年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

この頃

2011-12-19 00:00:00 | Weblog
 土曜日にお葬式があったのは、同じ職場のNさんのお母さんが亡くなられたからである。最後は終末ターミナルのべテル病院であったとお聞きした。それまでNさんは、気丈にふるまっていて、時々時間休を取ったり、また一日の休みを取ったりあわただしくしていられたので、本人からは覚悟をしております・・などと聞かされていた。90歳だという。で、今朝告別式に出席された職場の人に様子をお聞きしたところ、静かでよいお別れができた、と聞いた。そして山本モナさんも出席されてとてもきれいであったなどと。Nさんの甥っ子さんの結婚相手は山本モナ、今中西モナさんである。
 Nさんとは職場も同じであるが「こころ塾」でもカウンセラーをやってもらっているので土曜日にカウンセリングがあるときなどは、塾においても会うことが度々ある。様子が気になる。長い看病疲れとお葬式があったので、今夜電話を入れた。まづ、眠れるか、と聞くと眠剤を飲んでいるから少しは眠れるよ、と聞こえた。やっぱり寂しくなったね、どんな病気していても生きていてくれるだけでもうれしいからね、たくさん泣いたか、余りあるほど涙は出たか、と聞くと、出せるだけの涙は出ました…などと話しているうちに、Nさんの電話声は涙声になってきた。どのようにこれからお母さんとつながっていけばいいのだろうか、そのような話をしてケータイを切った。無常とはいえ,目の前の温かいものがなくなることは、やっぱり寂しい、そして余計に愛おしくなってくる。この頃親が亡くなった話を聞く機会が多くなった。

2000から7へ

2011-12-18 19:25:37 | Weblog
 やっとPCが使えるようになった。実は、先週まで動いていたPCがとうとうダウンしてしまったのでマシーンとソフトを新品にしたのである。20年近く前のW95搭載をスタートして以来W98からW2000に替えてWXPをパスしWビスタなど目もくれずW2000だけで頑張っている間に次々と、例えば富士通PCはゴミがたまってそれが発火し煙が出てダメになり(火事には至らなかった)、ついこの間まで使っていたマシーンは、開けてみれば蜘蛛の巣が張っていて、それでショートしたものか、全く動かなくなり、PCが使えなくなった生活が1週間も続いていた。で、妻が、んっじゃ誕生日プレゼントに新しいPCを買ってもよいというお許しが出たのを幸いに自分にはふさわしくないだろうけれど、新々型ソフトのPCを使うことになったのである。うれしい…。
 3男に4時から始まるクラブ3位決定戦を見に家に帰るのか、とケータイを鳴らすと、今見ているよ・・の返事あり。どこで見ているのかと尋ねると、横浜の現地で見ているよ、と観客席からの返事あり。アチャ~今朝の飛行機で行って品川の友達と一緒に競技場で見ておる、メッシやネイマールがボールを持つと7万人観客のどよめきが地鳴りのようだ、などと言っておる。くっそ~私も行けばよかった、と残念。それにしてもバルサのサッカーは違う、メッシのプレーは違う、常人のプレーではないよ…                           

予定の入っていない日

2011-12-17 00:00:00 | Weblog
 普段は月曜日から日曜日までの1週間、仕事日は無論、土日も何かしら予定が入っている日がほとんどで、いつもごそごそと動いており、落ち着きのない毎日であったのが、今日はケータイに登録している予定表では何も予定が入っていない空白になっている。実は前もって空白にしていたのかもしれないのは、今日が私の誕生日だからである。久しぶりにゴロゴロしようと思った。ホーム炬燵は先日からセットしているし横になれば快適である。でも、本日やりたいことは頭の中にある。一つは畑、サツマイモを掘っていない畝が1列あり、それを掘ることとこの前掘ったままあとの整理をしていない4列の畝に、これから雑草が生えるだろうからその対策にフィルムマルチをかけること、鉢植えが夏の花のままで、新しい花を植え替えていないから葉牡丹など植え替えたい、それに妻から言われている、玄関ドアの取れたねじを新しくつけなければならない…などと頭の中で整理するもこたつに入りゴロゴロしているとつい瞼が重くなる。気が付くと1時が過ぎていた。と、突然ケータイが鳴った。もう理事会が始まっているのですがどうしましたか…と「こころ塾」事務局長からの声あり。アッチャ~、忘れておった。今年最後の理事会が今日あったのだ。しかも、確か塾長のつねさんから、私の誕生日だから是非に本日お祝いを兼ねてしようと提案があったことを思い出した。突然にゴロゴロモードから戦闘モードにチェンジ、洋服を着替えてパッと出ていく。30分後に大街道にある塾に到着。心優しい塾長をはじめ役員さんは私の到着まで雑談で時間をやり過ごしていた。とりあえずケーキをいただきながら議事を進める。今年のつねさんの講演回数が162回あったことを聞いた。こりゃ、つねさんやり過ぎだわ、放電のしっ放しで、いつ充電するのか・・などと心配してしまう。
 NPO法人として、内容は優れているのではないだろうかと思う。収支バランス表、月次決算表を見ると確実に自分の足で動いている。心意気だけでスタートする多くのNPO法人が3年が来る前に運営ができなくなる例を見ているだけに、つねさんやスタッフの頑張りは、称賛に値すると思う。この前の自殺予防ラジオ番組を今年も作った。地方において懸命に支える人がいる。懸命に走りながらも限界を感じている人がいる。ウツ予防として隅々まで目を配って走り回っている、そのような人たちを今回は取り上げてラジオ番組を作った。
 

徳島から東京へ

2011-12-12 00:00:00 | Weblog
 前日夕方4時ころ自宅に帰った長男が今朝は、4時起きして11時発徳島港から出るフェリーに乗る。何しろスピードの出ない軽自動車につき、しかもミカン箱4個と冬用衣類やしかもいらなくなった祖母の新しい整理ダンスも積みこんでのことだから大変である。出航30分前に港に着いたようで、電話連絡があったのは、フェリーに乗り込んだ後であった。もうすぐ出航だとか、前夜ほとんど睡眠をとっていなかったので今から風呂に入ってビール飲んで、ガァ~と寝るよ…などと言っている声が聞こえてきた。長男の束の間の帰宅であった。

一時帰宅

2011-12-10 00:00:00 | Weblog
 母親のもっとも親しい従妹に「すみちゃん」がいる。二人は気が合うらしく特に母親が遊びに行って、アレが食べたいコレが食べたいなどと駄々っ子のような振る舞いにいつもニコニコと対応してくれる。幼児時代からの付き合いだから年季はかなり入っている。スミちゃんも70をとっくに過ぎており、ご主人さんは、私の父親と同じく郵便局で働いていたが10年ほど前に亡くなった。二人の娘さんも一人は、群馬大付属病院内科医師と結婚されて宇都宮市に住んでいて、もう一人の娘さんは、神戸とこちらを行ったり来たりの生活を長らく続けている。一人農業を営んでいるものの最近はやる気も失せたようで、娘さんと待ち合わせて北海道から九州まで旅行をしている話をよく聞かされ母親をうらやませている。先週も草津温泉で待ち合わせして温泉三昧の旅行をしたけれど疲れた・・・などと話してくれた。またお孫さんも内科医師としてインターンを終え本格的に医師としてデビューしているが、スミちゃんは、ナサケナイ孫でね~、と嘆いている。血を見ると気持ちが悪くなり、気分転換に休みを取って、おばぁチャンところに遊びに来ている始末・・・と嘆いている。スミちゃんの家族は、いつもにぎやかである。今夜も母親を連れて行くと、冷蔵庫の中から、いっぱい出してきて振舞ってくれた。母親は、次は、もらって帰るから貯金通帳も出してよ…などと冗談を言っている。唯一気の休まる身内のようだ。
 長男が夜9時発の夜行バスに乗る、と言ってきた。明日の朝着いて、友達に会って夕方帰宅する・・・と電話口でしゃべっていた。あさって車を持って帰る計画である。

仲間たち

2011-12-09 00:00:00 | Weblog
 忘年会のシーズンである。しかし今冬は断りたいものはできる限り断っている。しかし断ることではなく、私が一番の楽しみにしているのが夏の暑気払いと冬の忘年会を毎年欠かさずやっている県就職支援センター(今はないが)のメンバーの集まりである。メンバーには、ジョブカフェのOさんにKさんとハローワークからYさんに私、県若者サポートステーションからTさんとTEちゃんなど7人ほどがいつも集まっている。出席者はそれぞれ県内では、その分野でのリーダー的存在ではあるが、仕事の話が出ることはない。声かけ係の私から今年もやろうよ・・と皆に声をかけることにした。しかし皆さんに日程を調整しようと連絡すると父親が入院をした人いれば、奥様が手術した人、またうれしい話の方では、つい先日、初孫ができてお世話に忙しい人などそれぞれ多忙な様子である。そのために今年はどうしようかと私は迷っている。

 日曜日に長男が車を引取りに帰ってくる。弟が運転できなくなり、その車を長男に譲ることにしたためである。日曜日の昼前にこちらについて、翌日徳島からフェリーで東京に帰るらしい。

就職困難者であっても豊かな人がいる

2011-12-08 00:00:00 | Weblog
 Aさんは、うつ病と診断されて10年が経過する。治療薬は4種類あり、飲まないと調子が悪いのだという。私のところに相談に来られたのが5年前であった。その後、期間限定の仕事に就くことができてしばらく顔を見ていなかったが、期間満了となり、久しぶりに私のところにやってこられた。病気になる前までは大手の企業に勤められていたが、会社を辞めて、住宅ローンを返すことができない上に、奥様を亡くされて途方に暮れていられたのが5年前。子供が3人いて当時高校生と中学生の双子の3人を父親1人でどのように育てていけばよいか、悩んでいられた。何度も子供を連れて向こうに逝こうかと考えた、と話してくれた。それで、今日彼から話を聞いたことは、住宅は手放したこと、長男は防衛大学に入り仕送りをする必要がなくなったこと、また下の子供二人とも専門学校を卒業して今年から就職することができたこと…などとうれしい報告を聞いた。しかしまだまだ働かなければならず、自分の仕事を探すためにやってこられた。誰にも頼ることなく、頼るのは治療薬のみで頑張ってこられたAさんに、ただただ驚いた。がんばりましたね・・と声をかけるとひげを生やしたAさんは恥ずかしそうな顔をした。 
 Bさんが来られた。2回目の相談である。Bさんは、産業廃棄物の収集の仕事を20年していたが、社長と衝突して辞めた。雇用保険を受給しながら仕事を探していられる。辞めたわけをお聞きしていると、理不尽な社長のやり方に我慢が出来ず、とうとう辞めたのだ、と云った。Bさんも長年連れ添った奥様を昨年亡くされている。その奥様との間に遅く子供ができて、今年中学生になったばかりだという。なんとか子供が独立するまでは仕事をしなければならない、と云った。私は、再婚は?と話を向けると、とんでもないです、一緒に苦労した女房を別のお墓に入れるわけにはいかないときっぱり話してくれた。AさんもBさんも共通しているのは、奥様を亡くされていること、と子供のために仕事をしなければならないと話してくれたことである。そして再婚の意思がないことと二人とも口の周りにひげを生やしていたことであった。お二人のお話を聞いていると、まっすぐに生きている人の豊かさを感じ取れた次第。

氷の世界

2011-12-07 00:00:00 | Weblog
 たしか、秋田の農民作家・むのたけじさんの「たいまつ」に書かれていたと記憶している。少々寒い気温であろうとも、さらに気温の低い所で身体を慣らしていると温かく感じる、という話。確かに-50℃の場所で生活していると-30℃になると温かく感じることは理屈ではわかる。しかし自分は、寒い季節のほうが好きであるが、保温対策に難儀しておる。 

 作家・椎名誠さんも推薦する本、「マイナス50℃の世界」・米原万里を読む。
 今日の天気予報を見ていると、今日の最高気温は10℃になるとか、昨日に比べると1℃低いとかアナウンサーが言ってくれる。お~今日も冷えるなぁ・・などと思うも、北のほうはさらに低く、一けたの温度である。それではもっと寒い地方で暮らす人たちは、凍てつく所でどのような暮らしをしているのだろうか、と興味を持った次第。場所はロシアのヤクーツク市の日常生活をルポした内容で、-21℃は暖かい日であるらしい。人の身体は零下になっても調節が出来るようになっているのに驚く。自分など、冬山においてmont-bell登山グローブで両手をガードしているにもかかわらず-5℃でも手がしびれてしまうのに、今日の気温は-54℃です…などと発表されると、全身が凍りつきそうである。

プロって何よ

2011-12-06 00:00:00 | Weblog
 先週の土曜日の「こころ塾」・誰でもホットステーションのお題は、プロって何か、を皆さんから雑談しながらお話を聞く会であった。年齢層は30歳台から50歳台までの男女である。10人くらい出席していられた。鬱で苦しむ人、悩む人たちのお話をお聞きしていると話が深まっていくのがわかった。塾長のつねさんの話の引き出し方も上手く充実した時間であった。自分はつまらない人間だ、取るに足らない人間だ・・などと自分を受け入れることが困難な出席者が、懸命に考えていられる。マイナス側に重心を置いている方達が、自分のあこがれる人や生き方を想像しながら、自分の描く像をプロとして発表していられることが強く印象に残った。つねさんが私に話を振ってきたので、私が答えたものは、本当に言いたかったことは、実は皆さんもプロなんですよ・・と言いたかったけれど、実際は日常生活のプロの人のお話をした。つまり私が見た何気なくやっている人の長年培ってきた業や技についてである。
 今夜も家人は9時を回っても帰ってこない。ご飯は作ってあるし、あと何をしようかと考えた。今夜はオリーブオイルと塩コショウと缶詰の赤貝と大量に頂いたレタスの乱切りで作る自分流スパゲティ、それにブリのオーブン西京焼き、美味しい冬大根と油揚げの炒め物、残った大根で私は好きであるが家族が嫌いな大根擂りイリコみじん切りのせというまったく何を今夜の食卓テーマにしているのかわからないシェフの創作料理である。むろん今夜のテレビに登場していた料理家・栗原はるみさんと比べられるべくもない。(栗原さんは、あの声が好き、生きざまが好きなんです私は、ハイ)とりあえず二人分をテーブルに置いて、私は温泉に行くことにした。行き先は利楽温泉へ、久し振りに行く。玄関前に飾られたデコイルミがきれいであった。

 ウィークデーにつき通常650円のところが、割安になる入湯料400円のチケットを途中妹の家に寄ってもらって行く。だだっ広い温泉内は客も少ない。露天風呂には、誰もいない按配で平泳ぎなどもしてみる。暗い空には星が瞬いておる。リラックスのお風呂に手足を思いっきり伸ばす。そして気持ちよく風呂上りの火照った身体に冷たい夜風を車の中に入れて帰る。ふと刑務所のそばを通るとき、高い塀の中の住人は、独居房で、雑居房で、もう寝ているんだろうか・・などと想像する。近々ここを出てくる人の何人かを、私が就労支援をすることになるんだろう。ここを出ても家族から拒否される人あれば、肉親や恋人など待ち望む人もいるんだろう・・・などと思いながら塀の横を通って帰る。10時過ぎに帰っても家には明かりがついていなかった。

今週の目標

2011-12-05 00:00:00 | Weblog
 
 私の小学生の時のことをいまだに覚えていることがある。毎年やりたくもない級長に推薦され、したくもない学級会や朝礼、週の終わりの会などのことを思い返すと、先生によって先生により強く動かされていたことを覚える。特に月1回の学級会なぞ、前月の反省や来月の目当て、週末には今週の反省や来週の目標、また1日の終わりの会には今日の反省会があり、振り返ってみると、毎日毎週毎月毎年全員の目標を掲げ持ち、それが終わると各人の反省をし、それに見合う目標をまた作り・・それの繰り返しであったことを。担任の先生は、そのようにして自分達を指導していただいた。学級を取りまとめるのが級長の役割になるけれど、自分は何をまとめていけばいいのか、いつも苦労した。特に週の目標となると、この時期になると、寒くなり風邪引きに注意しましょう、などと大きな目標をたて、次にそれを守るために例えばうがいをしましょう、などとみんなの前で意見を聞きながら決めていたのかもしれない。とにかく教室の一段高いところで50数人いる前で喋るのがイヤでイヤでたまらなく、この会があると、いつもふさぎこんでいた。きっと今であれば不登校を選択していたかもしれない。
 そのような大昔のことをフッと思い出しながら今週も始まる。電車を降り、駅前に立つと、空はブルースカイ。雲一つ浮かんではいない。空を見ながら歩く。何時の間にか頭を上げて歩いていることに気がついた。自分は前屈みで猫背になって歩く習慣があるので、いつも目線は2~3m先しか見ていない。そうだ!今週の目標は寒いけれど頭を上げて目を50m先を見て歩くことにしよう、そうすれば背中も真っ直ぐに伸ばして歩くようになるだろうし、視野も広がる。決めた。今週の大目標は真っ直ぐ遠方を見て歩くこと。