徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「起終点駅」―過去を背負った初老の男の再生の物語―

2015-11-18 17:00:00 | 映画


 直木賞作家・桜木紫乃短編小説「起終点駅 ターミナル」の表題作を「山桜」(2008年)、「真夏のオリオン」2009年)、「小川の辺」(2011年)などの作品で知られる篠原哲雄監督が映画化した。

 北海道・釧路の美しく力強い情景とともに、愛を失い、心を閉ざして立ち止まっている男と女の再び歩み出す姿が、丁寧に繊細に描かれる。
「 終着駅」は「始発駅」になる。
 終わりのはずのその場所から、また新たな人生が始まる。
 この作品は、そんなテーマを込めて作られた映画だ。










1988年(昭和63年)・・・。

北海道の旭川で裁判官として働く鷲田完治(佐藤浩市)のもとに、学生時代の恋人だった結城冴子(尾野真千子)が被告人として現れる。
彼女に執行猶予付きの判決を与えた完治は、裁判後、冴子の働くスナックに通い逢瀬を重ねるようになるが、かつて愛し合った男と女の再会の時間は限られていた。
2年間の北海道勤務を終え、妻子のいる東京へ戻る日が近づいていた完治だったが、彼はすべてを捨て冴子と暮らしていこうと決める。
けれども、冴子はその思いに応えることはなく、完治の目の前で自ら命を絶ってしまうのだった・・・。
ここまでが序章である。

そして2014年(平成26年)年、釧路・・・。
完治は妻子とも別れ、誰とも関わることなく、釧路で国選弁護人としてひっそりと生きていた。

それはまるで、愛した女性を死に追いやってしまった、自分自身を裁き罰を課すようでもあった。
そんなある日、弁護を担当した若い女性、椎名敦子(本田翼)が完治の自宅を訪ねてやって来る。
ある人を探してほしいという依頼だった。
個人の依頼は受けないつもりでいたが、家族に見放され、誰にも頼ることなく生きてきた敦子の存在はずっと止まったままだった。
そして、完治の心の歯車を少しずつ動かし始めていた。
敦子もまた、完治との出会いによって、自分の生きる道を見出していくのだった。

冴子を演じる尾野真千子の孤愁悄然とした姿が、一瞬はっとするような凄艶なまでの美しさで、彼女がこれほど美しく見えたことはなかった。
暗い影をまとった演技も上手い。
佐藤浩市も、冴子の死を目の当たりにしたことで、十字架を背負った感じの初老の姿にも孤独が漂よい、抑制のきいた演技を見せる。
若い女性敦子との間に、曖昧模糊とした関係が深まっていく様も面白く、その中で二人はそれぞれが抱える過去を清算していくのだ。

冴子、完治、敦子の三人三様の過去があって、とりわけ冴子の過去から、彼女の自死へのプロセスはどうも理解しにくい。
ここのところは、尾野真千子自身も演じながら理解が難しかったようで、かなり悩んだそうだ。
そうなのだ。
冴子が何を語ることもなく自死を選ぶシ-ンは、想像をはるかに超える大切なシーンなのだが、いまだによくわからい部分だ。
1988年は平成前年のぎりぎり昭和という年だ。
恋人の死で時間を停めてしまった完治が、昭和から平成へと時代に乗り移れなかったみたいだ。

完治は冴子のことで妻子を捨てたが、疎遠になっていた息子から結婚式の案内状が届き、今さらと思い悩む。
敦子は敦子で、ある男を捜している。
それらのことが、完治の心に変化をもたらす。
その変化を受けて、敦子は何かに目覚めていく。
ドラマの終盤、最出発は釧路駅だ。
食事に出される料理は、すべて佐藤浩市が自ら作った。
特製のタレで食する、北海道名物のから揚げ「ザンギ」やイクラのしょうゆ漬けを贅沢に頬張るシーンはちょっと羨ましいが・・・。
そんなシーンが敦子と完治の距離を近づける。
二人の関係は本当の父娘のように見えて、男と女の危うさや生々しさはない。

雪明りの路地、海を臨む坂道、情緒ある幣舞橋の夕日、生活感のにじむ市場の賑わいといった、北の街の空気は本物だ。
篠原哲雄監督「起終点駅 ターミナル」は、北海道らしい風景や料理を交えながら、日本映画の持つ味わい深さもわすれずにほんのりとした情感の漂う作品だ。
描写、説明を極力控えた演出にも好感が持てる。
大人の観る映画としてはまずまずの作品で、観終えた感じは悪くない。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点
次回は映画「恋人たち」を取り上げます。