徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

アナログ放送終了!―堕落と放埓のテレビとお別れする人も―

2011-07-30 07:00:00 | 寸評

蝉の鳴き声を聞いて、ちょっと安心した。
本格的な暑さは、まだまだこれからだろう。

・・・アナログ放送が終了して、地上デジタル放送へ移行して一週間になる。
これで、テレビを買い変えていないから地デジが視聴できないかといったら、どうも、そうばかりではないのである。
地デジ移行ということで、いろいろ取りざたされていたが、ケーブルテレビ局の「デジアナ変換」とやらで、デジタル波を変換してアナログテレビでも視聴できるようにしているので、ケーブルテレビ局と視聴契約を結んでいなくても、一部集合住宅(マンション)などでは、アナログテレビでも視聴できるところがある。
このサービスによって、2015年3月までは、いままでのブラウン管テレビでも、普通に地デジを視聴できるからだ。
これによって、大分助かるという声もあるが、それでもなお、地デジ化未対応で、テレビを見られない人たちがまだ数万世帯はあるといわれている。
そうだ。'国策’の犠牲者だ。

一時、家電量販店には、急遽テレビの買い変えで行列が絶えなかったが、そんな狂騒をよそ目に、この機会に、テレビにさよならした人たちが結構いる。
長いことテレビの恩恵にあずかってきたが、新たにお金もかかることだし、この地デジ完全移行を機に、思い切ってテレビのない生活を選んだという人たち・・・。
今までも、普段テレビをほとんど見ないという世帯もかなりあるといわれ、たまにしか見ないテレビを買い変える余裕もないし、あってもそんなものに金を使いたくない、といった声も聞かれる。
だから、情報といったら、これからは新聞とラジオだ。
それで十分だといって、笑っているお年寄りがいるかと思えば、さんざんテレビっ子で育ってきた大学生でさえも、「テレビがなくても全然困らない」という。
テレビとの付き合いを断つという人は、老若男女を問わず少なくない。

最近は、テレビ自体への興味も薄れてきているし、本当に見たいテレビ番組がなくなってきているのも事実だ。
ある高齢の女性が、言っている。
 「今のテレビには、後に残るものがないんです。つまらないお笑い番組ばかりで・・・。漫才だって、昔は社会を風刺するお笑いがありましたけど、そういうのはなくなりましたね」

そういえば、本当に最近は、質のいい、面白いテレビ番組は少なくなってしまった。
これ、まさに実感だ。
ふざけたヤラセ番組だったり、素人の学芸会番組だったりで、どうしようもない堕落ぶりだ。
たとえば、まず知らない人はいない、おなじみの長寿番組の「笑点」も、始まった頃はいまよりずっと面白かった。
司会者は三波伸介で、1970年から1982年ごろまで続いた。これがまた上手い司会で、よく笑わせたものだ。
それに出演者の質もかなり高かったから、これこそ大人のお笑い番組だと思ったものだ。
ところが、いまは、あの体たらくだ。
まるで素人で、これがプロの芸人のやることとは思えない。これでは、見る方もいい加減躊躇するというものだ。
この番組もマンネリに陥ったまま、いつからこんな風になってしまったのだろうか。

ニュースなど報道番組にしても、ワイドショーにしても、今回の放射能被害などの災害報道ひとつとってみても、本当に国民のための真実を伝えているのかは、大いに疑問だ。
情報は、果たして正確か。
コメンテーターにしても、たとえば原発反対派の意見はほとんど取り上げず、取り上げても、きわめて一般論的な当たりさわりのない批判で、どこか白々しい。
報道姿勢や体質にも問題がある。
コメントが局の方針に反すれば、正しい発言でも控えさせられ、場合によっては降板させられるといった具合だ。
原発問題でも、賛成派と反対派の専門家の意見などがそうで、極力賛成派でまとめようとしているのが、あまりにも見え見えなのだ。
だから、つまらないのだ。
これで、公正な報道といえるだろうか。
大新聞をはじめ、テレビも、いろいろな思惑が絡んでいるから、情報のひとつひとつを100%真実かどうか、疑ってみる必要がある。
国民は、マスコミを信じられなくなったら、何を判断材料として信じればよいのだろうか。
新聞の読み方、テレビの見方を、よくよく考えないといけない。

デジタル放送は、高品質の画像が売りだから、やはりアナログ時代から比べれば雲泥の差だ。
見ていて、画像そのものは実に綺麗だし、言うことなしなのに、チャンネルも多いわりに、くだらない低俗な番組が多すぎる。
やりたいほうだいのハチャメチャなバラエティ番組といい、時間つぶしの再放送や再々放送番組、ヤラセの捏造番組、安直なトレンディドラマ、それでいて延々と続く民放のコマーシャルだけは威風堂々(!!)として等々・・・。
これでは、貴重な電波がもったいない。電波は国民共有のものなのに・・・。

高品質、高画質の地上デジタル放送が、さめざめと泣いている。
みっともないテレビ、どうしようもないテレビ、ごくごく少数の上質で素晴らしいテレビ番組もあるなかで、我が物顔の放埓テレビ・・・。
たかがテレビ、されどテレビ・・・、テレビ不要派は嘆いている。
 「もう、テレビなんていらない。テレビのない暮らしをしてみて、本当に必要だと感じたら復活させるかも・・・」
地デジ化を機に、堕落と放埓のテレビとは、いっそお別れしたいという人の気持ちがよくわかるというものだ。
まして、こういう時代だからこそ、必要のないものは買わないで、本当に必要なものだけを買うという知恵も大切だ。