たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

猿田彦の伊勢での時間 その11 八尺瓊勾玉

2022-10-18 05:04:46 | 猿田彦
外宮については、以下のように言われています。

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478年(皇紀1138)、雄略天皇 即位22年(崩御の前年)に伊勢神宮外宮を建立したと伝えられる。

豊受大神を丹波国の真奈井原(まないはら)から伊勢山田原へ、天照大御神の食事を司るための神として遷座したことが起源
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前にも書きましたけど、おいら、勘違いをしていたみたいです・・・

三種の神器で御霊を宿したのが

八咫鏡は、天照大神=伊勢津彦=サホヒコ(当時は、天照大神と言われていたのかどうかは不明です)

天叢雲剣は、スサノヲ=彦坐王

尺瓊勾玉ですけど、これをアジサハヒメと思っていましたけど、どうも違うようです。

アジサハヒメ(アメノウズメ)の御霊は、丹後に居たままだったようです。

そうすると、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)には誰の御霊が宿しているのでしょう?

以下、八尺瓊勾玉についていろいろ調べてみました。
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八尺瓊勾玉は、玉造部(たまつくりべ)の祖神である玉祖命(たまのおやのみこと)が

作ったものとされ、八咫鏡とともに榊(さかき)の木に掛けられた。


現在では、御所の天皇の寝室の隣に土壁に囲まれた塗り籠めの「剣璽の間(けんじのま)」があり、

そこに神剣(天叢雲剣の形代)と神璽(八尺瓊勾玉)が安置されている。


皇居・賢所にある鏡と御所にある剣は「形代(かたしろ)」ですけど、尺瓊勾玉は、本物。

大きさは、子供の頭ぐらい。
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どうでしょう?    なにかわかります?

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