徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「アンナと過ごした4日間」―人を愛することの困難さ―

2009-12-20 04:00:00 | 映画

四大映画祭カンヌ,ベルリン、ヴェネチア、東京)を制したといわれる、イエジー・スコリモフスキ監督17年ぶりの、ポーランド映画だ。
映像感覚の冴えを見せるこの作品は、映画芸術の域に近い。

赤い屋根の上の尖塔、白壁の家並み、灰色の空、静まりかえってうらぶれた町・・・。
ポーランドの、とある田舎町である。
病院の火葬係りをしているレオンアルトゥル・ステランコは、若い看護師のアンナキンガ・プレイスに憧れている。

数年前、レオンは釣りの帰りに、アンナが廃工場で犯されているのを目撃してしまった。
気弱な彼が警察に通報すると、彼自身が犯人と疑われ、逮捕される。

彼の家から、アンナの寝起きする寮が見える。
うだつのあがらぬレオンは、双眼鏡で彼女の部屋を覗き見る。

一緒に暮らしていた、レオンの祖母が死ぬ。
レオンは、アンナが寝る前に飲むお茶の砂糖に睡眠薬を仕込み、深夜、アンナの部屋に忍び込む。
レオンは、寝ているアンナのそばで、彼女の服のボタンをかがり直す作業をする。
次の夜は、眠る彼女の傍でペディキュアをする・・・といった具合で、忍び込みは4日間に及ぶ。
名もない男の行為は、夜を追って大胆になり、スリルをいや増していく。
決して、アンナに気づかれることもないままに・・・。

寒々とした、うらぶれた風景の中で、アンナという女性は妙に生々しい存在感を見せる。
日本で、実際に起こった事件から構想されたそうだ。
だからといって、安直なストーカードラマではない。
単に、愚かな人間の行為と片づけるのは簡単だ。
論理でははかりしれない、人間の濃密な真実が描かれる。
見ようによっては、これも、一方的な人間の愛の変形だからだ。
どことも知れぬ、無機質な街並みを舞台に、人が人を愛することの困難さ、愛のもつ不確実さを描いて、極端に省略されたセリフと絵画的な映像美が、灰色にくすんだ詩的世界を演出する。

簡素で正直、繊細で簡潔、エキセントリックで奇異でありながら、ありのままを断片的に描いた世界だ。
繰り返しが多く、極力説明を排除する構成だ。

映画「アンナと過ごした4日間のエンディングで、主人公レオンの前に立ちはだかる壁のシーンがある。
これは、何をあらわしたものなのか。
それは、主人公の病的な考えが生んだ空想、いや妄想に過ぎないのかもしれない。
つまり、すべてはレオンの妄想、あるいは夢ではなかったのか。


イエジー・スコリモフスキ監督は、小さなディティールを論理的に積み重ねて、映像と物語を作っている。
この映画の持つ、暗く湿った空気と、重く垂れ込めた雲、その外側には、どうあがいても出て行くことの出来ない、内側に閉じ込められてしまった人生の不可能性の向こう側を、主人公は見続けている。
その主人公に、大いに共感を寄せている男こそ、鬼才と呼ばれるスコリモフスキ監ではないだろうか。
日本ではめずらしいポーランド映画で、プロ好みの作品といわれるゆえんだろう。
東京国際映画祭では、審査員特別賞を受賞した。