先日以来ホームセンターの店先には、カーネーションの切り花や鉢植えが所狭しと、お母さんありがとうと印刷されたメッセージを添えて置かれている。スーパーに行っても母の日に合わせた商品をPOP広告と共に前面に出して消費意欲をかりたたせる。
いつからだろうか、例えば女性から男性への好意の証が?チョコレートであったり、信仰に関係なくキリストの誕生日がビュッシュ・ド・ノエルのケーキではなくデコレーションケーキであったり、同様に母親への感謝の証がカーネーションであったりする、そのような風習が定着したのは。
「感謝」を具体的に表現することをもう一度静かに深く考える。感謝をするってことは、どういうことなのだろうか。互いの利益関係の中にあるのだろうか、損得の中で得の側に回って感謝なんだろうか、例えば人は一人では生きてはいけないことのスタートとして母親との出会いがあるけれど、この世に送ってくれた人に対しての感謝になるんだろうか。でももとをただせば感謝をすることに自分自身が気付くことが最初になければ、ちょっとおかしくなると思う。
健康で毎日を送ることができる、ご飯を毎日食べることができる、たくさんの笑顔を受け取ることができる、たくさんの笑顔を届けることができる、辛い困難を乗り越えることができる、悲しみの現実を与えてくれる、それらすべてが感謝なんだろう。
具体的に、感謝を自分のすべてを使って表現する、感謝を伝える意味を考えたいと思う。なぜ母の日にはカーネーションなのかを考える日でありたい。
しかし私達夫婦の場合、とりあえず送られた孫の笑顔の写真を見ながら、孫にもこの世に出てきてもらってありがとう、との気分。来週その孫たちがやってくる。
昼ご飯を食べながらテレビを見ていると、地方局の「もぎたてテレビ」をやっておった。すると、先日、ウドでお世話になったジュンちの息子・シンゴが店長さんで画面に現れた。店はおむすびを出す「銀むす」。