暘州通信

日本の山車

◆臺岐國に至る

2018年04月18日 | 日本山車論
◆臺岐國に至る

 對馬國からまた海を渡る。この海を「(かんかい)」とよぶ。
 瀚海を渡ること一〇〇〇里にして「一大國」に至る。この一大國とは、臺岐國のことで、一大國と記述したのはおそらく誤記であろうとされている。しかし、元の名称が一大國であり、のちに一支國(臺岐國)になったかもしれない。
 私的には、臺岐國の名称は、宗像大社、邊津宮 の祭神である、イチキシマヒメノミコト(臺杵島媛命)を祭神とする島だったのにちなむのではないかと考えている。

 官制度が定められていて、
 大官は、卑狗(ひこ)
 副官は卑奴母離(ひなもり)
  とよばれるのは、對馬國と同じである。

 海中の絶島で四方、三〇〇余里ほどの広さがあり、竹や樹木が叢生している。戸数は三〇〇〇余戸ある。島は對馬國の四分の三ほどと小さいのに、人口はおよそ三倍の三〇〇〇人ほどが暮らしている。しかし、良田が少ないので食が不足している。
 臺岐國には、對馬國とおなじように、南北岸には市が立つ。

【私論 魏志倭人傳】

◆臺岐國に至る

2018年04月18日 | 日本山車論
◆臺岐國に至る

 對馬國からまた海を渡る。この海を「(かんかい)」とよぶ。
 瀚海を渡ること一〇〇〇里にして「一大國」に至る。この一大國とは、臺岐國のことで、一大國と記述したのはおそらく誤記であろうとされている。しかし、元の名称が一大國であり、のちに一支國(臺岐國)になったかもしれない。
 私的には、臺岐國の名称は、宗像大社、邊津宮 の祭神である、イチキシマヒメノミコト(臺杵島媛命)を祭神とする島だったのにちなむのではないかと考えている。

 官制度が定められていて、
 大官は、卑狗(ひこ)
 副官は卑奴母離(ひなもり)
  とよばれるのは、對馬國と同じである。

 海中の絶島で四方、三〇〇余里ほどの広さがあり、竹や樹木が叢生している。戸数は三〇〇〇余戸ある。島は對馬國の四分の三ほどと小さいのに、人口はおよそ三倍の三〇〇〇人ほどが暮らしている。しかし、良田が少ないので食が不足している。
 臺岐國には、對馬國とおなじように、南北岸には市が立つ。

【私論 魏志倭人傳】

◆對馬國に至る

2018年04月18日 | 日本山車論
◆對馬國に至る

 朝鮮半島から海を渡ると一〇〇〇里にして對馬國に至る。
この国には官制度が定められていて、
 大官は、卑狗(ひこ)
 副官は卑奴母離(ひなもり)
  とよばれる。
 海中の絶島で四方、四〇〇余里ほどの広さがあり、戸数は一〇〇〇余戸ある。
 山は険しく、道はあたかも獣道(けものみち)のようで、林は深く、良い田畑はないが、海産物が豊富なので、これで食を補って生活している。また、南北岸には市が立つので必要な物資は舟でそこまで出向いて入手する。

【私論 魏志倭人傳】

◆始めて一海を渡る

2018年04月18日 | 日本山車論
◆始めて一海を渡る

 朝鮮半島(韓半島)の帯方郡から倭に至るには、舟により航行し、韓國を経て、さらに、南へ、あるいは東に進路をとり、水行すること七〇〇〇余里で、北岸にある狗邪韓國(くやかんこく、こやかんこく)に到る。
 狗邪韓國の所在地については、すこし紛らわしいが、次の記述に「始めて一海を渡る。千餘里にして、對馬國に至る」とあることより、朝鮮半島の最南部にある國とされる。このことから釜山のあたり」とする説がある。

【私論 魏志倭人傳】