳子はあきらめたような日常を生きているが、気持ちが満たされない。
四ノ宮は大事な自分の絆を失い、妙な偏見や悪意に心が晴れない。
三人は人と人とのつながりを通じて、日常の大切さに気づいているが、ドラマのトーンは重い。
作品はシリアスだが、ユーモアも随所に散りばめている。
逞しさや図太さもあるが、何だか滅茶苦茶もありという世界だ。
希望もほの見える。
ひたすら苦い話やエピソードが多いから、空疎な幻想のようにも見える。
アツシ自身に何も罪はないが、彼に対する役所や裁判所は冷ややかだし、誰も手を差し伸べようとはしない。
四ノ宮という弁護士も不当な非難にさらされ、、彼自身も身勝手な男だ。
瞳子は瞳子で、無関心と無理解に囲まれ、自分の生活を変えることができないし、着飾ったりするけれどそれも浅はかな幻想だ。
観ていて、共感よりも、反感を覚えるシーンも多々ある。
世の中はえてして不寛容なもので、善意よりも悪意に満ちている。
全編に、やり場のない、どうしようもない憤りが深々と漂っている。かなり
これは日本の現代の縮図だ。
市井の人々の疎外された思いや鬱屈は、幸福とは何かを問いかけているようにも思える。
全編を眺めたとき、やや雑駁な感は否めないが、テーマはよく伝わってくる。
橋口亮輔監督の作品「恋人たち」には、ワークショップ(実践型演技講座)や、オーディションで選ばれた無名の俳優たちが大勢出演している。
彼らの生々しい名演は、結構見ごたえがある。
脚本お執筆には、かなりのこだわりもあったことがうかがわれる。
普通は、脚本のイメージに合わせて俳優をキャスティングするところを、彼らの特性をよくつかんで、脇の脇まで<アテ書き>された脚本による演出だけに、かなりリアルな雰囲気を醸し出している。
そこに従来の映画製作とは一味違った、独特の空気も生み出されている。
橋口監督自身の主催したワークショップに集まって来た、彼らの個性や特徴、行動、性格、方言、喋りかた、仕草を十分に把握してキャラクターを生み出し、それに合わせてストーリーを描いていったそうだ。
そのために37名の役者と6日間、生活を共にしたそうだ。
この映画は、人の世の、修羅の世界からの絶望と再生の、しかし人間肯定のドラマである。
そして、映画産業を最大限に尊重しながらも、商業主義とは一線を画し、作家の個性を突き詰め、本物の映画を目指した作品だ。
橋口監督の言葉を紹介する。
「どんな悲しみや苦しみを描いても、人生を否定したくない。ささやかな希望、気持ちの積み重ねが、人を明日へとつないでいく。」
[JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点)
次回は中国映画「僕たちの家に帰ろう」を取り上げます。