徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「小川の辺」―義と情に凛然として―

2011-07-06 10:00:00 | 映画


     藤沢周平
ワールドの劇場公開作品は、これで8回目になる。
     いつまで、この人気が続くのか。
     今回も、2008年に「山桜」を撮った、篠原哲雄監督が映画化した。
     主演には、あの時と同じ東山紀之を起用している。

     どこか、国としての形を失っている日本・・・。
     出口の見えないこの国に、いま時代の閉塞感が漂っている。
     そんなときに、ひとつの人生に真直ぐ対峙していく人間を描いた作品が登場した。

     それは、藩令か。愛か。
     海坂藩から江戸へは、100里の旅であった・・・。




海坂藩士・戌井朔之助(東山紀之)は、脱藩した元藩士・佐久間森衛(片岡愛之助)を討てという藩令を受ける。
しかし、佐久間は朔之助の妹・田鶴(菊池凜子)夫であり、剣の腕を認め合った友でもあった。
佐久間の脱藩は、藩主の行なってきたずさんな農政改革に、真っ向から批判する上申書を提出したために、藩主の不興を買ったものであった。
謹慎中の佐久間に対して、さらに決定的な処断が下されようとしていたとき、彼らは夫婦そろって姿を消したのだ。

朔之助の心は揺れる。
兄妹で斬り合うことを恐れ、気をもむ母(松原千恵子)に対して、父(藤竜也)は主命ならばそれを拒否するわけにはいかないと、朔之助に静かに決断を迫る。
朔之助の妻(尾野真千子)は、朔之助の身を案じつつも、気丈に旅の支度をする。
妹は武家の妻として、たとえ兄であっても刀を抜くに違いない。
そんな田鶴の勝気な性格を知りながらも、家を守り、武士としての道理を守るため、朔之助は主命に従って、佐久間を討つ旅に出る。

旅立ちには、戌井家に仕える若党の新蔵(勝地涼)が供についた。
新蔵は、幼い日からひとつ屋根の下で兄弟同然に育った仲であり、田鶴が嫁ぐ前日、ただ一度田鶴と心を通わせたことがあった。
が、いまでも彼は、身分違いの愛を、田鶴に対しひとりひそかに抱き続けているのだった。

・・・そして、江戸の先の行徳の地に、佐久間と田鶴の隠れ家は見つかった。
そこは、かつて18年前、青空の高く広がる夏の日、まだ子供だった頃にともに遊んだところと同じような、水の流れ清らかな小川の辺にあった。
その小川の辺で、ついに向き合う、朔之助と佐久間・・・。
そして、田鶴はどうしたか。
幼い日の思いをそれぞれの胸に秘め、三人は過酷な運命の時を迎えていた・・・。

篠原哲雄監督映画「小川の辺」は、あくまで静かな物語である。
実の妹の夫であり、親友でもある相手を討たねばならない。
義と情の狭間に揺れ動きながらも、背筋を伸ばして、その運命を受け入れようとする人間たちの思いが交錯する・・・。
みずみずしい東北の自然と風景もさることながら、自らに降りかかる禍に正面から立ち向かっていく、凛々しい朔之助を演じる東山紀之がいい。
大体、いつも藤沢作品のテーマは、武家社会に生きる人々の姿をとらえて、家族への思い、友情、愛、矜持を描いていて、この作品もまたじんわりと心にしみる小品だ。
どこまでも清々しく、正しく、潔く、気高く、真直ぐに生きる・・・。
そういう登場人物には、こうした映画作品でしか会えないものだろうか。