大きな川がすぐ目の前に在り後ろには裏山があるどこにでもある小学校。この学校が悲劇に襲われた日は2011.3.11・
遺族側の訴訟により、本日仙台地裁から判決が下された。東日本大震災の津波で児童74人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校をめぐる訴訟の判決で、仙台地裁は26日、学校側の過失を認めた。震災から5年7カ月。
現地に昨年と一昨年と訪問。
私は、どうして早く子供たちを連れてすぐそこの裏山に行かなかったのだろうか、連れて一緒に逃げる決断を教員ができなかったのだろうかと現場にいて疑問を感じた。波がここまで来るとは思いつかなかった。
・・・だからこれを想定外だと言えばいいんだろうか。想定外の言葉を使えば神が許しを与えるのだろうか。
迎えに来た親が、先生に津波が来るから山に逃げようと・・云っても行動することなく運動場に「帰りの会」の集会のまま。市の広報車が早く逃げるようにアナウンスしていたにもかかわらず。先生たちはアナウンスに従うことなく何かからの指示を待っていたんだろうか。
韓国で「セウォル号」沈没の時、乗客よりわが身第1にと逃げた船長の道徳心をメディアは叩いた。危機の判断能力の貧しさを疑った。
しかし、ここでも危機の判断能力が教員になかったんだろう。危険の時の身の処し方まで誰かからの指示を待ってたんだろうか。時間が無い、とっさに判断すべきことであったにもかかわらず。
…とすれば、人為によるミス
ミスの根底にあるものは何だろうかと考えた。「命を守る」ことが学校教育現場の中でどこらあたりに位置するんだろうかとも考えた。
ここで児童たちはキャッキャッとはしゃぎながら遊んでいたんだろう・・
昨年の写真です。そして今年は、「3.11支援」を月遅れの4.6の日に訪問した時、賢治のこの文章を思い出して賢治のふるさと花巻へ足を伸ばしました。
「世界が全体に幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない・・・」 宮澤賢治
一方、この小学校から南へ車を走らすこと1時間30分ほどに女川町がある。女川中の学生達が作った石碑に書かれていた女子学生の文章に
「非常時に助けあうために、普段から絆を強くする」 とある。
想定外の非常時とはなんだろう、もしかして、自分たちは想定内の出来事の範囲内でしか想像力が働かない、考えることの出来ない訓えを受け、行動しているんだろうか。
大川小学校の校舎は2011.3.11を境に突然跡地になり旧校舎になってしまった。ここに今大型観光バスが観光客を乗せてやって来る。
(ネットから)
山側を後ろに川側に向かって子供たちの名が刻まれた慰霊碑がある。花が供えられている。一昨年の出来事、何気なく誰かがカメラのレンズをそこに向けていた時、そこにいた方から注意を受けた。「ここは観光地ではありませんからカメラはご遠慮ください。」と。未だ癒されない傷を持つ地域と人々の中に、傷を持たない人たちが傲慢に遠慮なくズカズカとその中に入り込んで行っている。
今日の勝訴で少しはホッとできただろうか。
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