年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

仙台の街も咲いてる

2016-04-06 00:00:00 | Weblog
 仙台市にある東北支援センターの2階で夕礼ミーティングを終え、明日の「お茶っこ支援」の計画などをスタッフさんから教えて頂いた後、夕暮れの街を歩く。昨年の「3.11」以来の街歩きは、まず定禅寺通りや青葉通りに駅前の大通り。大阪、東京と同じような高いビルが立ち並ぶ仙台市は東北6県の拠点政令都市でもあり勤め人が多い。ちょうど退社時間と重なる時間につきちょっと公園のベンチに座って眺めていた。仙台の桜は静かに花びらを落とすことなく品よく咲いている。

 全員黒っぽいスーツと白いシャツにネクタイ姿の群れを眺めながら、みなさん今日のお仕事はいかがなものであったろうなどとこの姿を10数年前に卒業した私はジーンズにスニーカーとジャージ姿の老人ルックで見ていた。
 桜咲く花京院通りの公園のベンチに座り、夕方から何度電話しても出てこない妻からのショートメールを見る。今日の5時からJ病院で明日の母親の折れたお尻の骨の手術のことについてDrから説明を受けているはずである。私がいない代わりに妻と妹が明日の手術の説明を受けたところ2時から4時までやります…白血球数が多いのが気になるけれど、この程度なら大丈夫でしょう・・・などといとも簡単にサァ~とやってサッと終わるくらいの感覚での説明であったようだ。私は直接Drにお会いしていないけれど、きっと手術大好きの人かもしれない。


 昨夜東予港から乗ったフェリーが大阪南港に着き、そこからニュートラムで隣駅のポートタウン東駅に降りると駅前の公園の桜も満開、

今日4月6日、どりゃぁ///などと叫んで咲いておる。関空までバスで移動、いつものLCCで仙台へ。

 家計簿付けるなどの計算をすることが大の苦手としている自分でも、スマホの計算機を出して計算してみたところ、いちばん高価な旅行は、船の旅、それから鉄道利用の旅と自動車の旅、もちろん空の旅もそれなりに高価ではあろうが、今日の自分の行程でいえば船便が最も高かった。でも船にはサウナ付きの温泉があるのがうれしい。

今日は天気よし

山には残雪あり

5年前の波の画像が今も脳裏から離れてはいない・上から眺めたこの海岸線も津波がきつかったのに・・過去のこととして忘却ポストに入れるんだろうか・・・

仙台空港も‟ともだち作戦”で5年前の瓦礫撤去の結果きれいになった。


 母親のことが気にかかる。昨日も病室に行き私の顔を見た母親が、アレあんた元気だったの?いつ東北に行くの?などと聞いてはいたが、妹の報告によると、私の顔を見つけるまでは朦朧とした意識の中にいたらしい。高齢によるボケなのかせん妄か・・・。気にかけながらの仙台までの移動。…で、考える。いったい自分は支援などと言いながら何のために行くんだろうか・・、と。一昨日は明瞭に母親は私に対してあのような大震災からたった5年しか経っていない。多くの人が癒されていない、あんたがそこに行くことは意義がある・・などと母親目線で話しながら、小遣いをあげるよ・・と0に近い預金通帳を出して、これを使って出して行きなさい・・などと話してはくれたが。私がハローワーク相談窓口に座っていた5年前の3月11日午後の時間、真っ先に知らせてくれたのは母からである。仕事などしている場合ではない・・早くテレビをつけなさい・・と私の仕事の状況さえ理解してくれない母親が一方的に伝えてくれた第一報の情報であった。
 考える。5年後の今も考える。支援する意味を、自分がここに来るワケを考える。私は母親の手術を妻や妹に立ち会うよう依頼し、そのようにしてまで私一人で仙台に来る理由を考える。付き添うことの意味を考える。そして生きることの意味を考える。強烈な喪失体験が一応に全員襲いかかり経験した地域において生きることの意義を見つけようと。

 支援センターに到着後、早速ミーティングを始めることになる。会を回すTさんから開口一番私に発言を促される。着いて早々なんでやネン・・・。問いは、なぜあなたはここに来たのか・・、何をしたいのか・・・などなどのこと。それに合わせて東京から来られたワーカーさんと共に行動する計画案のこと。

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