年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

「万引き家族」

2018-07-14 00:00:00 | Weblog

 「どこら辺りで自分の進む道を間違えたんだろう 」などの疑問符をつく文章に出合うことがある。きっとその文章を書かれた作家さん、あるいは人にとってみれば、今の自分のいる場所を見渡すと、歩き始めた当初に想像をしていたたどり着きたい風景とは違う・・何かを感じ取っているんだろうと自分は思う。

 何も物質的なものに恵まれてはいなかった当時の日本が(敗戦後の田舎に住む自分たちの幼少の頃)、先進国に欧州や米国に追いつけ追い越せ・・などと意識を高揚させ、国威発揚にあげたものは工業国日本であり、農業国日本ではなかった。物質的なものを生産し、豊かなものが満ち溢れることが幸福ニッポンの姿であろうと良き先人は考えたんだろう。工場生産に関して言えば、従順で、ある一定の均質の能力を持った人材が必要になり学校教育を充実させた。それには押し付け押し込み教育が近道であったろう。さらに新製品を開発するには高度な能力を持つ人材育成にかられ、目指すところは世の中便利になるようにと発見や開発を繰り返していったのだろう。

どうもそのひずみやほころびが映画となり本になって作品化されてる・・・ような。。
 映画を観る。
  奥さんからのお誘いもあり、かといって家の中は暑くて居れないので涼みがてらに映画館に行く。もちろん上着を手に持って。

 家族の絆をもう一度考えてみたい・・と思わせる映画である。自分自身は仕事で常日頃万引きなどの軽犯罪者には多く会ってる、覚醒剤家族やアルコール依存家族にも会って話し合ってる。1回や2回の万引きでは逮捕・起訴・刑務所の流れにはならないんだろうが、これが常習化するとⅠ刑・Ⅱ刑・Ⅲ刑となり罪名刑名刑期が付く。この映画の、生活を守るための万引きを背景に偽家族の絆、別名で偽家族愛と本当の家族員の絆や愛の落差を考えると、普通に仕事をして一生懸命に日常生活を守り、当たり前のように結婚をしてそしていつの間にか子供が加わり、フーフーハーハー言いながらも愚痴ったり笑ったりできる最も小さなな社会集団である家族のあり様が、いつの間にか過去の遺産となってはいないだろうかと思わせる。受刑中のそれらの人の家族愛は壊れてる。実父実母のたえぎる欲望の犠牲者として映るときもある。それはたいていは家族を守るべく実親の子への愛情不足として片づけられる。

 それにしてもこの映画セリフよりも登場人物の表情、ノンバーバル・コミュニケーションが面白かった。

 もう一つのシリアスな本は、先日読み終えた「サイレント ブレス」

 死にゆく老人に接すること。家族としては、自分もつい最近経験したところである。それでは医師としてどのように接すことが求められるのか・・・。このことにおいては医師は治療をする人、治す専門家の側面から見れば、死がまじかに迫っている対象者との向き合い方には、医学としての定義がないんだろう。死を敗北と見る限りは。死から生還する医療などあるんだろうか。但し、あるのは向きあい方であり対応などのテクニックに限るんだろうと思う。
 自分もこの4月頃に、医師から最期の看取りの仕方について意見を求められたことではあるが。母親の腕に現れたチアノーゼを見ながら応えたことは、自然な降下を医療の力によって妨げてもらいたくはない・・・と。


 終末期医療のこと。人は100㌫死亡するってことの中で、終末期をどのように過ごすかの選択肢は、元気なうちの自分たちの決断になるんだろうと思う。
 “Silent breath”言葉に発することのない「無言の息」はノンバーバルコミュニケーションを超えたブレスに違いない。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿