◆倭王 卑弥呼死す
不穏な倭國内対立を抱えるなか、倭王 卑弥呼が死去した。
國中喪に服する中、塚が作られた。その大きさは径百歩ほど、多くの奴碑が殉死した。
国情不安定ななかで、男王が、卑弥呼のあとを襲い新王となった。ところが、國中の臣民がこれに従わず、互いに殺し合う邪馬臺國内乱の騒擾となった。
そこでまだ若い十三歳の少女【臺與(原文では壹與)を着位させたところ、ようやく内乱は収まった。この決定は帯方郡の太守の認めた。
臺與は、倭の大夫である、率善中郎將の掖邪狗ら二〇人を魏に派遣し、張政らが洛陽に還るのを見送るとともに、魏の京都にのぼり、男女生口三〇人、貢白珠五千孔、青大句珠二枚、異文雜錦二〇匹を貢獻したのであった。
【私論 魏志倭人傳】
不穏な倭國内対立を抱えるなか、倭王 卑弥呼が死去した。
國中喪に服する中、塚が作られた。その大きさは径百歩ほど、多くの奴碑が殉死した。
国情不安定ななかで、男王が、卑弥呼のあとを襲い新王となった。ところが、國中の臣民がこれに従わず、互いに殺し合う邪馬臺國内乱の騒擾となった。
そこでまだ若い十三歳の少女【臺與(原文では壹與)を着位させたところ、ようやく内乱は収まった。この決定は帯方郡の太守の認めた。
臺與は、倭の大夫である、率善中郎將の掖邪狗ら二〇人を魏に派遣し、張政らが洛陽に還るのを見送るとともに、魏の京都にのぼり、男女生口三〇人、貢白珠五千孔、青大句珠二枚、異文雜錦二〇匹を貢獻したのであった。
【私論 魏志倭人傳】