徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「少年 H」―戦争という激流を生き抜いた名もなき家族の物語―

2013-08-18 16:20:00 | 映画


 朝な夕なに降りしきる蝉しぐれ・・・、立秋を過ぎて、ときに明け方は空気がひんやりとすることも・・・。
 しかし、まだまだ酷暑の夏は終わりそうにない。
 暑い毎日が続いている。

 この映画は、昭和初期の戦前、戦中、戦後を勇気と信念を持って生きた、ある家族の真実のドラマだ。
 1997年に刊行された、妹尾河童の自伝的小説を、降旗康男監督が初めて映画化した。
 原作は少年Hの目で書かれているが、この映画での主役はその父親である。
 降旗監督は、当時の神戸を舞台にしたたかに生きた彼らを、温かく見つめる。

 戦中から戦後まで、その流れをきちんと描いたこの作品は、おそらくこの映画が初めてではないだろうか。
 戦前の豊かで穏やかな生活があって、戦争がどういうものであったかを、問い直している。








      


                  
昭和16年春・・・。

神戸の街で、洋服の仕立て屋を営む家族がいた。
父・妹尾盛夫(水谷豊)は、いつも柔軟な考えを持ち、家族を温かく見守り、母親・敏子(伊藤蘭)は大きな愛で家族を包んでいる。
そんな二人のもとで、好奇心旺盛な少年Hこと長男・肇(吉岡竜輝)、そしてHの2歳年下の妹・好子(花田優里音)との四人家族は、幸せに暮らしていた。

ところが、H一家の周囲でもいろいろな変化が起き始める。
近所のうどん屋の兄ちゃんが、思想犯として警察に逮捕されたり、召集令状が来たオトコ姉ちゃんが入隊せずに脱走して憲兵に追われるなど、徐々に不穏な空気が漂うようになっていく。
太平洋戦争が始まると、軍事統制も一段と厳しさを増し、自由な発言もしづらい時代になった。
盛夫はそんな時でも、周囲に翻弄されることなく、「おかしい」「何で?」と聞くHに、しっかりと現実を見ることを教え育てるのだった。
そして、家族の安否を心配する盛夫は、スパイや非国民とみなされないよう、自分の考えや信仰を心の中にしまっておくことが大事だと、家族を諭すのだった。

Hが中学校に入ると、彼を待っていたのは軍事政策ばかりだった。
盛夫は消防署に勤めるようになり、敏子は隣組の班長に、そして好子は田舎に疎開することになるなど、戦況が不利になるにつれ、それぞれの日常が激変していった。
ついに神戸大空襲に襲われ、終戦を迎えたとき、街は見渡す限り焼け野原となっていた・・・。

そうして、神戸も日本も新しく生まれ変わろうとする頃、Hの一家も小さいが確かな一歩を踏み出していくのだが、父親の盛夫の、いつもいきがっている息子を温かく包み込む姿勢に、好感が持てる。
頭ごなしにがみがみ物をいう父親の多いこの時代に、このような父親がいたのだろうか。
戦争から家族を守ろうとする父親を、この映画の引っ張り役である水谷豊が好演している。
お父さんは戦争に行くのと息子に問われて、行かないから大丈夫だよと答えるとき、戦争には反対だけど、国民の一人として戦わないことは恥ずかしいと、葛藤する表情をのぞかせる父親であった。

降旗康夫監督映画「少年H」は、戦争を体験した人にはあの時代を思い出させ、体験していない人には戦争ってこうなんだと思わせる、それを息子と父親のいい話として綴った、そういう作品である。
70年近くもたって、いまや太平洋戦争のことも忘れ去られようとしている。
父親と母親役の水谷豊伊藤蘭のコンビは、なかなか息の合ったところを見せているが、小学生から中学生までの10歳からの5年間を同じ子役で演じた吉岡竜輝は、かなり無理もある。
それに元気のいいのはいいとしても、気負い過ぎの感も・・・。
子供らしい日常の遊びがあったことなど、活き活きと伝えてはいるけれど・・。
それと、家族団欒もいいが、テレビドラマでもそうだが、やたらと卓袱台(ちゃぶだい)を囲んで食事のシーンの多いのも気になった。

感心したのは、当時の神戸の街並みもそうだが、空襲の翌日の一面焼け野原のシーンだ。
クライマックスは、焼夷弾が音を立てて人家に突き刺さる夜の空襲のシーンで、空を焦がす赤い炎に、身の震える幼き頃の記憶が嫌でもよみがえる。
悪魔の花火のように見える夜空とあの焼け野原は、忘れもしないあの頃の自分の瞼に、今でも鮮烈に焼き付いている。
このシーンだけで撮影は一週間がかりだったそうで、十分に納得のいく神戸大空襲の画面は、何にもまして迫力満点だ。

空襲警報のサイレンが鳴り、敵機(B29)来襲に脅え、慌てて防空壕に駆け込んみ、ひたすら無事に通り過ぎるのを祈るように手を合わせていた。
焼夷弾や爆弾が投下され、もしかしたら本当に死ぬかもしれぬという恐怖と闘いながら・・・。
空襲と聞くたびに、まんじりともしない恐い夜々が続いた。
今でこそ飽食の時代だが、食糧もままならず、ひもじく貧しかったあの終戦直後・・・。
やがてラジオから流れる、並木路子の「リンゴの唄」が一世を風靡する・・・。
しかし…、と誰もがきっと思うのではないか。
空襲は嫌だ。嫌なものだ。あんな嫌なものはない。
恒久平和のもと、日本はいつまでも戦争をしない、戦争のない国でありたい。
      [JULIENの評価・・・★★★☆☆](★五つが最高点