カンヌ国際映画祭で、会場に居合わせた、すべての観客が驚嘆したといわれる作品である。
パク・チャヌク監督の韓国映画「渇き」は、審査員賞を受賞した。
映画は、稀に見る奇想と衝撃に満ちている。
それとともに、並外れた独創性をも秘め、鬼才の名を世界に知らしめたのではないだろうか。
おかしさと妖しさをも漂わせた、異色作だ。
謹厳実直な、カトリックの神父サンヒョン(ソン・ガンホ)は、病院で重症患者を看取ることに疲れ果てていた。
サンヒョンは、猛威を振るうウィルスのワクチンを開発するため、自死を覚悟で人体実験に志願する。
彼は、輸血された正体不明の血液によって、その一命をとりとめ、奇跡的に生還する。
ある日、幼なじみの、ガンウ(シン・ハギュン)の妻テジュ(キム・オクビン)とめぐり会う。
テジュのあどけなさの中に潜む、不思議な色香は、自らを厳しく律するサンヒョンの心をかき乱し、夫との抑圧された日常から逃れたいテジュもまた、猛烈なまでにサンヒョンに惹かれていった。
しかし、サンヒョンの身には、人体実験時の輸血の影響で、ある異変が起こり始めていたのだった。
そして、禁欲的な暮らしを続ける彼は、バンパイアに変貌してしまったのだ。
ある夜、サンヒョンとテジュは、ついに欲望を抑えることができなくなった・・・。
神の教えに反する意識に苛まれながら、二人はかつて体験したことのない快楽に身を焦がしていく。
ついには、ガンウの殺害まで企て、それを実行にうつしてしまったのだ。
サンヒョンがバンパイアだという事実を知ったテジュは、恐怖におののいたにもかかわらず、彼に対して、一層挑発的な態度をとるようになった。
もはや、人の道を踏み外した二人の行く手には、知るよしもない、数奇な運命が待ち受けているのだった・・・。
実力派俳優のソン・ガンホも、この難役を見事に演じきって、大物感が漂っている。
ヒロイン、チム・オクビンの、抑圧から開放され、人の道を踏み外しながらも、次第に輝きを増していく変貌も見事で、彼女は、新たなスター誕生を予感させ、カタロニア国際映画祭では主演女優賞に輝いた。
よくここまで、大胆極まりない演技ができたものだ。
物語のテンポも刻々と変化し、これでもかというほどのユーモアとグロテスクは、正視に耐えないほど衝撃的だ。
ドラマは、シリアスで官能的なのだが、劇中の流血も凄まじく、この手の描写が苦手な人は観てはいけない。
きっと、度肝をぬき、気分が悪くなること間違いない。
19世紀フランス自然主義文学の、文豪エミール・ゾラの「テレーズ・ラカン」を下敷きにして、脚本は執筆された。
犯罪に手を染めた女の、転落の人生を描いた小説だったが、これを、バンパイア神父の破滅的な愛の物語へと換骨奪胎したアイディアが、パク監督の中に生まれていたのだ。
驚くなかれ、パク・チャヌク監督の韓国映画「渇き」は、神父と人妻が堕ちてゆく、血と官能に彩られた、罪深い異形の、そう、全く異形の、一種のラブストーリーだ。
要するに、聖職者と人妻の愛の顛末なのだ。
血みどろのスクリーンを背景に、そこに、パク・チャヌク監督の、妥協を許さぬ、驚愕のバイオレンスを観ることになる。
一見、暴走する放埓のように見えて、人間を逸脱して、その先の恐怖、絶望、恍惚を示唆しつつ、人間の深遠に切り込もうとする。
映画とは、かくも残酷な狂態(ときにそれは極限のグロテスクだが)を、演出するものか。
いやあ、凄い作品が登場したものだ。
映画、恐るべしである。
作品の中に登場する、ラ夫人役のキム・ヘスクの女優としての凄さに、思わずうなってしまった。
ほとんどセリフなしで、目だけで演技する、その何とも妖しい不気味な存在感には、ぞっとするような戦慄さえ覚える。
物語後半の展開がもたつくあたり、気にならないこともない。
怪奇、幻想好き向きの映画である。