大阪駅から南の方に進むと日本を代表する薬の街がある。武田薬品、塩野義製薬、田辺製薬、小野薬品など日本を代表する医薬品会社の本社が道修町に存在している。
私は大学を卒業後にジャーナリストを職として目指し、日本経済新聞社の大阪本社(新聞社の場合は大都市に存在する支社を本社と呼ぶ)に入社した。
道修町は薬の町で歴史のある医薬品会社が軒並べている。私が担当したころの医薬品会社の存在は産業界での存在感はさほど大きくはなかった。日本の医薬品は欧米の後塵をはいする産業界であった。
それでも道修町には武田薬品、塩野義製薬、田辺製薬という日本の医薬品業を象徴する歴史ある企業が軒を並べていた。
日本での医薬品開発は欧米に立ち遅れ、多額の研究開発を投じて新薬を開発するよりも海外から新薬のライセンスを導入し、製品の研究開発は欧米に依存してきた。
私が入社した日本経済新聞社は道修町に寄り添って存在していた。新聞社から徒歩10分~20分の距離で薬品会社の本社へ行けた。
当時の新聞社では医薬品業界はベテラン記者の担当先ではなく、新米の記者が担当するのが慣例であった。記者も自らの担当業界の存在に胸をはるという感はなかった。
その存在観は大きくは無く、主要な医薬品は海外で開発されたものが大半であった。
日本で開発された新薬が、海外でも話題になる時代に突入する戸口に来ていた。
私は医薬業界にもともと大きな関心があり、新入社員として医薬品業界にかかわりを持ったのはラッキーで、水を得た魚のように飛び回った。
日本の医薬品業界が世界の業界での存在感を高めることは時間の問題であった。