徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「嘆きのピエタ」―愛憎と救済の不条理な精神世界(本文改訂)―

2013-08-11 17:00:00 | 映画

 
 (本文一部改訂)
 深い神話性を帯びた、キム・ギドク監督韓国映画だ。
 「嘆きのピエタ」とは、十字架から降ろされたキリストを胸に抱いている、聖母マリアのことだ。
 母と子の復讐と救済、そして無償の愛を描いている。
 ギリシャ悲劇を思わせるような設定だ。

 痛切な人間の業を描いて、ひりひりとした痛みさえ覚える。
 怖ろしいほど荒涼とした、孤独な人間たちの魂の世界である。
 



冷酷無比な借金取りの男ガンド
(イ・ジョンジン)は、生まれてすぐ親に捨てられた。
天涯孤独の男である。
ガンドは、自分の暮らしている町工場のひしめく地域でも、悪魔のように恐れられていた。
そこへ、突然母を名乗る謎の女ミソン(チョ・ミンス)が現れる。
彼女は、本当にガンドの母親なのだろうか。
最初は疑心暗鬼のガンドだったが、彼女から注がれる愛情の前に、次第にミソンを受け入れていく。

・・・女から注がれる無償の愛を知って、ガンドは借金の取り立て屋から足を洗おうとする。
その矢先、ミソンが突如姿を消した。
心配して、一晩中待ち続けるガンドだったが、その頃ミソンはある工場にいた。
借金の末に、ガンドに障害者にされた青年が、自ら命を絶った場所であった。
彼こそが、ミソンの最愛の息子サング(イ・ヴォンジャン)だったのだ。
冷蔵庫に保留したサングの遺体にすがって、ミソンは号泣していた・・・。

高利貸しに雇われた取り立て屋ガンドは、金を返せない者には、保険金を払わせるために手を切断したり、重傷を負わせるといったことを繰り返す、鬼畜のような血も涙もない男だ。
女のあまりにも必死の態度に、彼は彼女への愛情がわいてくるのだが、そこから物語は二転三転と方向転換を始める。
50年間をこの町で生きてきて、ガンドの厳しい取り立てにあうある男の一人は、ビル群を指さしながら自殺する。

現代のソウルは、カネを動かして冨を得る人々ばかりが、優遇されているという。
キム・ギドク監督は、この作品の中に、金融資本主義にのみ込まれた社会を象徴するシーンを散りばめる。
この男のみならず、生まれてくる子供のために、自ら腕を切り落とされることを望む者など、借金を取り立てる側の人々を極めて冷静に見つめる。
時代に取り残されたような、零細工場群をカメラがとらえる。
そこは、監督自身がかつて働いていた工場街だ。
彼の作品は、貧しき者から暴力への怒りが出発点にある。

キム・ギドク監督は、いまでこそ国際的に高い評価を受けているが、韓国での興行収入はほめられたものではない。
どうも、派手な人気スターを起用しないからだとも言われているが、そればかりではない。
娯楽性よりも芸術性の高い作品を、彼が目指しているからだという声も聞かれる。
1960年、貧しい山村に生まれた彼は、10代を工場労働者として、20代で軍隊に入り、除隊後は障害者施設で働きながら夜間の神学校へ通い、30代でシベリアに渡り、路上画家として3年間を送った。
異色の経歴の持ち主である。

低予算で、かつ短期間で撮影された作品は、ストーリーの暴力性から常に批判と物議をかもし、一方で海外の映画界で次々と受賞を重ねていた。
熱狂的なファンがいるのも、また事実である。
この作品は、1912年ヴェネチア国際映画祭で、韓国映画で初めて最高賞・金獅子賞に輝いた。
その効果もあり、国内で60万人を動員し、興行成績も好調だった。」
しかし、キム・ギドク監督は、大作がスクリーンを占有し続ける、韓国映画界の現状を鋭く批判し、本作「嘆きのピエタ」の国内での上映を4週間で自ら打ち切ったそうだ。
まあ、ありていに言えば、鬼才と呼ばれるほどほとばしる才能を持ちながら、異端の存在ともいえる監督だ。

このドラマのミステリアスな展開は、予測がつかない。
ガンドがミソンの胸の中で眠るシーン、そのうぶな少年のような表情、そしてついに本性を現すミソンとガンドがのたうちまわり、最後の安らぎは残酷な姿で・・・。
思いもかけぬどんでん返しの果てに、キム・ギドク監督の、驚愕の真骨頂を見せつけられる!
凄い!

母性に身悶えする“母”を演じる、ミソン役のチョ・ミンスの素晴らしい演技に、胸が締め付けられそうだ。
怖ろしい物語だが、これはもう秀作に近い。
     [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点