討論は真っ向から対立し、福田総理の嘆きとぼやきに終始した内容だった。
さしもの委員会室でも、福田総理の泣き言に、失笑に包まれたようだ。
この討論、一国の総理の討論としては、醜態をさらして、今の政権の情けなさを見せつけた。
国会が機能しないのは、何故だったのか。
自民も民主も、よく考えないといけない。
ただ、政治の混乱の元凶は、自民党にある。
自民党が蒔いた種だ。
そもそもが、選挙の結果、民意で過半数を制した参議院の野党が、与党と対決するのは、議会制民主主義として当然のことだし、福田総理が野党の抵抗に困って、苦労していると言うなら、辞めるか、衆議院を解散して、どちらが支持されるか、民意を問えばいい。それだけのことだ。
こんな簡単な話はない。
それをしないで、国の最高指揮官が泣き言を並べたところで、何の解決にもならない。
ただただ見苦しい。
前回の、何とも頼りない党首討論からすれば、、今回は、政権に揺さぶりをかける民主小沢代表の心変りも明らかで、福田総理もそのことを批判した。
あのときの、二人の大連立構想は何だったのか。
ついこの間まで、想像もつかなかった変化が、政治の舞台で相次いでいる。
なかなか進まない、「ねじれ国会」への恨み節をよそに、ガソリン暫定税率が失効して、スタンドで満タンに入れるとガソリン代が1200円も安いと、ユーザーは大喜びだ。
これだって、久しぶりの減税である。
先頃、定率減税を召し上げられたお年寄りには、してやったりの思いだ。
既成の古い秩序(?)に乗って、自らの地位保身や利権に関わる人たちが、国民多数の抵抗勢力になるという構図が見えてきた(!)。
奇しくも、参議院の「ねじれ」が、国民を政治に近づけることになった。
それによって、積年の自民政権の「ウミ」が一気に噴き出した。
国会の空白や停滞はあったにせよ、その意味では、この「ねじれ現象」はまことに大きな改革の「意味」をもたらしたといっていい。
ある意味では、民主党の成果でもあろう。
財務省役人の天下りは認めないとして、日銀副総裁を民主党は不同意にした。
自民党は、党利党略だとして怒り狂っているらしいが、実際に財務省幹部の天下り人事は、目に余るほどひどい。
天下りが、財務官僚の既得権益になっていることは、まぎれもない事実だ。
ノーパンしゃぶしゃぶ騒動以降、財政と金融の分離ということが言われ、財務省は一時鳴りをひそめていたけれど、どっこい完全に復権している。
財務省の天下りリストを見てみると、これがまた凄まじい。
大手銀行、証券、生保といった、自分たちの所管業界だけでなく、予算を握ることで他の省庁にまで影響力を及ぼし、あらゆる業界に天下り先を確保している。
宇宙開発や、原子力研究所までもですよ。
そして、実にしたたかに、財務官僚たちは、公取委や金融庁といった重要なポストに返り咲いて、日銀の総裁ポストを自分たちの復権の総仕上げにしようとねらっていたわけだ。
財務省の天下りがなくならないのは、霞ヶ関で絶大な権力を握っている証拠だ。
民主党の幹部でさえ、「本当は、財務省を敵に回したくなかった」とテレビで本音をもらしている。
敵に回すと、何をされるか分からないからだ。
日銀人事は、財務官僚四人も蹴った小沢代表も、覚悟の上のことだろう。
その小沢氏が、そうした財務官僚の既得権益をなくそうとした意義は大きい。
民主小沢代表の余裕の対処が際立った、党首討論だった。
福田総理の泣きに、まるで総理の泣き言が、
「俺の気持ちも、少しは分かってくれよ」と、昔の未練にすがる嘆きともとれる一幕であった。
党首討論の翌朝のことだった。
いつも乗るバスで、いつもの二人の女子学生に会った。
一人はいつものように、化粧をしながら話していた。
「ねえ、ニュース見た?」
「何の?」
「福田首相と、あの民主党の小沢さんの討論よ」
「あ、見た、見た。両親が見てたので、あたしも見た」
「あれさあ、総理大臣がさあ、何だか目下の人にぺこぺこ頭を下げてるみたいだったよ」
「そう言えば、そうだね」
「何をお願いしてたの?」
「権利の乱用をしないでって、怒ってるのよ!」
「そうよ。福田首相は、自分はかわいそうなくらい苦労していますって、言ってたわ」
「泣いてた?」
「まあ、涙声みたいだったわよ」
そう言うと、彼女はまたぺたぺたと化粧を続けた。
もう一人の女子学生も、眉毛をひきながら、鼻先でふふんと笑って言った。
「まあ、日本の総理大臣て、その程度なのよ。みじめったらありゃしないわ。要する
に、あれが、日本の政治の姿なのよ、ねっ!」
と、ほ、ほ、ほ・・・!
猛烈な強風と雨をもたらした、春の嵐が去っていった・・・。
花に嵐のたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ。
( 井 伏 鱒 二 )