年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

病院へ

2013-05-23 00:00:00 | Weblog

 

 母親と弟の二人は、身体の調子が悪いとなるとすぐに病院へ駆け込むことになる。それが日替わりのメニューのごとく、お互いに順番に入院退院することがこの数年の間の行事になっている。今は弟の番。今回はトイレに行こうと歩いていく途中に二人で倒れたこと、咳が一日中止らないために検査すると肺炎だと診断されたことで、嫌がる弟も入院することになった。弟のいない家で一人住む母親も気になり毎日病院へ顔を出したい様子ではあるが、足腰が思うようにならず行くに行けない。当然ストレスがたまることになる。また弟の方もなんやかんやと母親から身の回りのことを指示されることを嫌いあつかましがっているようではあるが、一人でお箸を持って食事することが困難につき、スプーンで幼児のように口にゆっくりと、しかもこぼしながらご飯を口に入れるので弟も母親の介助を欲しがる。だから、いたたまれなくなるのか、母親の方も食事介助の手と指示する口が同時に動くようになることが日常である。考えてみれば、これが逆になっているのが通常だろうと思う。63歳の弟が91歳の母親の食事介助をしたり身の回りの世話をする光景が普通に考えられる。でも全く逆の老老介護状態。弟の身体も長年にわたる透析生活のために、腕に作ったシャントが数か所あり腕がボコボコ、足などは骨と皮だけで筋肉がない。

 これら二人を妻と私と妹の3人がお互いに連絡しながらカバーしている。で、今日の午後仕事中の私のケータイに母親から電話が入った。今日は仕事してるのか・・・今から病院へ連れて行って欲しい・・・と。この病院といってもよく聞いておかないと、母親の病院か、それとも弟の入院先か行先不明のことが今までもたびたびあった。しかも母親のかかりつけの病院も大学病院に始まって、近所のM医院、T病院、隣町のK医院、さいきんは整形外科にも行っているので我が家近くのM整形と5か所あり、今日はどこに行きたいのか、はっきりしないと間違うことになる。今日は弟の病院だとか。弟の入院先は、3人がカバーしているからOKであるけれど顔を見たいのだろう、夕方連れて行くことにした。車の中で母親は、自分の年も考えず弟に対して、いつまで生きているかわからないから好きなようにさせてやりたい・・と母親は云っていた。

 振り返ってみれば、当時こちらにいなかった私に代わり、元気なときの弟が身体の弱った父親の日常を母親と二人で面倒見ていたので自分も弟に対しては借りがある感じではある。

 5月26日が父親の命日になる。父は76歳で亡くなった。