冷たい木枯らしが吹き荒れて、寒い日々が続く。
そして、年の瀬の足音が、ひたひたと迫ってくる・・・。
今年も、いよいよ押し詰まってきた。
何となく、気ぜわしい。
以前、バスの中で化粧をする若い女性について書いたことがある。
これは、相も変らぬこの悪しき慣習を目(ま)の当たりにした、筆者の見聞録・・・。
朝8時過ぎ、神奈中のバスはほぼ満員の混雑であった。
通勤客や学生たちで込み合っていた。
そのバスの最後部に乗っていた時のことだ。
前の席に、中年の女性が、その隣にはお年寄りの男性が座っていた。
そこで、中年の女性が化粧を始めた・・・。
いや、別に驚くほどの光景ではない。
それは、このところ、いつも見慣れた、ありふれた日常の光景なのだから。
もう散々見飽きた、そのお決まりの光景に、ちょっとした異変が起きたのだった。
女性が、膝の上にバッグを置き、その上に手鏡を立て、眉毛を書き始めた時であった。
突然、バスが急停車したのだった。
どうも、バスの直前をバイクが急に右折をしたらしかった。
バスは、前のめりになるような、がくんとした動きで停まったものだから、さあ大変だ。
とたんに、その女性の化粧道具やら何やらが、ガラガラと音を立てて、座席の下に散らばってしまった。
女性は、慌てて落ちたものを拾おうとするのだが、、座席の下に身をかがめようにも狭いし、動きがとれない。
すると、隣の老紳士が、席を立った。
そして、女性と一緒になって、自分もしゃがみこむようにして、座席の下に散らばった化粧道具などを拾ってやるはめとなった。
彼女の顔は、多分いたたまれない恥ずかしさで、真赤になっていた。
周囲の乗客たちも、何事が起こったのかと、一斉に好奇の視線を注いだ。
バスは動き出していた。
女性は、「すみません。すみません」と老紳士にいくども頭を下げた。
老紳士は黙っていた。明らかに、やや険しい顔をしていた。
ほんの数分間の出来事だった。
少しして、まだ気が動転している中年女性に向かって老紳士は言った。
「あなた、いつも、こうなんですか」
「・・・こうって?」
「バスの中で、お化粧を・・・?」
彼女は、困ったような表情で、
「はあ、・・・ええ、まあ、その時々で・・・、ええ~」
「やめた方がいいですよ」
「はあ?」
「あのね、乗り物の中で、化粧なんてするもんじゃありませんよ」
「そ、そうですよね。ええ・・・」
「当たり前ですよ・・・、分かりきったことでしょ、そんなこと。まったく!最近やたらと多いんですよ、あなたみたいな人が!」
そう言うと、彼はひどく不機嫌そうに、ぷいと横を向いた。
女性は、しきりに恐縮していたが、モグラのように首をすくめ、小さくなって黙り込んだ・・・。
まあ、よくぞ言ってくれました。
老紳士は、自分の降りる停留所に着いて、バスを降りるとき、その中年女性に向かって、更に声を荒げてこう言い残した。
「いいですか。・・・マナーですよ。マナー、ねっ!常識って言うもんだ。あ~あ、何とも嫌な世の中だね!」
先ほどの、中年女性への親切心(?)はどこへやら、それはもう、完全に捨て台詞だった。
周囲の乗客が、その声にまたこちらを振り返った。
「そうだ、そうだ」と、声には出さなかったが、誰もがそう言っているように思えた。
中年女性の隣りの席が空いて、近くに立っていた別の女性が、そこの席に座った。
中年女性は、さぞかしバスに乗っている時間を、このときほどものすごく長く感じたことはないに違いない・・・。
バスの中で化粧していたために、思わずとんでもない場面を演じてしまった彼女は、最後までばつ悪そうにうつむいたまま、次の停留所で、皆の目から逃げるようにして、そそくさとバスを降りていった。
しかし・・・、まさか「朝、時間がなかったら、バスの中で、化粧直しをすればいいわよ」なんて、自分の娘に、本気でそんなことを言う母親もいないだろう。
それでも、乗り物に見る女性の化粧姿というのは、昨今後を絶たない・・・!
誰が何と言おうと、いまや、日常化しているのだ。
とても、いただけない。
「悪しき、慣例」とでもいうのか。
「善き、身だしなみ」はどこへ・・・?
電車やバスの中で、女性が人目もはばからずに、化粧をする。
まるで、週刊誌でも読んでる感覚なのだろうか。
その姿は、しかし決して美しいものではない。
ときにだらしのなさを思わせて、不快でさえある・・・。
これは、「恥ずかしい、日本人」のほんの一例に過ぎない・・・。
小春日和の或る日、母親は、取り込んだ洗濯物を片付けながら、ひとり呟いた。
「あら、この靴下もう履けないわね」
手にした、娘の花柄の靴下のつま先が、破れていたのだった。
母親は、その靴下を、さりげなく傍らのくずかごに投げ入れた。
その時、どこで見ていたのか、小学校から帰って来ていた、3年生の娘が母親のもとに跳んできて、叫んだ。
「駄目!それ、捨てないで!」
「ええっ~?!」
母親は驚いた顔をして、娘の方を見た。
娘は、少し悲しげに口元をゆがめて、言った。
「ママ、あたし、それ気に入ってるの。だから、捨てないで!」
「だって、同じもので、新しい物を買ってあげるわよ」
「いいの。それ、縫ってちょうだい」
母親はどきっとした。
「・・・これを?」
「お願い。・・・捨てるのは、本当に履けなくなってからでもいいでしょ?」
娘にそう言われて、母親は一瞬言葉につまったが、思い直したように、
「・・・分かったわ。縫ってあげる」
少女は、にっこり微笑んでうなずいた。
母親は、内心小さな動揺を隠せなかった。
そして、自分の胸に、何か熱いものがこみあげてくるのを感じた。
母親は、物を大切にすることにかけては、自信があった。
しかし、この娘(こ)は、どこで、そのような心を培ったのだろうと、大人の自分を恥じ入った・・・。
少女は、この夏の体験学習で、元小学校の年老いた校長先生から、戦中戦後の物資窮乏の時代の話を聞かされていたのだった・・・。
少女は、そこで物を大切にする心を培ったに違いなかった。
いま、原油価格が高騰している。
・・・世の中、物資は豊富である。
しかし・・・、現在の豊かな(?)暮らしは、永遠に続くのだろうか。
物資はいつか底をついて、明日の見えない未来が来るかも知れない。
いや、いつかきっと来る。
まだまだあどけない10歳の少女の一言は、地球未来の限りある資源に対する、警鐘とも聞こえなくはない・・・。
食物にしてもそうだ。
食べられる物を無駄にしてはいないだろうか。
早朝、繁華街のごみ箱をあさって、ホームレスが賞味期限の切れた、パックに入ったままの弁当や、パンの耳、人の食べ残しを拾って歩いている。
時には、白米のおにぎりがそのまま捨てられている。
詳しく見たわけではないが、そうした物の中には、捨てなくてもいい物まである。
毎日、無造作に捨てられるゴミの中に、広告チラシがある。
毎朝配達される、新聞に折り込まれてくる、あれだ。
それに、市役所や地区センターなどで配布される、各種催し物のチラシ、パンフレットの夥しい量をご存知だろうか。
それらは、いつも有り余って、古新聞と同様に回収されるか、ゴミ箱へゆく。
このチラシ類、印刷されていない裏面を利用すると、立派なメモ用紙となるのだ。
そうして利用している人も結構いるのだ。
スーパーのレジ袋の廃止運動も盛んだ。有料で、顧客に配っている店もある。
店側もいろいろと考えているようだが、賛成派もいれば、あった方がいいと言う反対派もいる。
廃品業者の手を通して、中古電化製品がリサイクルされ、東南アジアや中南米に安く輸出されている。
まだまだ十分使用に耐えうる品物ばかりで、現地の外国人には大人気だそうだ。
彼らは言っている。
「日本人て、まだこんなに使える物を、どうして捨ててしまうのだろう。勿体無い」
確かにそうだ。
新しいもの好きの日本人は、古くなるとすぐ新しい物に取り替える。
今の飽食時代、どんどん新しい製品が量産される。
そして、使える物でも捨てる。或いは新しい物と交換する。
今でこそ、破れたほころびを縫い繕って、シャツやズボンを着用している人はほとんどいないが、戦後の物資のなかった時には、つぎはぎだらけのシャツなど着ていたものだ。
ワイシャツの襟が汚れたり、すり切れたりすると、表を裏にしたりして繕い、着られるだけ着た時代であった。ゆるんだゴムひもは、新しいひもを入れなおして再利用した。
「使える物は、最後まで使う」・・・この単純な、分かりきった哲学が、人間に物の大切さを教えてくれる。
ところが、いま使える物が捨て去られる時代である。
「ほころびを縫って、靴下を履く」
何とも、いい話ではないか。
バスや電車の中で、化粧をすることさえ何とも思わぬ世代の子供たちにも、この今の飽食の時代だからこそ、いかに物を大切にして生きるかを教えてあげなくてはいけない。
それは、自分の身の回りから、地域へ、世界へ、地球へと広く物を考える一歩につながっていくことだろう。
『粗衣粗食』から、学び、教えられることのいかに多いかを、もう一度見直す必要があるのではないか。
『暖衣飽食』(粗衣粗食の反対)なんて、決してよいとは思えない。
「欲しがりません、勝つまでは・・・」と言うではないか。
古い言葉だが、「襤褸(ぼろ)をまとっても、心は錦」といい、いたずらにブランド品を身にまとい、高価な装身具で身を飾り、美食にあけくれることが、素晴らしいことだとは思わない。
たとえ、どんなに裕福であったとしても・・・。
こういう時代だからこそ、親も子供も、誰もが、物を大切にする、美しい心を培って欲しい気がします。
大分前に、この欄で、エスカレーターの乗り方(歩き方)のことを書いた。
現実に、動くエスカレーターのラッシュ時に、人と人とがぶつかり、お年寄りがよろけて転倒するという事故があった。
今また、このエスカレーターでの歩き方について、「歩行禁止」をも含めて、いろいろと取り沙汰されている。
関東と関西では、昇降客のために、それぞれ右あけ、左あけがルールと思い込んでいる人が多いが、もともとエスカレーターの構造は、利用者がとくに歩くことを想定してつくられているわけではない。
このほど、横浜市では、市営地下鉄の各駅のエスカレーターについて、「歩行禁止」の大々的な撲滅キャンペーンを始めた。
通常、毎分30メートル動くとされるエスカレーターは、そもそもが動いている機械なのだから、右だろうが左だろうが、歩くべきではないと言うわけだ。
だから、「安全」を第一に考えて、「歩行禁止」にすべきとの結論に達したようだ。
「いまさら、何で・・・?」
「そうだ、そうだ」などと、いろいろと意見もあるらしい。
でも、「安全」を考える、横浜市の方針は間違ってはいない。
以前から、東京消防庁では、エスカレーターでの歩行は避けるように呼びかけている。
その一方で、どうしたわけか「歩く」マナーが定着していて、エスカレーターの片側は空けるものだという、コンセンサスが出来つつある。
それだから、「何をいまさら?」と言うことになる。
片側を上がれるのは、急いでいる人の暗黙の権利だと言うことだ。
だから、どんな理由があろうとも、道を塞ぐとトラブルのもとになる。
現状では、子供と保護者は、前後で一列に乗らないと、後ろから来た人に突き飛ばされる危険さえあるのだ。
しかし、前後で乗ったために、子供が怪我をした事例もある。
そんなに急ぐなら、階段が空いているのだから、そちらを上がっていったらどうなのだろうか。
交通機関では、あくまで注意を呼びかけてはいるが、「歩行禁止」を強制まではしていない。
名古屋市営地下鉄はかなり前から、東京の地下鉄でも、また一部のデパートなどでも、「歩行禁止」を積極的に呼びかけてはいる。
将棋倒しのような事故が起きないことを祈りたい。
しかし、この程度の「安全対策」(?)でよいと言えるのだろうか・・・?
この秋からの、『エスカレーターでは、歩かないでください』と言うポスターを、地下鉄全駅に掲示しての横浜市の取り組み、はたして功を奏するか、どうか。
戦前、東京の中央線で「婦人専用電車」というのがあって、戦後になって「婦人子供専用車」が京浜東北線に連結されたのが、そもそもの始まりだった。
この頃、通勤時間帯の一般車両の乗車率は300%に及ぶ過密状態だった。
この専用車は、その殺人的な通勤ラッシュから、子供と勤労女性を守る目的で導入されたものだった。
それも、やがて廃止され、シルバーシートの導入と入れ替わる形となった。
そして、現在は痴漢行為の抑制などを目的に、「婦人専用車」が私鉄や地下鉄に導入され、概ね女性に歓迎されているようだ。
しかし・・・。
近頃、この「婦人専用車」が、日本経済の担い手である、多くのビジネスマン(サラリーマン)から、大いなる嘆きの不評をかっていることも事実なのだ。
男は女に言った。
「あのさあ・・・」
「なあに?」
「女性専用車ってあるよなあ」
「あるわよ。それが、どうかしたの」
「あれ、どうにかならないのかなあ」
「どうにかって?」
「・・・廃止するとかさ」
「えっ?」
「いろいろ、問題だぜ」
「何が、問題なの?」
「何がって、何も知らないんだな」
「・・・」
「あのなあ、朝のラッシュアワーの時の女性専用車って、ガラガラなんだ」
「どうして?」
「乗ったことないのかよ?」
「その時間、乗らないもの」
「だからさ、分かってないって言うんだ」
「あのなあ、俺の乗る地下鉄、毎朝凄く混むんだぞ。身動きもできないほどだ」
「それは分かるわ」
「それなのにだな、隣の女性専用車はガラガラで、空いてる席もある。うん、結構空いてるんだ。毎日というわけではないけど、何時も大体そうなんだ」」
「へえ・・・」
「ひどいのは、こないだなんか化粧してる女がいた」
「あら!」
「何だ、これって思ったね。ああいうの見ると、俺だって頭くるぜ。ええ~!」
「まあ!それは、そうよねえ」
「女性専用車だけがガラガラで、他の車両は超満員さ。分かるか。妙な話さ」
「何でかしら?」
「誰でも、降りる駅のホームの都合を考えて、電車に乗ってるんだ」
「なるほどね・・・。電車の停まる時に、出来るだけ、近くに階段があるあたりとか・・・。そうよね。だって、乗る時の、乗る車両の入り口も、ホームの場所も、いつも通勤の人は決まってるわよね・・・」
「そうだ。だから、混む車両はいつも決まってるのさ」
「しかたないのね」
「おいおい、そう簡単に言うなよ」
「だから、専用車なんか要らないと・・・?」
「ああ。俺たちはな、汗水たらして、毎日毎日ぎゅうぎゅうの満員電車に揺られてだな、馬車馬のように働いてるんだぜ!専用車に乗りたいのは、俺の方だよ」
「う~ん・・・、確かに、男の人は大変よねえ」
「考えても見ろよ」
「ええ。分かるわ」
「あんな専用車なんて、無くしたらいいんだ。まるで、女尊男卑だな」
「う~ん・・・、男女平等じゃないって、言いたいのね」
「ああ、そうだ。男女平等の社会に反するッ!」
「・・・だって、元はと言えば、男の痴漢が多いからそうなったんでしょ」
「専用車のきっかけはそうらしい」
「そうでしょうよ。男が悪いんだわ、決まってるじゃない」
「そう短絡的に物を言うな」
「はあ?」
「痴漢、痴漢て、身に覚えのない人間まで痴漢にされてしまう世の中だ。痴漢の冤罪事件が多いの、知ってるか?」
「知ってるわ。ほんとに気の毒な話よね」
「馬鹿言うな。、そんなことですむか。男の人生台無しにして・・・」
「・・・家庭も、仕事も、何もかも無くした人の話ね」
「いい加減な女のせいでだな、人生めちゃめちゃにされて、あとで、たとえ無実となっても全ておしまいさ」
「・・・」
「女って奴は、ひどいよなあ。まったく・・・!」
「何ですって?それって、もともと男が悪かったからじゃない」
「そんなことあるもんか。痴漢ていうのはな、あまり言いたくはないが、女にだって、責任があるときもあるんだぞ。これ以上は言わせるな。男が全部悪いわけじゃないぞ」
「ふ~ん・・・!」
「真面目な、無実の男が、或る日突然痴漢扱いされる・・・。そんなこと、許せると思うか」
「よく聞く話だわ」
「満員電車に乗るときは、俺も、毎日びくびくものだ」
「・・・そうだわねえ」
「冗談じゃねえよ。男性専用車が欲しいのはこっちだぜ。女性といっしょの車両じゃあ、何時痴漢にされるか分かりやしない。ご免だねえ。怖い、怖い」
「ほんとうね」
「まったく物騒な時代になったものさ」
「確かにねえ・・・」
「・・・だろう?女性を優しく、大切にと言うなら、男女の高齢者や身体障害者だって同じだぜ」
「女性専用車に、男性が乗ってはいけないと言う規則は、とくに無いのよね」
「そうらしいな。でも、専用車って書いてあるのに、乗れるかって言うんだ!」
「そうよね。勇気がいるわよね」
「あたりまえだ」
「痴漢対策と言うならだな、もうはっきりと、女性はすべて女性専用車に乗るようにしてくれと言いたいね。女性全員だぞ!」
「男性、女性別々の車両と言うことね」
「そうだ。だけど、そんなこと出来るわけがない」
「そうね」
「困った問題さ・・・」
「いっそ、専用車なくしたら?そうよ、そうだわ。それがいいわ。なければないでいいのよ。なくしたらいいんだわ。そんなに問題なら・・・」
「そうだな。でも、そこがどうもすんなりいかないわけよ、な・・・」
「みんな、自ら自分を守ればいいのよ。自分の身は、自分で守るのよ。女だって、男だって。そうすればいいのよ。そしたら、女性専用車なんて要らないのよ。そうよね」
「・・・」
男が黙ってうなずくと、女の口元から、ふっふっと小さな笑みがこぼれた・・・。
・・・或る調査によれば、女性専用車について、女性の65%はあった方がよいと答えているが、要らないと答えた女性は35%もいた。
男性の80%以上が、専用車は要らないと言う反対意見であった・・・。
最近の調査では、さらに反対意見は増える傾向にあると言われる。
男性と女性の賛否両論、さて・・・?
女性が、それこそ完全に痴漢の被害を防ごうとするなら、確かに、全ての女性を女性専用車両に乗せることを強制しない限り、とても不可能だろう(!)
痴漢犯罪は増え続けている。
それと同時に、痴漢の冤罪事件も増えていることを忘れてはいけない。
満員電車に乗っていれば、たとえ男性がどんなに気をつけていても、いつ突然冤罪事件に巻き込まれないとも限らない。
考えると、空怖ろしいことだ。
女性の訴え一言で、犯罪者になってしまうのだから・・・。
この場合、男性の弁解はほとんど通らない。
無実の証明ほど難しいものはない。
評論家の有田芳生氏は、痴漢の冤罪が怖いからと、帰宅の満員電車をやめて、タクシーで帰ることにしていると言う記事を何かで読んだことがある。
いま、そういう時代なのか・・・。
・・・近年、女性は強くなった。(ときに頼りない男性よりも・・・?)
男女同権、男女平等、機会均等が叫ばれている。
そんな中で、自立する女性たちの活躍も目立つようになった。
その陰からは、男性の嘆きの声が聞こえてくるが、それでも、「女性専用車」は必要だろうか。
今日も、通勤電車は走りつづけている。
男と女たちの、それぞれの思いを乗せて・・・。
冷たい木枯らしが吹きすさんで、北の国から雪の便りが届く頃となった。
舗道の枯れ木の梢が、寒天を刺している・・・。
あたかも、空を睨みつけるようだ。
(記事一部改訂・一部追加)
前防衛事務次官の証人喚問で、名指しされた額賀財務大臣は、「山田洋行」元専務らと宴席に同席したとされる問題について、「その記録も、記憶もない」と事実を真っ向から否定した。
財務大臣は、夜を徹して日誌や記録を調べたが、宴席に出席したとの記録はなかったと言った。
夜を徹して、ねえ・・・。
そもそも、そういう記録がはじめからあったのか。
人間、都合の悪いことは記録に残さないこともある。
自分は残さなくても、相手や関係者が記録を残すと言うこともある・・・。
言おうと思えば、そんなこと、何とだって適当に言えるではないか。
記録のないことが、宴席に同席した事実がないと言うことにはならない。
このことは、前次官の証言と違うところだ。
証人の話とどうすり合わせるというのか。
どちらかが嘘をついているか、勘違いなのか。
嘘をつけば偽証罪に問われる。
守屋前次官の証言には重みがある。
「山田洋行」に買ってもらったというパーティー券220万円について、ことが発覚したからと言って、突然慌てて返還する必要があるかどうか。
それ事態もおかしい。
やましいことがなければ、返還の必要はない筈だからだ。
額賀財務大臣は、防衛庁長官の時代に、朝食勉強会と称して、「山田洋行」の分も含めて、6000万円近いパーティー券を売り上げたこともある。
額賀氏は、一度目の防衛庁長官の時に、装備品の代金を過大に払っていた背任事件の責任を取って辞任した。
彼は、防衛省・庁と五年間で、170億円もの取引のある業者と深い癒着関係にのめりこんでいたのだった。
そして、額賀大臣は、防衛庁引責辞任の2年後、経済財政担当大臣の時にも、KSD汚職事件に絡んで疑惑を受け、大臣の職を辞した経歴を持つ。
何と、二度にもわたる辞任更迭劇があった。
それでも、福田内閣の財務大臣に納まった。
(自民総裁選を辞退し、福田内閣での入閣という筋書きがあったからだ)
身元調査は、意味をなさなかった?
いわくつき政治家の入閣は、甘い誤算だった?!
こんな福田人事も大いに問題がある。
そして、またもやである・・・。
新たに、元防衛官僚のとんでもない証言が飛び出した。
驚きました。
いやいや、次から次と、とどまることを知らぬ疑惑の連鎖である。
元仙台防衛施設局長が在任中の00年3月、建設会社に絡む工事発注について、当時の額賀内閣官房副長官側から、工事指名業者に入れて欲しいと言う「口利き」があった疑いが分かった。
勿論、当人側は、「口利き」も「口添え」も、そのようなことは一切ないと全面的に否定している。
この話は、元仙台防衛施設局の太田局長の語った話なのだが、守屋前防衛事務次官の国会証言を聞いて、この際自分の知っていることを明らかにしたいとの意向で、取材に応じたものだった。
そして、この太田元局長は、額賀氏側から、守屋前次官を通じて伝えられ、自分の受けた報告の内容、経緯について、詳細に記した当時の日記なども公開する意向だと、大新聞が一面トップで報じている。
元局長は、施設局在任中、局長室のパソコンにその日の出来事を詳細に入力してきたそうだ。
これは、信憑性の高い、有力な証拠となるかも知れない・・・。
あれやこれやで、額賀問題は、まことに厄介な火種を抱えることとなって、ただでさえ波乱含みのいまの福田政権にとって、守るも地獄、攻めるも地獄となりそうな様相を呈して来た。
さて、どうなることか・・・?
福田総理、どうする・・・?
守屋次官の証言といい、この元施設局長の発言といい、いずれも事実ではないとする、額賀大臣の強い居直りは何なのだろうか。
否定の根拠はとなると、どうも弱々しい。
これまで名指しされ、公言されて、怒らないのか。
事実無根であるなら、即刻名誉毀損、誣告罪で告訴なさらないのか。
「そのことは、いまは考えていません」
ほほう・・・。余裕なのか、それとも・・・?
一体、何なのだろう・・・。
ところで、一方国会の証人喚問で守屋次官から名指しされた、もう一人の久間元防衛大臣が、最初の防衛庁長官在任時に、「軍事情報サービス」などを目的とする会社を設立し、現在も一人取締役として経営しているらしい。
久間元大臣は、「山田洋行」元専務らと料亭で飲食し、その代金を支払わなかったことを認めている。
防衛庁長官や、自民党の防衛関係の要職を歴任しながら、軍事情報を取り扱う会社を経営していたなんて・・・、そんなことって、あっていいのかなあ!?
とにかく、防衛省・庁をめぐって、怪しげな話ばかり一杯出てくる。
全く、きりがないから、この位にしておきたい。
それにしても・・・。
国会証言と額賀発言の、虚々実々・・・?
真実は、どうなっているのだろう。
・・・納得できないことばかりだ。
平気で嘘をつくようでは、「厚顔無恥」も甚だしい。
そんな大臣には、すぐお引取り願いたい。
いずれにしても、今国会での、額賀大臣への与野党の追求は避けられず、大臣が、どういう説明責任を果たすかが見ものである。
防衛省をめぐる、利権の大きな深い闇は、底なし沼みたいだ。
この際、国会にも、検察にも徹底的に疑惑の解明を期待したい。
ついつい、長い記事になってしまった・・・。
政治家は、常に真実を語ってもらいたい。
私たちが知りたいのは、真実だ。
軍需専門商社「山田洋行」元専務の逮捕で、防衛省の利権に検察のメスが入った。捜査の成り行きが注目される。
いまのところ、元専務の容疑は、業務上横領ということになっているが、裏金の一部が、前防衛事務次官に流れた事実がなかったかなどを含めて、全容の解明が急がれている。
最近になって、前次官が、10年ほど前にかつての直属の部下だった防衛省の現職課長に、投資目的で2千数百万円を預けたことが分かった。
投資は失敗したらしいが、上司、部下の関係でこれだけの金額のやりとりはいかにも不自然で、違和感を覚える。
事態は、防衛省の課長クラスを巻き込んだ、底なしの構造汚職の様相だ。
テロ特措法どころの話ではなくなってきた。
「山田洋行」元専務から幾度となく繰り返された、前次官や、その妻への接待、饗応、物品買い与えなどが、次官への利益供与には当たらないのだろうか。
元専務は、前次官の忙しいときには、その妻だけでも週に2,3回、東京・赤坂の高級クラブなどに接待していたと言われる。
頻繁に行われた、こうした接待料金は、全部「山田洋行」側に負担させ、前次官不在のときでも、次官本人と同等の扱いでなされたという。
家族をも取り込んだ、ズブズブの接待攻勢の実態が明らかになった。
そこまでして、元専務の受けた見返りは何だったのだろうか。
ゴルフや、飲食接待が賄賂に当たるのかどうか。
特捜部は、慎重に検討している。
接待汚職事件については、過去にも摘発例はある。
しかし、これとて、いろいろと立件も難しい面があるようだ。
元専務と前次官の会談の席には、防衛省の役職関係者は勿論、与野党の大物政治家も同席していたとされる。
捜査が、政界に及ぶのも時間の問題かもしれない。
90年代の半ばに、大商社三井物産が、約40年に渡って保持し続けてきたと言われる、アメリカのゼネラル・エレクトリック社(GE)の販売代理権が、規模も売り上げも、けた違いに小さい「山田洋行」に移った。
その時の奪取劇は、今でも、防衛省内の語り草になっているそうだ。
勿論、「山田洋行」の責任者は宮崎元専務だった。
当時、「手だれの宮崎には気をつけろよ」と、注意する声も上がっていたと言う。
元専務の、「相手を接待漬けにして、『落ちる』のを待つ」独特のやり方については、アメリカでも、彼が奪い取った、次期輸送機(CX)用のエンジンの代理店契約にからんで、まことしやかにささやかれた噂である。
まさに、それは“アリ地獄”そのものだったようだ。
酒席や女性を使って、相手を篭絡させる・・・。
こうした手法で、元専務は防衛省内部に深く入っていったようだ。
元専務の見返りが、防衛省の装備品調達の便宜の供与だったであろうことは、誰の目にも明らかだ。
それでなかったら、一体何のために、守屋前事務次官は、異様に過剰なまでの接待を受ける必要があっただろうか。
・・・世の中、ギブ・アンド・テイク(与えて、取る)である。
こうした商取引に、慈善事業などありえない。
何かを求め、期待するからこそ供与するものがあるのだ。
そんなことは、疑いのない話だ。
「山田洋行」元専務は、前事務次官を接待漬けにして、何を求めたのか。
前事務次官は、それに対して、何を供与し、どう答えたのか。
国会の証人喚問で、前次官は、肝心のこととなると、「記憶がありません」「わかりません」「そういう事実は全くありません」としらを切った。
それでは、例えば、夫人同行のゴルフなどで、何故偽名を使ったのか。
また、何故偽名を書くように、元専務は指示したのか。
その後の取調べでも、前次官の発言といくつかの矛盾する点が出てきたと言われ、新たに偽証罪の疑いも出ている。
近く参議院でも承認喚問が行われるが、そこで、改めていろいろと追求されることになるだろう。
前次官は、今度は何を語るのだろうか。
元専務の前次官に対する利益の供与と、それがあるからこその、前次官の元専務に対する便宜の供与・・・。
これらが、全く何も無かったなどと、誰も信じる者はいない。
与えるから求める。求められるから与えるのだ・・・。
おのずから、そこには、「利益の供与」と「便宜の供与」が成り立つ構図である。
・・・「情けは人の為ならず」と言うではないか。
人に同情する、情けをかけるということ、それは、決して他人だけを益することではない。人に情けをかけておけば、その善い報い(?)は、必ず巡り巡って、自分に返ってくるということだ。
人に親切にしておけば、あとできっといつか善い報いがある。
分かりきったことである。
だから・・・、ネッ~!
民主党小沢代表が辞意を撤回し、続投を正式に表明した。
「俺、辞めるの、やめたよ」
予想していた通りだった。
今回の、お家騒動の渦中の人の謝罪会見は神妙で、心情を真摯に吐露しているように見受けられた。
代表は、「自分はいかにも不器用だった」と涙ぐみながら頭をさげ、「政治生命を総選挙にかけ、最後の決戦にあたりたい」と語った。
・・・さて、これで一連の経緯を踏まえて、雨降って地固まるとなるのだろうか。
大連立構想が話し合われた、二人きりの党首会談に端を発した迷走劇は、異例の展開をたどった。
民主党の「結束」に逆流するかのような形となり、予期せぬその流れに驚く自民党は、突然党首会談の「真相究明」に乗り出した。逆転国会の魔力と言うか、党首を主役とした神経戦のような・・・。
政府、自民党も、「連立」という最後の(?)カードを切ってしまったが・・・。
「民主党は、政権能力がない」との代表の発言も、「参院選を圧勝したからと言って、命がけでやらないと、今度の選挙は勝てないと言う意味で言った」のが、誤解されたと言う。
やはり、あれは「檄」だったのだ。
代表の辞意撤回で、民主党は、屋台骨が揺らぎかねない局面から、これで何とか危機を脱出できたということだろう。
確かに、今の国会情勢、政治状況を打開しなければならない。
国の政治が、止まっていていい筈がない。
今度の一件は、本来別の問題である筈の、「大連立」と「政策協議」とが、一緒になってしまい、ごたついた形になってしまった。
「大連立」については、8月16日の読売新聞の社説で提唱されてjから、秘かに水面下で、構想実現に向けて交渉が行われていたようだ。
その立役者は、中曽根康弘、渡辺恒雄らと、読売新聞、自民党だと言われる。
その後、特に読売新聞には、民主党を攻撃する記事が目立ち、自民党情報のタレ流しが溢れていた。
世に言われる、「世論操作」「情報操作」である。
これを民主党側から見ると、「民主代表を政治的に抹殺することを意図した、誹謗、中傷」と言うことになる。
党首会談を密室で行ったことが、読売新聞(?)の情報操作に利用される余地を与えてしまった。
今回の件で、マスコミと政府の癒着の実態がますます明らかになった。
もっとも、マスコミと政府の癒着は、今に始まったことではないけれど・・・。
政権必死の生き残りをかけた、いよいよ切羽詰った自民党の、なりふりかまわぬ“謀略”説まで飛び出した。
予断は出来ないが、福田政権が、最後の自民党政権になるかも知れない。
政治家であれば、「大連立」を模索するのは、当たり前だと言われる。
「大連立」と言えばドイツだが、福田総理も、おそらくドイツのメルケル政権を思い描いたのだろうか。
共同通信の緊急世論調査では、連立政権構想について、「望ましくない」が56.4%で、「望ましい」の25.8%を大きく上回った。
民主党が連立政権を拒否したことに関して、「よかった」とする答えが56%と半数を超え、世論は連立構想に否定的なことが明らかになった。
二大政党が、国政の基本的な課題で衝突し、にっちもさっちもいかなくなった時に、打開策としてあるかもしれない。
しかし、今の時期、「大連立」は、いかにも唐突ではなかったのか。
その機は、熟したとはとても言えない。
政権交代は難しいが、選挙に勝てるだけの体制を作る意思統一をはかりたという思いが、民主党首脳陣にはあった。
民主党の混迷を機に、福田総理も足固めに動き、国会の「ねじれ」を解きほぐすには、二大政党による「大連立」しかないと早くから温めていたことを明かし、今後もなお模索を続ける方針が了承された。
小沢氏の民主党残留が決まっても、自民党には、「大連立」の幕引きと受け止める動きはほとんどなさそうだ。
ともあれ、逆転国会は、与党も野党もともに苦境に立っている。
民主党には、いろいろな不平不満は封印し、今は党の分裂を回避し、一丸となってしっかり出直してもらいたい。
参院選での民意に答えられるよう努力すべきなのだ。
日本の政治には、政権交代が必要だとの思いから、国民にもうひとつの選択肢を示して、総選挙で政権を実現する。これが、民主党の訴えであった筈だ。
そうでないのに、参院選で大勝して後、一度も勝負をしないうちに、大連立の誘いに乗って、もし与党に加わったとなれば、それは国民への背信以外の何物でもない。
民主党が、この呼びかけを直ちに拒否したのは、当然過ぎることであった。
民主党のお家騒動は、一見落着した。
新たに代表を選び直すことはせず、自ら辞めると一旦は宣言した党首の続投となった。
この党を支持してきた、有権者の思いは複雑だろう。
いろいろな課題を抱えて、これから、民主党はどう動くのか。
「大連立」という最大(?)のカードが不発に終わって、自民党はどう動くのか。
衆議院の解散、総選挙は・・・?
逆転「ねじれ国会」の第二幕が上がり、政局は再び迷走し始めた・・・。
ふと暦をみれば、早いもので、もう立冬である・・・。
枯葉がはらはらと舞い落ちて、風が冷たい。
政界に激震が走った。
どちらが持ちかけたのか、さだかではない。
民主党の小沢代表が、福田総理との密談後、自民党との「大連立」に傾いたと思いきや、党の猛反対を受けると、今度は突然の辞意表明をした。
代表は、「けじめをつける」と言いながら、「次の総選挙での勝利は厳しい」などと、自分の身内に対して、辛らつな評価も口にした。
一体、何があったのだろう。
民主党幹部は、辞意を撤回するよう代表に求めているが、どうなることか。
国会は、今週末までねじれ国会の開会中である。
安倍総理のあとは、小沢代表の政党丸投げか・・・?
総選挙のちらつく情勢の中で、野党第一党の党首が、ポストの座を投げ出したのである。
「大連立」については、小沢代表が、秘かに選択枝のひとつに考えていたことを十分に伺わせる話も報道されている。
それによると、「大連立」に向けて、民主党内をまとめる自信があると伝えている。それが、猛反対を受けたということは、代表にとって意外なことだったともとれる。
本当だろうか。
驚いたのは、ある大新聞が、連立になったときの閣僚の配分まで具体的に決めていて、小沢氏は、「副総理」とまで決まっていたと言うのだ。
これら一連の報道について、代表は、「でたらめなマスコミ報道もいい加減にしろ」と激怒した。
真相は、はたしてどうなのか。
リーダーシップも実績もある小沢氏は、これまで幾度も「創造」と「破壊」を繰り返してきた、「壊し屋」とまで言われる剛腕政治家だ。
あの細川内閣のときも、自分は自民党を離れ、非自民8党派で連立内閣をつくり上げたが、数ヶ月でこの政権を失速させた。
「権勢の政治」というのだろうか・・・。
いずれ訪れる「総選挙」の「勝利」が「厳しい」との結論に達したから、自民党との連立に走ろうとしたのか。
これでは、これから選挙戦に向けて、挙党一致で自民党と闘おうとする民主党議員たちに、水をさすことになる。
ただ、一歩下がって考えると、党員への「檄」と読めないこともないが・・・。
でもねえ、一郎様、貴方の持病の「壊し屋」は、一生治らないのでしょうね。
小沢代表は、自民党では政治は変らない、民主党が政権を奪取しなければ何も変らないと語っていた。
その彼が、代表職を辞めると言う。
慰留工作でどうなるか、いまのところ不透明である。
参院選で大勝し、次の総選挙でいよいよ政権交代と意気込んでいたのは、何だったのか。
「政権交代」は、単なる見せ掛けの、偽りだったのだろうか。
代表はこうも言ったといわれる。
「民主党は力量不足で、政権担当能力に疑問符がつく」とも・・・。
最大野党の党首ともあろうお方の、この言葉を党員たちはどう聞くだろうか。
それに、このように公言されてまで、なお懸命に党首を慰留する幹部も大変だ。
日本の政治の指導者は、安倍前総理といい、小沢代表といい、この程度だということなのだろうか。
・・・今の国会は、民意不在である。
いっそ早く国会を解散して、本当の民意を問うたらどうなのだろうか。
だらだら国会から、一日も早く出直して、すっきりした論戦に入ってもらいたいものだ。
それにしても、「両巨頭」の密室での「談合?」など、あれこれといらぬ憶測まで、まるでマスコミ合戦の様相を呈していて、何が本物なのか、国民にはよく理解出来ない。
どだい、大将が敵将と呉越同舟で、意気投合するなんてありえないことだ。
どう見ても、この国民不在の「連立方程式」など解けるわけもない。
「密室政治」「独断先行」・・・、危うい日本の政治の姿だ。
このいまのねじれ国会で、重要法案の審議もなされないままである。
国会の空転が続いている。
秋が一段と深まる中、永田町は風雲急を告げている。
国会で、防衛省の“元ドン”前事務次官の証人喚問があった。
この喚問で、防衛商社の元専務と前事務次官との癒着の実態が次々と判明した。
約10年で、200回を超えるゴルフ、ゴルフセットの授受、高級クラブ飲食、賭けマージャン、お抱え旅行、夫人接待、ブランド品プレゼント・・・、数え切れないほどの<オネダリ攻勢>と、これまた凄まじいの一言につきる。
「防衛省の天皇」と称された人が、ズブズブ、家族ぐるみで、業者の接待まみれだったのだ。
こんなことが、本人は言うが、「人間として甘かった」ですむことではない。
福田総理をして、「全くとんでもないことをしてくれた」と言わしめた、前次官の乱行の数々・・・。
これはもう、国家の根幹をもゆるがしかねない事実だ。
癒着の実態は、出るわ出るわ・・・。
ゴルフのプレイに、どうして偽名が必要なのか。
注目すべきは、飲食接待の席に、「防衛庁長官経験者を含む、複数の政治家が同席」していたケースがあったと言うことだ。
前事務次官は、その政治家の名前については、「迷惑をかけるから」と言って逃げた。
まあ、大体察しはつく。
国会の証人喚問の席上で、前次官は、社民党の副党首から、顔色が悪いようだがよく眠れるかと聞かれると、「昨日は、よく眠ってきた」と答えた。
これに対して、副党首は、
「日本には、『悪い奴ほどよく眠る』、『天網恢恢疎にして漏らさず』という言葉があるのです。注意して下さいよ」と忠告した。
この「忠告」が大うけして、一時笑いが起きた。
しかし、笑いごとではないぞ。
証人喚問で、前次官は接待漬けについては大筋認めても、肝心の自衛隊の装備調達に関する便宜供与については、これを全面的に否定した。
でも、そんなことが信じられるだろうか。
全国各地を夫人同伴で旅行し、200回以上のゴルフ接待を受け、幾度も幾度も饗応の席が持たれて、それで何の見返りもないなどということがあるだろうか。
庶民の想像もつかない、多額の接待費が使われているのだ。
とても、信じられない。
防衛商社の元専務は、新聞の取材では、自分の興した新会社の融資に関して、間違いなく前事務次官の「口利きがあった」と認めているのだ。
このことは、「そのような事実はありません」とする前次官の国会での証言と矛盾することで、元専務の説明が正しければ、偽証罪になる。
前次官の再喚問は勿論のこと、商社元専務の証人喚問もすべきで、資料の少ないこともあるのだろうが、もっと深く突っ込んだ質問をして欲しいものだ。
総じて、与野党の追及も弱く感じられた。
防衛庁から昇格したばかりの防衛省は、「国防」どころではない、「欲望」の伏魔殿だ。
防衛省の不祥事は、前次官の問題だけではない。
機密情報の流出、「十和田」航海日誌破棄(隠蔽?)、給油データ隠蔽、前次官と元大臣の軍需商社との癒着等等・・・。
防衛省はもう解体せよ、と言う声があるのもわかる気がする。
国民のため、そしてまごう方無き国家のために、一生懸命に働いている自衛官たちがいる。
防衛省の“元ドン”から、自衛官としての倫理を説かれてきた27万人の職員たちは、どんな思いでこの人の「証言」を聞いたことだろう。
癒着の問題については、かなり前からきな臭い噂が絶えなかった言うではないか。
歴代の防衛大臣は、一体何をしていたのか。
現防衛大臣も含めて、その責任は非常に重いと言わねばならない。
前事務次官は、防衛商社の入札に関して、「競争入札」ではなく「随意契約」で出来ないかと、担当者に質したとされる。
問題の防衛商社は、何と防衛庁・省から、5年間で180億円近い契約を受注し、それも9割以上が、「競争入札」によらない「随意契約」だったと言うではないか。
つまり、ほとんどが随意契約だったのだ。
これまで、一般にその名前さえあまり知られていなかった商社がからんで、その巨額の金はどう流れたのだろうか。
・・・ここに、黒い利権の闇が、果たして本当に無いと言えるのだろうか?
一連の事件を、早くも「第二のロッキード事件」だと言うマスメディアもある位だ。
確かに、防衛省の事件は、前事務次官、商社元専務、更には政治家(?)をも含めた、とてつもなく大きな「疑獄」の様相を呈して来たように思えなくはない。
そして・・・、イラク作戦をめぐる給油の実態も、疑惑は晴れない。
それどころか、疑惑はますます深まるばかりである。
何もかもが、疑惑だらけである。
前事務次官も悪い。商社元専務も悪い。
だが、悪いのはそれだけか。
いや、もっと悪い奴はいないのか。(ええっ! いま、よく眠ってるって・・・?!)
私たちは、真実を知りたい。
深い闇の底で、何が、どう動いたのか。何が、あったのか。
闇の底に澱んでいる何かが、全然見えて来ない。
いまは、検察当局の、毅然とした捜査、解明を期待するしかない。
嗚呼!
・・・まさに、「天網恢恢疎にして漏らさず。(悪いことをすれば、必ず天罰が下る)」である。
以前は無料だったのに、いつからか、両替にまで手数料がかかることになってしまった。
銀行で、両替するのはやめることにした。
あまりにも、馬鹿馬鹿しい。
以前は、両替に手数料なんてなかった。
お金など払わずに窓口でも、機械でも簡単にできて便利だった。
このあいだ、350円を5円玉に両替しようとして、手数料の高さに怒って、行員のネクタイを引っ張ったとして、28歳の男性が、暴行容疑で逮捕されたという。
暴力はいけないが、怒るのも分かる。
何でも、手数料だ・・・。そういう時世になってしまった。
有難くないことだ。
銀行によっても、多少の違いはあるらしいが、或る都市銀行では、残高証明書の発行手数料は、525円から2100円まであるそうだし、通帳の再発行手数料は、1050円だと言う。
同じ銀行同士でも、振込み手数料は今や当たり前で、とにかく何でもかんでもかかりすぎる。
・・・それはさておき、銀行の預金の利息は驚くほど安い。
一方融資を受けようとすると、その条件は厳しく、こちらの利息は高い。
融資の条件を緩和すれば、都知事のあの銀行みたいなことになる。
それは、そうだろう。
銀行も、慈善事業ではない。自己の不利になることをするわけがない。
・・・或る銀行で、こんなことがあった。
あれは、多分中小企業の社長さんだったと思う。
融資を申し込んで、どうも審査で断られたらしかった。
会社の景気のよかったときには、よく面倒をみてくれたのだろう。
それが、景気が悪くなってから、急に貸し渋るようになったのだった。
その銀行の融資の窓口で、口角泡を飛ばして怒鳴っていたっけ・・・。
「今じゃよう、カネのありそうなところには、お宅の営業さんもさ、足しげく日参してさ、そこではぺこぺこと頭をさげて、三顧の礼で預金してくれ、預金してくれって言うじゃねえか。うちが、売り上げが伸びてるときは、しょっちゅう来てくれてそう言ってた。それが、ちょっと業績が不信だからって、手のひらかえすように、こんなに変るもんかね。・・・俺たちがさ、本当に困っているときには、貸してくれと言ったって、貸しちゃあくれねえ。逆に早く返済しろだと!冷たいもんだ。変れば変るもんだ。あんたたち、誰のおかげで高い給料もらってると思ってるんだい。それじゃあ、どんなに綺麗なこと言ってたってよ、紳士ぶってる、体(てい)のよい高利貸しと変らねえじゃねえか・・・!」
・・・まあ、思い切ったことを言ったものである。
あまりの声の大きさに、周囲の人たちも、唖然としていた。
その時接客していた、あのまだ若かった支店長の、一瞬凄んだ顔が忘れられない。
・・・そして、こんなこともあった。
或る金融機関の、開店直前のことだった。
「お前たち!」とか「お前らが!」とか、「いいな!・・・話がまとまらないうちに、帰って来るんじゃねえぞ。分かったな!」と、部下に命令しているような声が聞こえた。
まだシャッターが降りている店内から、朝礼でもやっているのか、大きな怒鳴り声で檄をとばしている支店長の声のようだった。
まるで喧嘩を売っている、ヤクザのようであった。普段柔和な支店長の顔からは、とても想像できなかった。
銀行って、何なのだろう。
特に、弱者である中小企業への融資となると、貸し渋りはひどく、零細業者は資金繰りに行き詰まって、自殺にまで追い込まれた社長もいる。
今でも、こうした格差は縮まるどころか、小泉改革の影響もあって、確実に広がりつつある。
銀行は、高利で庶民を泣かすサラ金業者に多額の融資をし、保険金を国民から騙し取った(?)大手生保は、保険不払いで巨額のカネの上に胡坐をかいている。
これを、行政の怠慢と言うのか。
・・・降り続く雨とともに、枯葉が、かさこそと舞い落ちて、秋の風も一段と冷たくなってきた。