知的成長戦略論-クールに生きる

かっこよく生きるためのメモ。
知的に成長し、どんな状況でも平静を保てる力を身につける。

メディアとの付き合い方2。有効利用。

2010年02月08日 | 自分の未来を組み立てる。
 メディアは、危険な面がある。
 だから、見ないようにしたほうがよい。
という人もいます。

しかし、知的成長を目指す場合、
 メディアの排除はデメリット
のほうが大きいと思います。

これは、ネットも同じです。
 有害なサイトがあるからといって、見ない
という選択をすると、
 情報が限られてくる
からです。


 要は、自分で判断して、取捨選択できる
ようになればよいわけです。


情報はたくさんあったほうがよい。

そのために、媒体は色々あったほうがよいし、
学ぶ方も、いろいろ関心を持った方がよい。

これが、知的成長にとって大切な考え方です。

どの大学も一般教養の授業があると思いますが、
あまり重視されていません。
大学に入った解放感から、単位さえ取れればよいという人がほとんどです。

ただ、ここで意識をもって学んでおくと、
 将来、何気ないところでヒントになる
と思います。

 専門知識が重要だとか、スペシャリストの時代だ
とか言われていますが、
僕は、これからは、
 幅広い知識と専門知識の両方が重要
となってくると思います。

専門知識は、どちらかというと
 効率化

 質
という面で、有効なものです。

しかし、これからの新しいものを作り出す時代では、
 創造する力
が必要となってきます。

そのときのアイデアは、
 複合的な知
が重要となります。

アイデアは、知と知の組み合わせです。

そのときには、知は同じ領域のものだけではなく
 全く違う領域の知があったほうがよい
わけです。

斬新なアイデアというのは、
 同じ専門分野ではなく別の分野から生まれる
からです。

商店(指示して袋詰めしてもらう)
→スーパーマーケット(自分で棚から取る。カートはもともと運送器具。)

ヒットしたビジネスシステムも異業種の組み合わせであることが多いといえます。
WII   テレビゲーム+リアルなスポーツ(体感ゲーム)
IPOT  音楽プレーヤー+ネット通販+画像の再生


業界の外からのほうが、新たなアイデアが生まれやすいということからすると、
 一般教養もためになる
といえます。

こういった専門外の幅広い知識は、
 自分だけで入手することは困難
です。

そのため、他人の教えをこう必要があります。

その際に、
 本やメディアのインタビュー
が有効です。

メディアも為になりそうなものがあるので、それを利用するということです。
 使えるものは、何でも使う。
これは、知的成長の基本です。

どんな人やモノにも、学びの要素はあります。
 社内で最も嫌われている人
がいたら、最高の教材になります。
その人と反対のことをすれば、良いわけですから。

それに、
まったくオリジナルな人生なんて(仮にあっても)
 つまらない
と思います。

世の中には、ためになること、感動することがいっぱいあります。

おいしいレシピ、素晴らしい電化製品、歴史を重ねた時計、熟練の技、職人による建造物、感動させる絵画、命を削って造られた音楽・・・

世界中には、すごいものがたくさんあります。
メディアを通じて、それらに触れることもできます。


鎖国政策をとっていると、世界の流れからは遅れていってしまうことは
 江戸時代
を学べばよく分かると思います。

もちろん、鎖国的生活が、ライフスタイルとして好きだという人はそれでよいと思います。
現に、山で自分で作物を育てたりして、幸せに暮らしている人もいます。
それが個性であって、それを他人も認めて尊重することが大切です。
(日本は、人と違うことをやろうとすると、批判したり、つぶしにかかるという風潮が強い。)

ただ、僕には、山での生活は、まだまだ早すぎるようです。
もっともっと素晴らしいものに触れて、感動したいと思います。

職人の腕を実感して、
 これを作るのにこの人は何年費やしたんだろう
とその人の人生をイメージするのが楽しくて仕方ない。

目の前のオーボエ奏者の音大時代を勝手にイメージして膨らませたり、
フレンチのシェフが修行時代、先輩からどやされながらも、必死でジャガイモの皮をむいているのをイメージしたり。

 ここまでたどり着くのに何年もかかりましたよ。
的な話を聞くと、妙にうれしくなり
 ある程度のお金を払わないと失礼だよな
と思えてきます。

そして、
 自分も、もっと努力しよう
という気になってきます。

スイスの時計工房では、
 1本数千万円もする腕時計が作られている
わけですが、その値段となるだけの理由があります。

そして、100円ショップで時計が売られている時代に、
 10万倍の値段がついても売れる
というのは、クールだと思います。


確かに、年収300万円でも幸せに暮らせると思います。
幸せとお金とは強固な因果関係はないからです(緩やかな因果関係はあると思いますが)。
でも、年収300万円では、足を踏み入れられる世界には、限りがあります。

もっと、いろいろな世界を見て、感動したい。
だからこそ、知的に成長して、いろいろ学んで、
 自分の価値を高めていく。

お金が目的ではなく、お金を使って得られる感動が目的であるわけです。
ここでも、
 目的と手段の峻別
はとても大切です。
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