知的成長戦略論-クールに生きる

かっこよく生きるためのメモ。
知的に成長し、どんな状況でも平静を保てる力を身につける。

地方崩壊論2(駅前マンションが都市機能を破壊する。)

2010年02月19日 | 国家論
効率のよい都市であるためには、
 人々の動きが効率的である
必要があります。

一番効率がよいのは、
 駅を中心とした街づくり
です。

人は、駅から少し離れた周辺に住む。駅までは徒歩や自転車で通う。
駅周辺には、商業施設、病院、市役所が集まる。

駅までは、バスが出ていて、みんなが利用できる。

なぜ、こういう都市がよいかというと、
 車を運転できない者も生活できる
からです。

東京にいると、車がなくても生活できます。

地方では、車がないと生活できません。
そのため、高齢者が軽自動車にもみじマークを付けて運転しています。

このような車がないと生活できないような地方では、
 高齢者の生活が非常に制限されたもの
になります。

70を超えるとなかなか運転も難しくなってきますし、危険です。

その結果、高齢者は、外に出ることもなく
 お金をつかう場がない
わけです。

地方のお年寄りがゆうちょにいっぱいのお金を残して亡くなることがありますが
 それは、使う場所がない
という原因もあります。

そうすると、経済のためにも、
 高齢者が病院へ行った帰りに、ご飯を食べたり、買い物をしたり、マッサージを受けたり
できるような、環境が理想的です。

高齢者の幸せにもつながります。

もちろん、こういう環境は、
 高齢者以外にも、学生など免許をもたない人にとってもメリットが大きい
わけです。

駅行きのバスの経営も成り立ちます。

現在は、地方のバス会社は悲惨なもので、
廃止路線が急増しています。

仕分け作業の時に、バス会社の補助金が打ち切られたら、
廃止せざるを得ないとされた路線もたくさんありました。

バス会社が成り立つかどうかは、
 都市構造がどのようになっているか
が、営業努力よりも重要であるということです。


現状は、郊外にショッピングモールができて、
駅前商店街が滅んでいます。

都市計画を立案する側からすれば、
 駅前は、街の人のみんなのために使ったほうがよい。
自宅やマンションを建てようものなら、
 そんな便利なところを一人占めするなよ。
ということになります。


人の流れは、週末に、郊外に向かうことになります。
駅前はガラガラです。
その結果、駅前商店街が滅ぶ。
この場合のリスクは、ショッピングモールに依存しすぎていることです。

ショッピングモールが撤退しようものなら、
 雇用も税収も、買い物の利便性も全てを失う
ことになります。

その結果、さらに遠い、隣町のショッピングモールに出かけなくてはならない。


そこで、出てくるのが、
 次の流れ。
それが、ネットショッピング。

これは次回。
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地方崩壊論(駅前商店街の滅亡)

2010年02月19日 | 国家論
地方の悩みどころは、駅前のシャッター街です。

昔は、栄えた商店街が時代に適合できずに売上減少。
子供たちは、こんな店は継ぎたくないと独立。
後継者はいないし、売り上げは少ないので、店じまい。

一店舗が占めると、次々と雪崩が起こる。
シャッターがしまった店があるというだけで、商店街全体の商品価値は落ちる。
そのため、人通りが減る。
それにより、全ての店の売り上げが落ちる。
よって、崩壊。

気がつくと、普通の住宅が一軒建っている。
それが、増えていく。

商店街らしき面影は、なんとか銀座という名前だけになってしまう。


なぜ、商店街が崩壊していったのか。
こういうことを考えていくのも、問題分析のトレーニングになると思います。

すぐに思いつきそうなのが、郊外にできたショッピングモール。
これは、組合せによるイノベーションの発想です。
 スーパー+デパート+映画館などのレジャー施設+本屋+CDショップ+電気店・・・

大きな駐車場に、家族ごと大移動。
 お母さんは、洋服を見に行きたいんだけど。
 じゃぁ、僕は本屋に行ってくる。
 父さんは、カメラを見たい。
 では、何時にあの店の前に集合な。
 遅くなりそうだったら、携帯に電話しろよ。

ご飯を食べて、大きな荷物を車に積んで帰っていく。

これらは、商店街では不可能。
つまり、ライフスタイルの変化が生じた。

これが、利便性からの考察。


そして、個別の観点からみると、
子供は本屋へ移動。
 町の本屋にはない本がたくさん置いてある。
 町の本屋は、いつ仕入れたのかわからない黄ばんだ本がほこりまみれになっていた。
 ここは、きれいな本ばかりが並んでいる。立ち読みも気兼ねなくできる。
 コンピュータによって、新刊の検索も思いのまま。
 店員も研修を受けた丁寧な受け答え。
 子供だからといって客と思わないような無礼な親父はいない。

お母さんはブランドショップへ移動。
 町の服屋にはないブランドの服がたくさん置いてある。町の服屋はおばさんのものしかない。
 試着も自由自在。気兼ねなくできる。
 買わなくてはいけないようなプレッシャーを醸し出している暇な店員もいない。
 商品も新しいものばかり。
 それに、セールしていて安い。

お父さんは電気店へ移動。
 たくさんのカメラに囲まれて幸せそう。ボーナスで買う一眼レフを探している。
 店員の商品の知識は多い。
 特定の機種を売ろうとはしていない。
 ポイントもついて、値段もかなり安い。

フードコートへ移動。
 ファーストフードでもそこそこおいしい。メニューも豊富。
 チェーン店なので安心。
 食べる場所も、広くてきれい。
 子供がいても気兼ねなく食べられる。
 おばちゃんが一人で作っている小汚いパイプ椅子の店内とは、かなり異なる。

駐車場へ移動。
 大きな荷物もカートでラクラク運搬。
 駐車スペースも広くて停めるやすい。もちろん無料。
 いつ来ても、駐車できる。


こう考えると、普通に考えて、商店街に勝ち目はない。
そのため、全国でショッピングモールが20キロ圏内にできると、
 商店街が近いところから壊滅していく
ことになります。

問題は、商店街が駅前という立地が良いところにあること。
駅前がさびれていき、郊外に人の波が移る。

しかも、商店街は、立地の良さから住宅地やマンションに
とってかわられる。

それが今、地方で起こっていることです。


都市計画に携わっている友人の話では、それにより
 都市の価値は減っていく
ことになるそうです。

理由は、効率性。

この点については、次回。
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