知的成長戦略論-クールに生きる

かっこよく生きるためのメモ。
知的に成長し、どんな状況でも平静を保てる力を身につける。

デッサン。

2010年02月05日 | 自分の未来を組み立てる。
絵を描くときに、
 ラフなスケッチからはじまって、
 描きこんで、塗り重ねていく
という流れをとるそうです。

人生のデッサンも、そんな感じで、
 若いころはラフなスケッチ
でよいと思います。

どんどん描いていくうちに、
 自分の描きたかったものが見えてくる
からです。

 自分のやりたいことが見つからない。
と嘆く人は、
 何を描こうかわからない
と、真っ白なキャンパスの前に座っている状態です。

これでは、絵は完成しません。

 とりあえず、下書きのつもりで描いてみる
と必要なものが見えてくると思います。

例えば、あまり興味はないけど、
とりあえず、セールスの仕事についてみる。

自分はあまり売れない。

何が悪いんだろう。

先輩は何がよいんだろう。

仮説。
検証。

仮説。
検証。

こうやっているうちに、
 スキルが身についていく。
 知的成長
というわけです。

そして、次のステップとして、
そのスキルを生かしながら
 もっと収入を上げられること
 もっと楽しんでできること
はないかな。
と転職を考える。
もちろん、その会社で出世を目指すのもよいわけです。

このような人は、確実に、白いキャンバスに絵を描いています。
絵具も塗り重なっていきます。


最近、薄っぺらい本が多くなってきています。
本を知名度を上げるためや、セミナーに誘導するために書く人が増え、
売れればよいという出版社によって、出版されるからです。

その中にあって、何度も塗り重ねられた本も存在しています。

 このような良い本を見つけて、読んで、吸収していく
ことが、自分の人生をどう描くかにおいて、重要であると思います。
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演じるスキル。

2010年02月05日 | 自分の未来を組み立てる。
朝青龍の引退からは、いろいろ学べます。

横綱は、負け込むと引退しなければならないため、
 強いこと
が条件になります。

また、国技という観念があるため、
 品格
も条件となるようです。

強くなれば品格が身に付くわけではないため、
 別のスキルとして身につける
必要があります。

朝青龍からすれば、
 強いという条件を満たしている
わけです。

品格がないという点で、
 批判されて引退へ
追い込まれていきました。

 横綱はこういうもの
というイメージを設定し、
 それにふさわしい力や品格がないと排除する
というルールがあるわけです。

これに対応するには、
 そのルールを変える
か、
 そのルールを受け入れる
という方法しかありません。

ルールが
 コントロールできるもの
であれば、
 変えることにエネルギーを集中し、
ルールが
 コントロールできないもの
であれば、
 受け入れる
わけです。

ただ、品格がないのに、品格を備えることはできないので、
 品格があるように演じる
スキルが必要となってきます。
これが、対応する力です。

学校のルール、会社のルール、社会のルール、自治会のルール、マンションの規約・・
人が集まるところには、
 ルールや不文律(明文化されていないがみんなが想定している規則)
などがあります。

これに、背けば、袋叩きにあい、追い出されることになります。
刑法に違反すれば、社会から排除されて刑務所へ行くことになります。

相撲界も社会も同じです。


*****
マスコミは、
 視聴率が取れればよい
という価値観に基づいて行動しています。

視聴率を取るために、
 ニュースを作る
こともあります。

今回のケースはよい例です。
暴行問題で視聴率ゲット。
追い込み報道で視聴率ゲット。
引退報道で視聴率ゲット。
引退までの軌跡で視聴率ゲット。
今後の動向で視聴率ゲット。

かつての横綱で視聴率ゲット。

タレントとして視聴率ゲット。


これは、小沢問題でもいえることです。


報道は事実を伝えるものであって、
事実を誘導して作り出すものではない。
ということを、再認識する必要があります。

報道は、人を死へと追いこんでいきます。

「集団暴徒化論」というものがありますが(検索で出てきます)、
 集団化すると異常なコントロールできない力
が発生します。

ときどき、コメンテーターとして、人や社会を批判をしていた人が、
 ターゲットになる
ケースがあります。
某大学教授など。

時の人として称賛されていた人が、社会的に抹殺されるケースがあります。

集団心理は恐ろしいもので、
それを形成するメディアの力は、冤罪を生み出したり、
社会的制裁という名の重罰を与える恐れがあります。

罰を与えるのは、裁判所の仕事でメディアの仕事ではないわけです。

メディアが十分な証拠もなく、重罰を与え、人の人生を奪っておいて、
 誤報でした
と数秒報道して終わりということもあります。

視聴率を追い求める結果、
 人の人生を変える。

そして、間違っていたり、行き過ぎた結果を生じさせても
 だれも責任を取らない。

最悪なのは、誤報の原因を作った人のせいにして
 つるしあげたうえで視聴率をゲット
するケースもあります。

この段階では、
 自分たちが調査をせずに攻撃した
ことは、すっかり忘れています。



今回の件は、暴行等の内容は分かりませんが、
そんなことを考えるきっかけにもなるニュースだと思います。
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