青い海と青い空と、そして輝く太陽がいっぱいだ・・・。
そんなある島の家族と、難民の母子との交流を描いている。
明確な明日は見えないけれど、人間としていかに真摯に生きるかを問うドラマだ。
エマヌエーレ・クリアレーゼ監督による、イタリア映画である。
主役のフィリッポは9歳の時、ベラージェ諸島のランペドゥーサ島で、クリアレーゼ監督にスカウトされ、その後この作品を入れて3作品に出演している。
海の掟に生きようとする家族と、必死の思いで海を渡ってきた、母子の生きる様を描いて感動的だ。
地中海に浮かぶリノーサ島も、ペラージェ諸島のひとつで、夏の観光地としてにぎわうところだ。
20歳のフィリッポ(フィリッポ・プチッロ)は、代々漁師の一人息子で、父親を2年前に海で亡くし、いまは70歳になる祖父エルネスト(ミンモ・クティッキオ)とともに海に出ている。
叔父のニーノ(ジュゼッペ・フィオレッロ)は、衰退する漁業から身をひき、船を廃船にして老後を楽しむべきだとエルネストを諭すが、彼は耳を貸さない。
母ジュリエッタ(ドナテッラ・フィノッキアーロ)は、息子を連れて島を離れ、二人で新たな世界で人生をやり直したいと考えている。
そんな中で、フィリッポは自分の進む道が見えなくなっていた。
夏、島には観光客が訪れ、活気づく。
一家は家を改装して、観光客にレンタルし、自分たちはガレージで生活する。
ある晩、いつものように漁に出たエルネストとフィリッポは、アフリカからボートでやって来た数人の難民を見かけ、その中にいた妊娠中のサラ(ティムニット・T)とその息子をガレージに匿った。
その晩、サラはジュリエッタの手によって出産した。
しかし、彼女たちが不法難民であることは紛れもない事実で、この人助けが、一家の生活を脅かす存在となるのだった・・・。
時間の止まっているような島に、サラと息子は一縷の望みを求めて、決死の覚悟で海を渡ってきた。
海の掟を重んじる祖父は、法を無視して母子を救い、家に迎え入れる。
人間として尊い行為が、しかし波乱を招くことになる。
先細る生活に不安を抱える一家、圧政を逃れてあとさき顧みずに海を渡ってきた母子と、両者の葛藤を丁寧に掬い上げながら、エマヌエーレ・クリアレーゼ監督は、人間の持つ勇気、生命力、そして優しさと高貴な心を描いて、重厚な作品世界を創り上げている。
2009年夏、ランペドゥーサ島に80人の難民を乗せたボートで漂着し、3週間の漂流ののちたどりついたボートに生存者は3人だけだった。
サラ役のティムニットは、その時の生き残りの一人だったそうだ。
当時、撮影の仕事で島を訪れていた、クリアレーゼ監督の取材を受けたことをきっかけに、この映画への出演が決まったといういきさつがある。
フィリッポもティムニットも、演技経験のないノンプロだったのだ。
それにしては、プロの俳優陣と互角の演技で、いやあ恐れ入りました。
地図を見たら、ベラージェ諸島はシチリアと北アフリカの中間にある。
そこで、北アフリカからヨーロッパに渡ろうとする、アフリカの人々を乗せた船が漂着するケースが、後を絶たないのだそうだ。
彼らは十分な装備も持たず、過剰な数人が乗るので、病気や遭難によって途中で命を落とす人が多く、この十年で死者数は万の単位に達していると言われる。
今でこそ、アフリカやアジア、中南米からも多くの移民がやってくるイタリアだが、19世紀後半から1960年代までは、ヨーロッパ諸国や南北アメリカなどに膨大な数の移民を送り出す立場にあった。
今でもイタリアのTVは、難民問題のニュースが流れない日はないといわれる。
日本に、もし北朝鮮からでも、多くの難民が押し寄せて来るようになったら、どうするだろうか。
エマヌエーレ・クリアレーゼ監督のイタリア映画「海と大陸」は、ふとそんなことを考えさせる一作である。
[JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点)