安来市あたりをさがしていると、7m海面を上げた状態の地図に潟湖(せきこ)がありました。
その近くに、妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)があります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今から約1900年前から1700年くらい前の弥生時代に大きな集落が存在した
竪穴式住居だけでも400棟以上、掘立柱建物跡も500棟以上も見つかり、当時の周りの規模から考えると、当遺跡を中心に一つのクニが作られていたのではないかとも考えられています。
弥生時代後期終わり頃以降では鍛冶、玉造り、土器焼成などの活動が認められる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
史跡妻木晩田遺跡第4次発掘調査報告書という
くわしく調べてある報告書があります。
それを見て驚きました。
鉄の出土の時期が、弥生後期~古墳時代前期と、サホヒコ、サタヒコの岡山遠征の時代とピタリと
重なります。
終末期がその時代ではないでしょうか。
それ以前にも、鉄製品が出ていますけど、どこの鉄だろう?
もしかしたら、丹後半島から持ってきているのかもしれない。
もしそうなら、かなり古くから交流があったと考えられます。
飯梨川の砂鉄をどこかで製鉄をしたものと言う考えも否定できませんけど、
後期後葉、終末期が圧倒的に多いということは、この場所がサホヒコ、サタヒコの拠点で
鉄素材は、丹後半島から来ているという可能性が高いのではないでしょうか。
とすると、五斗長垣内遺跡で使用していた鉄素材は、丹後から来たかもしれません。
その近くに、妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)があります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今から約1900年前から1700年くらい前の弥生時代に大きな集落が存在した
竪穴式住居だけでも400棟以上、掘立柱建物跡も500棟以上も見つかり、当時の周りの規模から考えると、当遺跡を中心に一つのクニが作られていたのではないかとも考えられています。
弥生時代後期終わり頃以降では鍛冶、玉造り、土器焼成などの活動が認められる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
史跡妻木晩田遺跡第4次発掘調査報告書という
くわしく調べてある報告書があります。
それを見て驚きました。
鉄の出土の時期が、弥生後期~古墳時代前期と、サホヒコ、サタヒコの岡山遠征の時代とピタリと
重なります。
終末期がその時代ではないでしょうか。
それ以前にも、鉄製品が出ていますけど、どこの鉄だろう?
もしかしたら、丹後半島から持ってきているのかもしれない。
もしそうなら、かなり古くから交流があったと考えられます。
飯梨川の砂鉄をどこかで製鉄をしたものと言う考えも否定できませんけど、
後期後葉、終末期が圧倒的に多いということは、この場所がサホヒコ、サタヒコの拠点で
鉄素材は、丹後半島から来ているという可能性が高いのではないでしょうか。
とすると、五斗長垣内遺跡で使用していた鉄素材は、丹後から来たかもしれません。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます