たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

伊勢津彦 伊勢に向かうその5 赤郷遺跡

2020-11-03 13:47:59 | 神社
赤郷遺跡

こちらに詳しい発掘の結果が書かれています


三重県鈴鹿市秋永町字赤郷 1823 番

赤郷2号墳    標高 10.5m



ここの発掘により、弥生時代後期ないしは古墳時代前期における集落の存在が明らかとなったとのこと。









三角縁神獣鏡が出てきたそうです!

川の近くですね。


神社ですけど、候補が3カ所ほどあります


それについては、次回に書きたいと思います

倭姫命は、ここに立ち寄ったのでしょうかね?

資料は、何もありません。





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伊勢津彦 伊勢に向かうその4鬼田神社(きたじんじゃ)

2020-11-03 13:43:43 | 神社
伊勢津彦と彦座王の向かった次の候補地は、鬼田神社

三重県鈴鹿市木田町2365

由緒不詳

主祭神 《主》大山津見神,《配》大雀命,豊宇気毘売神

標高 25.7m



なんで「鬼」の字が出てくるのだろう?

どうも、川の北なのでそれが、鬼田と書いて「きた」と読むらしい・・・

地名は木田ですね


倭姫命の足跡はここにもありません

近くには、伊勢国分寺跡もあり古くから栄えた場所でしょう





長い参道








川神社の飛地境内社として存在と言われますが、地形的にみると逆のように感じます。

その、川神社の場所は、鈴鹿川の対岸




標高13m








横にはもう一つ



山神様


そういえば、以前訪問したところでも山神様は見かけました。

何か関係でもあるのでしょうか?






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伊勢津彦 伊勢に向かうその3、移田神社(いだじんじゃ)

2020-11-03 13:41:46 | 神社
伊勢津彦と、彦座王が、次にたどり着いたのは、ここ「移田神社」と思われます。

倭姫命の足跡はありません




急な階段を登ってたどり着きます。







横から見た本殿



駐車場はこの右手なので、実際はここから入りました



三重県三重郡朝日町埋縄980




標高 22.5m

東を見ると

これで納得しました



1800年前は海であったであろう場所でしょう




創祀年代は不詳

明治四十一年に井後神社に合祀され、その後、平成十一年に返還し、井後神社から独立、旧地に再建

ですから、建物は新しいです

祭神    建速須佐之男命、天照大御神、応神天皇、大山祇神。

移田神社の本来の祭神は 「埴安姫神」



天照大御神と応神天皇は近隣の神社の合祀による祭神とのこと


参考までに移後神社の画像もご覧ください



移後神社は、現在の地よりやや離れた場所から移転してきているようです。



こちらも、急な階段を登ります

もう一か所



標高は19,3m










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伊勢津彦 伊勢に向かうその2、多度に到着

2020-11-03 13:39:44 | 神社
次に、伊勢津彦と彦座王が、船で寄ったと予想される場所は、

宇賀神社あたりと思われます














三重県桑名市多度町柚井1564

標高22.7m



祭神


宇賀乃御魂神(稲造・食物・商売繁昌の神)
大山津見神(山の神)
火之迦具土神、火之炫毘古神、火之夜芸速男神(火の神)
表筒男神、中筒男神、底筒男神(航海舟便の神)
大巳貴命、少彦名命(医薬の神)

道を登っていくと、多度山の頂上まで行けます。



頂上は、見張り場だったのでしょう

狼煙など上げたのでしょうか?



おいらは、途中であきらめました・・・

でも、このながめ



名古屋方面です

途中



いるんです。



さて、倭姫命はと言うと、野志里神社に来られているようです





標高、6.4m


この場所は、かなり以前に訪れています。

確か巨木を見に行ったのじゃないかな?

このブログには記事が無いので、それ以前の別のブログでしょう。

かなり昔・・・

近くには、多度大社があります。

一度訪れたことがありますけど、なかなか雰囲気の良いところです。


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伊勢津彦、伊勢に向かう その1、巌神社

2020-11-03 13:37:14 | 神社

天日別命と倭姫命伊勢に向かうという題で書いていたものが間違いだったと気が付いて

すでに、だいぶ時間が過ぎてしまいました。

天日別命は、崇神天皇が派遣した人物で、伊勢をまとめていた伊勢津彦を追放して、伊勢の

辰砂と国土を乗っ取るために、派遣された人物です。

じゃあ、伊勢津彦とはだれ?

今まで、何回も書いてきましたけど、「狭穂彦」(さほひこ)と言って、彦座王の息子です。

彼について、いろいろと調べた現在思うことは、非常に聡明な人だということ。

だから、父親の彦座王は、彼を伊勢に連れて行きその場所を治めさせたのでしょう。

その結果、辰砂は彦座王ファミリーに流通していたと考えます。

その後、10数年後におそらく、彦座王が老齢で十分な行動が出来なくなったころを

見計らい武力で、伊勢を奪ったと考えます。

とりあえず、「天日別命と倭姫命伊勢に向かう」という題を、「伊勢津彦、伊勢に向かう」

に変更して、内容も直しながら新しくしていこうと思います。










岐阜県海津市南濃町庭田字古畑629番地の1

主祭神
伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)
伊邪那美尊(いざなみのみこと)
猿田彦命(さだひこのみこと)

創立年月日不詳








鳥居の手前には




拝殿



その奥が本殿でしょうか


標高24m

ここから川の方に下ると、いくつかの神社やその跡地があるようです。

それらはおそらく、船を停泊させた湊のようなところかもしれません。


ここの南にある山の山頂には、円満寺山古墳があります。

訪問はしていません 

このあたりです


さらに、貝塚もあるようです


倭姫命は、ここには訪れていません。

岐阜を出て、愛知県の一宮を通り、津島方面に向かったと思われます。

倭姫命の伝説については、こちらが詳しく書かれているようです。


愛知県愛西市には、奥津社古墳と呼ばれる所から出たであろうとされる三角縁神獣鏡が、

発見されています。




標高を調べたら、なんとー0.5m・・・マイナスです。

津島神社まで、3,7キロほど離れています。

関係があるかもしれないですね。



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正確な地図を作成してみました

2020-11-03 07:37:20 | レイライン


レイラインではありませんけど、面白そうなので正確な地図をgoogle地図で作成してみました


地図です

見ることが出来るでしょうか?

グーグルマップの貼り付け方法がいろいろ変わるようです。

グーグルの地図を見ると、やはり少しづつ誤差があるようですね。

それぞれの場所の関係がわからない。ただ単に、星の形が出来そうなところを選んで

結んだだけのような気がします。

飛鳥京、平城宮、平安京は、別のラインがあるように見えますけど・・・






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