2010年9月に、ヌーヴェル・ヴァーグの巨匠のひとりといわれた、クロード・シャブロル監督が逝った。
彼はミステリーやサスペンスの巨匠ともいわれ、フランス映画史にも大きな足跡を残した。
でも、その全体像は、なかなか理解できないでいた。
それもそのはずで、彼の作品は、日本公開のものがあまりにも少なかったからである。
今回の、とくにシャブロル監督の晩年の作品は、どれもそれぞれ面白い。
「最後の賭け」「甘い罠」「悪の華」の三作品で、巨匠を追悼する。
一種の懐かしさとともに、映画への憧れを強く抱かせるに十分だ。
シャブロル作品のミューズと呼ばれる、イザベル・ユペールと、ミシェル・セローの、二人の演じる詐欺師の話が『最後の賭け』(1997年)だ。
マフィアの金に手をつけた、ともに詐欺師二人の運命を、巧みな物語構成で見せてあきさせない。
ブラックユーモアというのだろうか。
異色の犯罪スリーラーとして見ると、結構楽しめる。
『甘い罠』(2000年)は、やはりイザベル・ユペール、ジャック・デュトロンといった芸達者が出演し、人間の心の深奥に潜む、善と悪の葛藤を描いている。
一見平穏なブルジョワ家庭が崩壊していく過程を、淡々と描きながら、なかなかの犯罪心理ドラマとして仕上げている。
ここでも、サスペンスの技巧は際立っている。
アメリカの作家シャーロット・アームストロングの「見えない蜘蛛の巣」が、下敷きになっている。
リストのピアノ楽曲「葬送」の、暗喩のような使い方にも注目だ。
第二次大戦末期のドイツ占領下で、優雅に暮らしている幸福な家族を描いた『悪の華』(2003年)は、一枚の中傷ビラが波紋を投げかける。
ナタリー・バイ、ブノワ・マジメル、シュザンヌ・フロンらの演技陣が揃い、複雑で謎めいた血縁関係、ブルジョワ階級の退廃的なモラルを、悪意に満ちた眼差しで見つめている。
階段のシーンなどドラマティックで、格調の高い作品だ。
殺人事件と、ブルジョワ家族という、シャブロル好みの異色心理サスペンスだ。
「クロ-ド・シャブロル未公開傑作選」は、これらいずれの作品も、オープニングからエンディングまで、実に無駄のない、きっちりとした構成で余韻も鮮やかである。
時間的にも、少々無理をして三編とも鑑賞した。
クロード・シャブロル監督は、若くしてはじめ映画批評などを書いていたが、やがて映画の製作に関わるようになり、日本では、「いとこ同士」(1959)、「二重の鍵」(1959)を観た記憶がある。
かなり昔の話だ。
ゴダールの「勝手にしやがれ」(1960)には、技術監督として名義を貸していたし、その頃からヌーヴェル・ヴァーグのひとりとして名を呼ばれるようになっていった。
後年は、主として犯罪映画を撮り続けるようになり、異常心理の描写を得意として、TV映画にも進出していた。
どの作品にも、不要な部分がほとんどなくて(このことは大変貴重だし、大事なことなのだけれど)、とぎすまされた技巧はさすがと思わせるものがある。
作品の中に、観客が思わずあっと驚くようなシーンがいっぱいあるからだ。
フランスのヒッチコックとはよく言ったものだ。
いかにも残念なのは、日本での公開作品の少ないことだ。
クロード・シャブロル監督は、一貫して人間の怒り、欲望、弱さ、滑稽さを、どこかで笑い飛ばすような姿を描き続けてきた。
アメリカ製とはまた違った、フランス人の作るサスペンス・スリラーももしや見納めになってしまうのではと、その死が惜しまれる。