徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「終戦のエンペラー」―ハリウッドが描いた終戦直後の日本―

2013-08-01 06:00:00 | 映画


 戦いの果てに、分かり合えるものがあるのだろうか。
 この映画は、終戦直後の日本が舞台である。
 当時、連合国軍最高司令官だったダグラス・マッカーサー元帥は、アメリカ人准将に真の戦争責任者を探すよう命じる。

 ピーター・ウエーバー監督は、日本の文化、とりわけ日本人の精神性や天皇に対する、特別な感覚にまで踏み込もうとした努力はうかがわれる。
 アメリカ人の書いた脚本(デヴィッド・グラス、ヴェラ・ブラシ)は、日本人の心をどうつかんだか。
 マッカーサーも、日本文化の重要性はよく理解していたと思われる。
 日米文化の違いを乗り越えることで得られるものもあるが、この作品はどちらに偏ることもなく、日本側、アメリカ側の両側面から描かれたドラマだ。
 日米の名優たちの豪華競演という点では、大いに魅力はあるが、それにしては結構地味な作品だ。


      
1945年8月、日本は連合国に降伏し、第二次世界大戦は終結した。

そして、ダグラス・マッカーサー元帥(トミー・リー・ジョーンズ)率いるGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が、日本に上陸する。
マッカーサーは、軍事秘書官ボナー・フェラーズ准将(マシュー・フォックス)に、ある極秘任務を命じる。
それは、太平洋戦争を引き起こした、本当の責任者は一体誰なのかを解き明かすことだったが、日本文化を愛するフェラーズでさえも危険で困難な任務であった・・・。

生々しい空襲の跡を見て、フェラーズは崩壊寸前の日本を助けようと決意するが、そこには個人的な想いも絡んでいた。
フェラーズは大学生の頃、日本からの留学生アヤ(初音映莉子)と恋に落ちるが、彼女は父の危篤のためたまたま帰国していたのだった。
・・・あれから13年、フェラーズは片時もアヤを忘れたことはなかった。

フェラーズの日本での公的、私的両面の調査は、幾度も行き詰まる。
戦争を始めたのが誰かは、わからない。
だが、終わらせたのは天皇だ。
フェラーズはマッカーサーに、証拠のない推論だけの報告書を提出する。
戦争を裁くという大義の奥には、連合国やマッカーサー、さらには日本の元要人たちの思惑が激しく渦巻いていた・・・。

日本の運命を決定づけたダイナミックな物語なのだが、一方でまた国家という壁や、時代の荒波を超えて愛し合った男女のラブストーリーが絡むという構成だ。
このハリウッドの大作に、アヤ役の初音映莉子をはじめ、西田敏行、中村雅俊、伊武雅刀、片岡孝太郎、夏八木勲、桃井かおりといった実力派が終結した。
「ラストサムライ」「SAYURI」などのキャスティングを手がけた奈良橋陽子が、プロデューサーの一人に名を連ねている。
実話をもとに、フィクションを織り交ぜて展開するスリリングな物語は、確かにせめぎ合う人間たちの熱いドラマには違いないが・・・。

フェラーズは実在の人物だが、歴史秘話として描かれる、日本人女性アヤの恋模様はどうもいただけない。
むしろ、なかったほうがよかったのではないか。
このメロドラマティックなラブストーリーの部分は、このドラマには中途半端で必要なかった。
それに、冒頭の原爆投下のシーンは毎度おなじみだが、それとてここでも必要だったか。

しかも、ピーター・ウェーバー監督アメリカ映画「終戦のエンペラー」は、肝心の「エンペラー」が描かれていないに等しい。
これだけ大見えを切ったタイトルなのに、作品の内容は薄っぺらだ。
天皇史観、日本人思想についてもよく研究したと言っているが、映画の内容はあまり感心できたものではない。
「終戦」「エンペラー」を扱いながら、作品には鋭利な切込みもなく、期待される重厚さもない。
拍子抜けである。
トミー・リー・ジョーンズはユーモアもあって存在感もあるが、‘サスペンス超大作’という触れ込みはちょっと大げさすぎる。
作品はどうにも、これまた人気先行といった感じが強い。

ただ出色は、戦後の東京の焼け野原を映し出したカット、このあまりにもリアルな風景にはぐっとこみあげてくるものがあって、圧巻である。
この景色、現実に、私は幼かりし頃目の当たりにして、いまでもまぶたの裏に鮮やかに焼き付いている。
驚いた。あまりにもそっくりではないか。
生涯、忘れえぬ風景である。
戦争という悲劇は、二度と繰り返してはならない。
平和憲法を、いつまでも守っていくべきだ。
日本は、戦争をしない国なのである。
     [JULIENの評価・・・★★☆☆☆](★五つが最高点