すさまじい猛暑のあとに、雷鳴と夕立があって、今朝方の冷やりとした風に秋を感じました。
立秋を過ぎて大分たちますが、これで秋に向かうのでしょうか。
・・・ところで、最近、政治家や力士の「品格」があれこれ言われているようですが、「品格ある著名人ラ
ンキング」というのがあるらしいのです。
それによるとですね、こういう結果だったそうです。
男性部門では、米大リーグ、シアトル・マリナーズのイチロー選手が、第1位に選ばれたそうです。
「品格」ですよ、「品格」・・・。驚きますね。
彼の「実力、行動、言動」どれひとつをとっても、模範となるんだそうです。
「模範」ですか。
ふむ、ふむ・・・。なるほど、そうですか。
「模範」と「品格」と・・・はて?
・・・まあ、その努力と実績を兼ね備えた点が、審査員(?)の高い評価を得たのではないかと言われ
ていますけれど・・・。
「品格」の意味を国語辞典でひくと、「気品のあること。品位。どことなく、その人に備わっている品位」と
あります。
それで、「気品」をひいてみると、「人間の顔、容姿などについて感じられる崇高な美。それとなく感じら
れる上品なおもむき」とありました。
べつに、四角四面ぶって言うつもりはないのですが・・・「品格」の意味たるや、いやあ、すごいですね。
ちなみに、女性部門では、第1位は女優の吉永小百合さんといえば、納得できるでしょうか。
日本女性の「鑑(かがみ)」とも評されて、「あのように年齢を重ねたい」といったような理由があげられ
たそうです。
なるほど、分かるような気もします。
でも他にも、頭の回転のよさ、世の中を良く知っていて、いつもよく勉強している、或る知識人のあの方
の名(?)もあがったそうです。
どうでもいいと言えばどうでもいいのですが、男性の第2位は、渡哲也だったそうで・・・。
あとは、よく存じません。
もちろん、これは暇つぶしの、遊び心のスター人気投票(好感度投票?)というわけでありましょう・・・。
ただし、人気=品格ではないことは確かなことのようで・・・。
では、「品格ある政治家さん」は、どこにいるのでしょうか?
なお、「品格ある著名人」・・・この調査をした、調査機関の「品格」については詳細不明です・・・。
先日の参議院選挙で、民主党比例区の最後に滑り込んだ人がいる。
末期がん患者山本孝史氏(58)である。
その山本孝史、ゆき夫妻の最近の手記を読んだ。
山本氏は、44歳の時初めて国会へ立候補し、これまで福祉政策を中心に活動してきた。
その彼が、去年5月みずから国会で、周囲が驚く中で、胸腺がんの末期であることを告白した。
そして、国会では「がん対策基本法」「自殺対策防止法」など法案の成立にも寄与した。
「天から与えられた出番を大切にして、6年は無理かもしれないが、命あるかぎり仕事をしたい」
今回の選挙に出て、彼はそう言って、弱い人たちへの優しさを自らに課した。
立候補には、異論もあっただろう。
・・・医師の非情な宣告は、「余命半年」ということであった。
いま、余命あと半年の生命に、いのちを見つめる「いのちの政策」として、それを、やれるところまで精
一杯やる。この生命ある限り・・・。
抗がん剤治療で生み出された、少ない時間をいかに使うか。彼に出来ることは・・・?
それが、彼に残された人生の一頁だった。
山本氏は、交通遺児育英会の仕事をはじめ、年金問題にも積極的に取り組んだ。
昭和48年、「ユックリズム運動」で、自転車で日本を一周したのは、彼の青春時代のひとつの世直
し運動でもあった。
そして、それはお金のかからない選挙へのきっかっけともなっていった。
「我一粒の麦とならん」
これが、彼の座右の銘である。
「一日一生、一日一善、一日一仕事」
この言葉で、一日が始まる。
いのちをかけて、いのちを守る。
これまでも、ずっと日本の医療制度の見直しを推し進めて来た、彼の信念に変わりはない。
・・・山本氏は、自身の母を61歳で乳がんで亡くしている。
彼は、がんイコールリタイアではなく、がんイコール挑戦だと言う。
政治家が、自分の病気を告白するなど、「政治生命の危機」と言われることを、彼はあえて公表した。
いい加減な政治家(いや政治屋というか)の多い中で、自らの生命を賭けて闘う彼の姿がある。
いま山本氏の周辺には、ボランティアの人たちが、大きな支援の輪を広げつつあるという。
「あなたの余命は、半年です」
そう宣告されたら、人は、何を思い、何をするだろう。
簡単に一口で言うが、生命を賭けるということが、どんなに重いことか。
本人の健康を気遣う多くの人々は、彼に療養生活をすすめた。
しかし、彼の選択した道は、病院のベッドでもなく、家族と穏やかに過ごす日々でもなく、自分に課せら
れた、政治家としての使命を全うする道であった。
「誰もが人間らしく生き、普通に暮らせる社会を!」
生命を賭けた男の闘いが始まった。
山本氏は、週一回抗がん剤の投与を続けながら、休むことなく政治活動を行っている。
多くの人たちが、凄まじいまでの彼の活動と生き様を、見守っている。
そして、毅然としてその宿命を受け入れ、共に生きようと頑張っているゆき夫人(56)との二人三脚で、
山本孝史夫妻は、限りあるいまの人生を、必死の思いで生き続けていくことだろう。
ときには、手放すことの無い、あの可憐な野の花を思わせる、金子みすずの詩集を愛読しながら・・・。
偉大な政治家の一人が、後世に残した素晴らしい言葉がここにある。
「社会に対して、何を望むかではなく、自分が、社会に何を奉仕できるかを考えるべきである」
( アメリカ合衆国第三十五代大統領 J・F・ケネディ )
横綱朝青龍が苦悶(?)して、赤子のように泣いている。
仮病であれ、何であれ、ちょっとした身勝手な行動が、今回のような事態にまで発展してしまった。
「日本武道」をどこまで分っているのだろうか。
柔道でも剣道でも、武道の精神にのっとって、礼儀正しい作法があって、試合をし、勝負する。
相撲は、強ければ、それでいいのか。
今回の相撲協会の処分は、当然のことと思える。
朝青龍は、以前から、横綱としての品格にいろいろと問題があった。
あるまじき言動も多々あった。
土俵では、ぷいと感情むきだしになって、自分が勝っているのに、相手を痛めつけんばかりに手を出し
たりする。
制限時間になって、塩を取るとき、左腕をしならせて、回しをたたく。
相撲の王者が、これである。モンゴルの相撲はこうなのだろうか。
「礼に始まり、礼に終わる」日本武道の精神が、どこかですすり泣いている・・・。
彼は、日本文化の伝統を知っているのか、いないのか。
誰も教えないのか、学ばないのか。
そして、それでいいのか。
一人横綱を、三年半もつとめた「英雄」が、土俵を湧かせていたことは、十分納得できる。
ところが、今度のことで、心の中の驕りというか、それ以前に精神的にあまりにも未熟で幼いことが、は
からずも露呈した。
だからといって、「王者」にいたずらな同情は禁物だろう。
このぐらいのことは、跳ね除けてゆくくらいの堂々とした横綱であってほしい。
二十六歳の若者といえば、誰であろうと、人間として未熟なのはあたりまえだ。
その「お山の大将」が男泣きしている。
「心・技・体」とか「横綱の品格」とか言ったとて、それをいまの彼に求めるのは酷である。
何かあれば泣いたり喚いたり、要するに、まだまだやんちゃ坊やではないか。
でも、「横綱」は、少なくとも「横綱」らしく、心身共に強くあらねばならない。
相撲部屋というところは、相撲の取り組み方だけしか教えないのだろうか。
お相撲さんの師弟関係って、どうなっているんだろう?
或る人は、朝青龍を大相撲の宝だと言う。
しかし、これはちょっと別のはなしだが、ついこの間まで、大新聞こそ小さくしか報じなかったが、或る
雑誌が、彼のきなくさい八百長事件を数回にわたってキャンペーンをはり、その記事の真偽をめぐって
今裁判で係争中だ。
これもまた、聞き捨てに出来ない話である。
全勝を果たすために、他の力士(一部?)から、星を金で買ったと言われる、あの話だ。
取材陣は、多くの疑惑にかかわる証言と写真などに自身を持っていると言い、相撲協会側は、事実無
根だと反論に躍起となっていて、真相はいまだ闇の中である・・・。
本当のところどうなのだろう。
火の無いところに煙が立つのだろうか。
それはともかくとして、朝青龍の強さは誰もが認めるところだ。
しかし、いま人間横綱の、精神的な強靭さこそ必要だ。
朝青龍に対して、年内本場所の出場停止処分が決まった以上、処分は処分として、それに沿った、本
人の意思も十分考慮した上での対策こそが望まれる。
彼の母親は、日ごろ息子にこう言っているそうだ。
「その国の水を飲んだら、その国の習慣に従うのだよ」
彼は、精神状態が不安定のさなかで、
「俺は、おふくろの料理が食べたい」と、しきりに周辺にもらしている。
朝青龍は、その勝負強さと裏腹に、精神的なあまりにも弱さ、脆さを、「急性ストレス障害」「神経衰弱」
とか「鬱病」の一歩手前だとか言われているけれど、この際、自身の身の振り方も含め、異論もあろう
が、一度祖国へ帰って、ゆっくりしてはどうなのだろう。
処分を下したあとの、協会側の対応がぎくしゃくしてすっきりしないし、師匠の高砂親方もただあたふた
するばかりで見苦しい。
本人が嫌だと言っているのに、無理に入院させようとしたり・・・。
協会側も、帰国なら即「引退」だとは、またずいぶんと飛躍しすぎでは・・・。
相撲協会というところは、どうも、理知的に物事を判断出来る人が少ないように思えてならない。
ともあれ、相撲協会には、大相撲の真の人気は勿論のこと、協会自体の格式、品格をも取り戻して、
今後も日本の国技について、節度ある対応を求めていきたいものです。
横綱朝青龍よ、何処へ行く・・・?
あなた変わりは ないですか
日毎寒さが つのります
着てはもらえぬ セーターを
寒さこらえて 編んでます
女心の 未練でしょう
あなた恋しい 北の宿
( 昭和50年レコード大賞受賞
作詞阿久悠・作曲小林亜星 )
この「北の宿から」の歌詞の女性は、どうして「着てはもらえぬセーターを編んでるのですか」と、音楽
担当の記者が、阿久悠さんに聞いたそうである。
阿久悠さんは、その時即座に説明してくれたと言う。
女性は30歳過ぎで、東京で不倫して、信州あたりの温泉宿に、ひっそりと暮らしている・・・。
そんな映像が、阿久悠さんの中では、きっちりと出来上がっていたと言われる。
この歌、間違いなく、日本歌謡史に残る、数ある代表作のひとつであろう。
この歌に関わる、古い想い出がよみがえってくる。
もう30年以上も前の、忘れかけていた、色あせた小さな記憶である。
その話は後にゆずるとして・・・。
昭和を代表する、歌謡界の大御所阿久悠さんが逝った。
文字通り、「昭和」という時代を、五千曲を超える歌の数々で紡いだ、とてつもなく大きな人であった。
阿久悠さんは、歌手都はるみが、鳴かず飛ばずで低迷していた時に、彼女の第二のスタートのために
この歌を書いた。
最初、「北の宿から」は、たいそう威勢のよい女のイメージの歌詞だった。
それを、彼女は、自分のイメージを壊したいからと、待つ身の女のイメージに書き直してくれるように、
阿久悠さんに頼んだという経緯がある。
こうして出来上がった「北の宿から」は、都はるみの大ヒットとなり、その年のレコード大賞を受賞して
しまった。
一口に五千曲というが、これもすごいことだ。
そのジャンル、レパートリーの広さは勿論、多くのアイドルやトップスターを世に送り出した。
まさに百花繚乱、一世を風靡した時期もあった。
さらに、彼は作詞の他に、小説も書いて横溝正史賞を取り、直木賞の候補に挙がったこともある。
旺盛な創作活動を続けて40年・・・。
「北の宿から」のレコードの発売は、昭和50年12月であった。
その翌年の昭和51年冬、私は、吹きすさぶ雪の日本海を見ながら、北陸本線を西へ向かっていた。
世に言う「自分探し」の孤独な一人旅であった。だから、初めから宿などは決めていなかった。
夜が訪れてきて、雪も激しくなって、ひなびた山間の小さな温泉宿に投宿した・・・。
一風呂浴びて、炬燵にあたりながら、どういうわけか、宿の玄関先で逢った女と酒を飲んでいた。
勿論、名前も知らない。しかし、女は旅の女ではなかった。
これを、行きずりの縁というのか。
そこで、二人がどんな話をしたのか、今となっては、詳しいことまでは想いだせない。
ちびちびと地酒を酌み交わしていると、その時、つけっぱなしのテレビから、都はるみの歌う「北の宿か
ら」が聞こえてきたのだった・・・。
・・・あなた変わりは ないですか
日毎寒さが つのります・・・
(この歌詞の女性のイメージについて、阿久悠さんが取材記者に話したことを、この時の私はまだ知ら
なかった。後年それを知って、昔のことを思い出したのである。)
女は、テレビに見入っていた。その目に、気のせいか涙のようなものが光って見えた。
私は、どうかしたんですか、と言おうとしてやめた。
その時、歌に耳を傾けていた女が、ぽつりと重い口を開いた。
「あたし、泣き上戸なんです」
そう言って、目頭をおさえて、
「都はるみよね。いい歌よね、この歌」
「いい歌だね」
「あたし、この歌、好きなんです」
うなずきながら、何となく、無口になっていた。
女は、暗い、空ろな眼差しで、何かをしきりに想い出そうとしているように見えた。
襟足から首にかけて、やけに細く白いのが印象的だった。
「一人旅の夜なんて、寂しくありません?」
「うん、まあね・・・」
酌をする手が、弾みでふれた。小さな、冷たい女の手であった。
女が、かすかに笑った。薄い影のある、淋しそうな微笑だった。
どこか、身体の具合でもわるいのではないかと思われた。
二人の会話はややぎごちなく、ともすればとぎれとぎれになった。
きっと、この女性の身の上には、深い事情があるに違いないと、ふとその時思った。
阿久悠さんの思い描いた女性は、ひょっとしてこういう女性ではなかったのか。
・・・今回、阿久悠さんの訃報に接し、この歌が流れてくるのを聴いて、さらに今その思いを強くした。
雪見障子の向こうに、夜の雪が間断なく降りしきっていた。
女は、テレビに目をやりながら、時々何か想いにふけるようであった。
都はるみの歌が終わった。
少しの間、不思議な沈黙が流れた・・・。
女がそっと立っていって、窓の外を見て、
「今夜は、積もりそうだわ。冷えてきたわね」
そう呟いて、ふうっと吐息を漏らした。
その、あまりにも細い、痩せた背中が、女の身の上を語っているようで、旅の疲れと相まって、私のか
なしみは深まるばかりだった・・・。
・・・雪が、しんしんと降る夜のことであった。
「北の宿から」を書いた、阿久悠さんの心情は、分るような気がする。
この歌が大ヒットしたのは、私が自分の記憶の中のこの「北の宿」に身を寄せた、昭和51年(1976
年)のことだった。
この年、田中角栄元首相が、ロッキード事件で東京地方検察庁に逮捕された。
歌に歴史あり・・・。
「UFO」を踊り、「宇宙戦艦ヤマト」に勇気づけられ、「北の宿から」で酒に酔い、「雨の慕情」に涙した、
ひとつの確かな青春があった・・・。
阿久悠さんの歌は、それはまた、その世代を生きた人たちの心に刻み込まれた、魂のフレーズ(歌詞)
だった。
歌には、その歌詞やメロディーから、いろいろな形で人々の夢をふくらませる、不思議な魅力がある。
歌は小さな物語、三分間のドラマだと言う。
強力なライバルであった、作家なかにし礼氏は言っている。
「彼の持つ、古き良き日本人の感性が、大衆の心に共鳴して、多くの曲を残し、あれだけのヒットにつ
ながったのでしょう」
8月3日(金)夜、NHK総合テレビは、いち早く特別追悼番組を1時間半にわたって放送した。
昭和史を髣髴とさせる構成で、歌のひとつひとつに、その時代の出来事のひとこまひとこまが、あらた
めてよみがえってきて、楽しませてくれた。
阿久悠さん、沢山の想い出を有難う。
ご冥福をお祈りします。 享年70歳。 合掌。
通称「お友達クラブ」とは、言わずもがな別名「仲良しクラブ」「仲良し官邸団」とも言われる。
正式には、「安倍内閣」と言うのだそうである。
姫の虎退治など、今回の参議院選挙はいくつもの波乱を巻き起こした。
自民大敗、民主圧勝の結果を見て、民の声は天まで届いたのだろうか。
安倍総理は、人心の一新をはかり、新しい人事で、内閣改造を行うという。
「人心の一新」と言っても、将軍様は別なのだ。それでも、「人心の一新」・・・?
まず、最高責任者が責任を取ることが、世間の常識では・・・?
頭が代わらないで、すべてが一新されるのだろうか。何も変わらないのではないのか。
もし、そうだとすれば・・・?
しかも、選挙後の内閣不支持は60%と言うから、これは、もう「死に体」ではないか。
国民の信任とは何だろう。有権者とは何だろう。
政権選択の選挙ではないというのなら、いっそ衆議院を解散して、この際総選挙で、本当の意味での
民意を問うて見たらいい。
国民は、「選挙」でしか自分の意思を表明出来ない。
民意とは、民の声・・・。この国の将軍様は、民の声をどう聞いたのだろう。
安倍総理は、繰り返し語っている。
「私の基本政策は、多くの国民に理解されており、間違っていない」
それなら、参議院選挙での、国民の不信の声は何なのだろうか。
総理大臣の言葉を聴いていると、どうも、民意との「乖離」を強く感じ、空しくてならない。
世論調査では、有権者の56%は、総理の辞任を求めている。
これが、民の声なのだから。
自民党の大敗は、大体予想出来たことだが、こんなにひどいとは・・・。
かばい合いの「お友達」が、今度は将軍様をかばって、なんだか不気味に沈黙しているように見える。
或る評論家がこう言っている。
「政治が、あまりにも稚拙だ」
「仲良しクラブの学芸会は、もう終わりにしてはどうか」等等・・・。
これから先、目の離せない、さらなる波乱の展開が予想される。
自民党の建て直しと、民主党の天下取りと・・・。
臨時国会は、7日から開かれる。
まだ梅雨も明けていない猛暑の中で、参議院選挙各陣営の舌戦は、いよいよ終盤を迎えた。
午後2時頃、繁華街を離れた、住宅地にある高層マンションの一角・・・。
蝉時雨も掻き消されそうな、選挙カーからの悲鳴にも似た絶叫が、あたりにびんびんこだましている。
「皆様!・・・最後のお願いにあがりました・・・!お騒がせをいたしております」
あまりにも大きな声は割れぎみで、かえってよく聞き取れかった。
車を停めると、候補者と運動員が立って、あらためておきまりの街頭演説が始まった。
しばらくすると、聴衆が集まっては来たが、それでも数名ほどだった
候補者の男性は、炎天下で汗びっしょりの熱演だったのだが・・・。
そこへ、マンションのエントランスから、一人の若者が、物凄い形相で飛び出して来た。
「おい、いつまでやってんだよ!いい加減やめろよ!」
その声で、一瞬演説が止まった。運動員が若い男に駆け寄って、何か言った。
男は怒っていた。
「やめてくれよ!冗談じゃねえよ。うるさくて眠れやしねえ」
「・・・すいません。もうすぐ終わりますので」
候補者と運動員は頭を下げた。
成り行きを見守る数人の住民たち・・・。
マンションの窓から、顔を出している人もいた。
若い男は、いかにも眠そうなはれぼったい顔で、腕組みをして吐き捨てるように言った。
「さっさと、行ってくれ。あんたたちに、人の眠りを妨害する権利があんのかよ!」
両者の間で、少し言い合いがあった。
候補者の男性は、若い男に握手を求めたが拒否された。
いさかいを避けたいと思ったのか、候補者は、吹きだす汗をタオルでぬぐいながら、マイクを手にした。
「・・・ええと、皆様大変お騒がせいたしました。ご近所の皆様、まことに申し訳ありませんでした」
そういって、一行は選挙カーに乗り込むと、手を振りながら、そそくさと立ち去って行った。
若い男は、ふふうんと言った笑みを浮かべ、憮然としてそれを見送っていた。
「だってさあ、分るでしょ。お騒がせもいいところさ、まったく・・・」
住民たちは、何も言わず、家々に帰り、平穏が戻った。
やれやれ、人騒がせ(?)な話だ。
この若い男性は、毎日夜8時から翌朝7時まで、ほとんど一睡もせずに働いているのだった。
夜間働く彼にとっては、この「昼間」の時間帯は、彼にとっては貴重な「夜中」なのであった。
彼は、こうも言っていた。
「それによ、いろいろ来るんだ。やれ竿竹売りとか、やれ家電製品の回収とか,網戸の交換なんてい
うのもね。そりゃあ、たまったもんじゃねえさ。ちっとは、こっちの身にもなってもらいてえよ」
・・・その若い男もいなくなると、降りしきる蝉時雨が、ひときわ大きく聞こえていた。
彼が、選挙にいくか、どうかは分らない。でも、「夜」を「働く」若者に、日本の未来がかかっている。
・・・夜働いている人といえば、大勢知っている人もいるが、結構多い。徹夜で働いている人もいる。
選挙演説も、時と場所を考えないと、あきらかに「生活音」とは違って、「騒音」でしかなく、素直に容認
できないという人はかなりいる。
そうでなくても、「迷惑な音」を「騒音」と感じる人は、病気の人、勉強中の人、音楽を聴いている人、読
書やテレビを見ている人も・・・。
自宅に居ながらにして、選挙演説を楽しみにしている人はまずいないのではないか。
・・・選挙の時期が来ると、政見放送、新聞、広報、個人演説会、街頭演説、遊説といろいろお盛んで、
こんなにも、本当に必要なのだろうかと思うのだ。
日本の選挙は、労力はもちろん、金も時間もかかる選挙というわけですか。
余談になりますが・・・。
いま、政治家、それも特に閣僚の資質が問われています。
情けないやら、お粗末極まりない無いと言うか、目に余るようなことばかりで・・・。
しかし、そういう人たちを、国民が選んだのです。これを忘れてはいけない。
何かと物議をかもした今回の選挙、よく考えて、貴重な一票を投じたいものです。
投票権のある国民が、正当な理由もなく棄権すると、その人は「制裁」を受ける国もあるのですね。
とうとう、怖れていた事件が起きてしまいました。
JR尼崎駅、数日前の夜10時40分頃・・・。
「携帯メール」のマナーをめぐって、傷害事件発生です。
電車が、駅に到着する数分前、車内にいた若い男性二人連れのうちの一人が、「携帯メール中」だっ
たのです。
それを見かねて、通勤帰りの44歳の男性会社員が注意しました。
「電車内で、電話は駄目だぞ」
そのたった一言が、火を噴いたのです。
会社員が尼崎の駅で降りると、逆ギレした二人の男も彼を追って下車しました。
二人は、会社員を捕まえて、その頭をホームの鉄柱にがんがん叩きつけて、暴行に及んだのです。
会社員の男性は、重傷だと言うことです。
この事件は、起こるべくして、起きたともいえます。
たまたま、テレビのニュースで見ました。
この前、「携帯メール」のマナーについて、少し長々と書きました。
「携帯電話」のマナーが、野放し状態で、いつかこうした事態が起きる怖れがある、何とかしないと、こ
れは大変なことになると・・・。
近くでメールをやっていて苦痛を訴えた老婦人の話、マナーを注意されて逆ギレした男の話・・・。
このところ日常茶飯事で、枚挙に遑(いとま)がありません。
ですから、今回のこの出来事も、ああ、やっぱりと言う感じです。
起こるべくして、起こったと思いました。
とにかく、厳しい罰則や条例も勿論ですが、早急な対策が急がれます。
(電話会社は、こうした事態をよそに(?)、ひたすら販売競争過熱気味です。)
ところで、民間研究機関の調査によりますと、携帯電話のヘビーユーザーの4割強が、携帯をほとんど
通話に使っていないことが分かりました。
携帯を持っていながら、一日の通話回数が、「ほとんどない」ないと答えた人が最も多く、44%でした。
一日に「三回未満」(35%)と合わせると、約8割の人が、携帯を「電話」としては、活用していないので
す。つまり、メールでの利用が、圧倒的に多いということですか。
そうなると、一人当たりの利用料金も減っていくので、携帯電話会社は、新たな収益探しを迫られるこ
とになりそうですね。
話を、戻して・・・。
「携帯電話」は確かに便利です。意外なところで、役に立つこともあります。
この世の中、無いよりはあった方がよい物って、勿論沢山あります。ありすぎるくらいです。
ただ、「物」が、「便利であること」と「必要であること」とは、違います。
日に日に文明の進歩は著しく、いまの人類は、有り余るほどに豊饒な「物」という「贅沢」に囲まれて、
何不自由なく暮らしているわけです。
一体、「携帯電話」って、「人類」にとって、本当に「必要な物」なのでしょうか。
どこからか、千の風(?)に乗って、こんな声がかすかに聞こえてくるんです。
「携帯なんて、要らないさ。無ければ、無いでいいさ」
この前、携帯電話のマナーについて書いた。
その使い方ひとつで、第三者の生命に関わることもあると・・・。
しかし、電車の中や、歩きながらメールをする人は相変わらず多い。
「ああ、やっぱりなあ」と思うことが、電車の中で起きた。
夕暮れ近くの東海道線で・・・。
横浜駅から、70代かと思われる、白髪の老紳士が乗ってきた。
彼は、優先座席(シルバーシート)の前に立った。そのシートには3人連れの若者が座っていた。
そのうちの1人は、20歳位の女性だった。メールに熱中していた。
少なくとも、2人の男性は、この老紳士に気づいているはずだが、誰も席を譲ろうとはしなかった。
老紳士は見るからに元気そうで、吊り革に手をかけていた。
彼は、たまたまそこに立ったまでで、席を譲られることを期待している風には見えなかった。
その老紳士は、そんなことより、若い女性のメールの方が気になって、いらいらしているようだった。
その女性に向かって、頭の上から、老紳士が言った。
「もしもし、きみね・・・」
その声に、女性はメールを中断して、まだどこかあどけなさの残っている面(おもて)をあげた。
「はあ?」
「そこに書いてあるでしょ。ここ、携帯を切らなきゃいけないんだよ」
「・・・・」
彼女は、老紳士の言葉をを無視した。すぐ、またメールにかかった。
老紳士は、あくまで落ち着いた口調で、同じことを2度3度注意した。
女は、たまりかねて叫んだ。
「うるさい!」
これでは、まるで逆ギレである。
すると、隣にいた2人の男の1人が老紳士をにらみつけて、
「なんだよ、爺さん。携帯ぐらい使ったっていいだろうに」
どうやら、言い争いになってしまった。
さらに、もう1人の若い男まで激怒して、
「爺さん、うるせえんだよ」
「何がうるさいんだ!」
「うるせえから、うるせえんだよ」
逆襲だ。女性は、素知らぬ様子で、メールを打ち続けている。
そうこうするうちに、今度は、別の席から立って来た男性2人が、老紳士に向かってまくしたてた。
「メールぐらいやってもいいだろう。何がいけねえんだよ、ええ!」
参戦してきた男性は、老紳士に詰め寄った。
いまにも殴りかかりそうになった。険悪な雰囲気になった。
これはまずいと思っていたら、そこへ、別の中年の男性が割って入った。
その男性は、おだやかな口調で、携帯のマナーを説明したようだ。
男性の説明をどう納得したのか、ざわざわしていた騒ぎは、幸い一件落着でおさまった。
当の若い女性はと見ると、まだ相も変わらずメールを続けていた。
仲裁に入った中年の男性は、小声で老紳士に囁いた。
「関わりを持たない方がいいですよ。殴られますよ。ほんと・・・」
「でもね、間違っていることは、誰かが言わないと・・・」
「まあ、それはそうですけれどね」
政論派らしい老紳士は、背筋をすっと伸ばし、胸をはってこう言った。
「わたしね、こんなこと、初めてではないんです。同じようなこと、この前にもあったんです」
・・・最近、こうした場面、或いはこれに近い出来事をよく見かける。
その度に、いつも、騒ぎにならなければよいのだが、と思っていた。
しかし、何とかならないものだろうか。
あちらのほうから、若い女性が、わき目も振らずにこちらへ歩いてくる。
携帯電話を手にしていて、いまにも顔にくっつきそうだ。
前の方を見ようともないで、歩きながら、電話の操作に集中している。あれで、大丈夫なのかな。
人にぶつからないのかな。
このままだと、どちらかが右と左によけないと、間違いなくぶつかる。
当たり前の話だ。こちらも直進、あちらも直進だ。
よくある光景で、その中に自分が直面しているという構図だ。
女性がよけるか、こちらがよけるか、どちらかだ。
こういう場合、大体は無意識のうちに、日常何事もなくすれ違い、何事もおきないものなのだ。
でも、その慣れが心配だ。逆に何もないと思っていると、何かあったりする。
もしものことがあったら・・・?
絶対に何もないとはいえまい。
相手を制止するために、こちらが立ち止まって、一歩も譲らなかったら・・・?
(相手は、こちらがよけるだろうと思っているかもしれない。それとも相手がよけてくれるか・・・?)
いや、多分二人はぶつかるだろう。その時、相手のどこかにもしも触れたら・・・?
変な事件に、巻き込まれないとも限らない。
この時、すれ違う瞬間に、肩先が少しだけ触れたが、こちらが左へ身をよけた。
それで、やっぱり正解だった。
あちらは、通り過ぎてから、こちらを振り返った。
目が合った。あちらは、一瞬にやりと笑ったように見えた(?)。
少し、腹立たしかった。
歩きながらの携帯は、やめた方がいいでしょう。電話には電話のマナーが・・・。
いつだか、満員電車の中で、接触した女性が、相手を訴えて刑事事件になった。
無実なのに、有罪になった。まったく恐ろしい理不尽な話である。
こんなことがあっていいのか。
明らかに、冤罪事件である。
このごろ、多い。
ありえようのないことが、現実にはおきているのだ。
閑話休題・・・。
満員電車が駅のホームで、急行の通過を待っていた。
高齢の女性が、シルバーシートに座っていた。
突然、うめくような苦痛を訴えたのだ。
何事が起こったのかと思った。
女性は、ペースメーカーを装着しているのだった。
幸い、近くにいた人と駅員、車掌の連携で、この時は大事にはいたらなかった。
最初どうなるかと思ったけれど、ほっとした。
携帯の電源を、切っていない乗客が近くにいたのだった。
その女性は、隣りの駅の病院に通っている人だった。
なければなくたっていいという人から、いや絶対に必要だという人まで・・・。
いま、ほとんどの人が、携帯電話をもっている時代である。
一人で、複数の携帯を持ち歩いている人もいる。
確かに、とてもとても使い切れないほどの多彩な機能を持っていて、便利で重宝だからだ。
そんなこと、分りすぎるほど分ってる。
たかが携帯と侮ってははならない。
・・・便利であればあるほど、その使い方が問題なのだから。
時と場合によっては、これ程の文明の利器も、人の生命にかかわる、危険な凶器ともなりかねない。
やはり、梅雨は梅雨・・・。昨夜遅くなって激しい雨となったが、明け方にはあがった。
今日は、晴れて暑い日になるだろう。
梅雨入りの翌日は、暑い晴れた日になった。
区役所前の通りで、たばこをくわえた男性とすれ違った。振り返った。
彼は、その吸っていたたばこを、ぽいと路上に投げ捨てた。いけませんね。
これ、市条例で二万円以下の罰金になるのだが・・・。
この通りは、いつも、街かどボランティアのグループが、吸殻や空き缶を拾って回収している場所だ。
暑い日も、寒い日も・・・。街のクリーン部隊だ。
だが、捨てる人と拾う人のいたちごっこはいつも繰り返されている。
・・・たばこを吸う人は、その一服が至福のときだという。
でも、吸わない人も最近は増えてきているそうだ。
たばこの売れ行きが伸びないと、税収が減って困るのは財務省である。
愛煙か、禁煙(嫌煙)かとなると・・・。
いま、分煙がかなりのスピードですすんでいる。世の中がそういう趨勢にあるようだ。
たばこを吸っている男性のいる居酒屋で、常連客の女性が、男性にではなく店主に言った。
「たばこの煙で、お料理の味が変わってしまうのよ。ねえ、何とかしてほしいわ」
一瞬、しんとなった。店主は何も言わず、困った顔をしていた。
女性は、思い余ってのことだろう。なかなか言えることではない。
男性にも聞こえたらしく、慌てて吸うのをやめた。それを見てほっとした。
確かに、食材とたばことでは、水と油である。
会社で、上司の喫煙を注意した女性が、セクハラのあげく退職したという話もある。
一言言うのにかなりの勇気が必要だ。でも、いまの世の中逆切れだってなくはない。
パチンコ屋に寄って自宅に帰ると、背広にたばこの臭いがしみついている・・・。
それを、人に言われて気づいたりもする。
会席でたばこをとりだした紳士が、女将から部屋の外で喫煙するように注意されたり・・・等等。
人とたばこの関わり合いは、好きであれ嫌いであれ、何かと気を使う場面が多々ある。
小さな店や一般の家庭では、分煙といってもなかなかうまくいかない。
自分が嫌煙(!!)だからといって、分煙をめぐって、家族や友人と「犬猿の仲(!!)」ではまずい。
ここは、吸う人も吸わない人も、両者共存ということになると、まあ常識ある互譲の精神(気配り)で望みたいですね。
ただ吸いすぎは、過ぎたるはなほ及ばざるがごとし・・・。よくないことはよくない。
音信普通の後輩がいた。
数年前に肺がんで亡くなったことを知った。ヘビースモーカーだった。
まだ若かった。
たばこは、15世紀頃、種子島銃を日本に伝えたポルトガル人によって広められたといわれる。
罪つくりな(?)話かもしれない。
決断と努力で、好きなたばこをやめて禁煙に転じて、本当に良かったという人もいる。
でも、酒と同じで、好きなものはなかなかやめられないのも事実である。人は人、我は我・・・。
たかが「たばこ」、されど「たばこ」・・・
長い間、たばこを吸い続けた人の、肺のエックス線写真を見せられた。
タールで真っ黒であった。愕然とした。
今、たばこがガンの有力な原因だということは、世界の常識となっている。
・・・経済効果か、健康医学か。
あ、私ですか。私、たばこ吸いません。はい。どうも、すいません。