◆倭人の住む國
倭人の住む國は、朝鮮半島にある魏の一郡である、帯方郡の東南大海中の山島である。
以前は百余りの國が集まっており、すでに漢代の頃から中國への朝貢が行われていた。いま(『三國志 魏書、東夷傳倭人条』 記述中の時点では、そのうち三〇箇國と通交があり、言葉が通じる。
縄文時代終焉期とされる、紀元前およそ二千年ころから、北方から次第に南下していた縄文人らは、琉球人らと融和するとともに、北方に向かった支族は、九州南部に定着し、南方文化と祭祀を伝えて定住したと推察される。採集生活から、農耕生活へ変遷してゆく過程で、獲物を追う移動生活から定住生活へと変化していった。一族の人々が集落をつくって定住生活を営むようになり、集落の祖型は、グスク(城)と、ウタキ(御嶽)を中心に置いた山上祭祀が形式化していった。
九州から関東地方にまで及んでいたと考えられる祭祀の中心における御嶽の名称は痕跡状に現代に伝わっており、この信仰は様式は、山上祭祀としてさらに北方にまで伝播している。
この一軍に展開した氏族が、アメノミナカヌシノカミ(天御中主神)を信仰の対象とした【日氏】で、「ニギハヤヒノミコト(饒速日命)」によって九州から、大和に版図を広げていった氏族と推察する。
中國、朝鮮半島から、對馬、臺岐を経て渡来した氏族に、パダ(海)を祭祀の対象とする、海神(わだつみ)系氏族があり、その構成氏族は、カモ氏(賀茂、加茂、鴨)系氏族として
和田、羽田、秦、安曇、安積氏などを名乗るようになり、
九州から次第に北上し各地に集落を営んだ。
これが、【賀茂氏】、【秦氏】と推察する。
朝鮮半島から、對馬、九州に渡来した氏族に、スサノオノミコト(素盞鳴命)、オオナムチノミコト(大己貴命)を首長とする氏族があり、一族に武人集団を加えて強力な勢力となり、現在の、鹿児島県から、青森県に到る広範囲に展開した。その形跡は、平安時代の延喜年間に編まれた『延喜式神名帳』に記載される、大隅國から、陸奥國にオオナムチノミコトが祀られていることで実証されよう。
これが、【出雲氏】系氏族と推察する。
大まかに言って、縄文時代に続く日本の古代は、
【日氏系氏族】
【海神系氏族】
【出雲系氏族】
に三大別され、これら諸氏の覇権のあとが、魏志倭人傳の、「舊百餘國」であり、のちの、大和朝廷成立する以前に存在していた國ぐにで、のちの日本六〇余州と言われるようになった國の始まりだと考える。
【私論 魏志倭人傳】
倭人の住む國は、朝鮮半島にある魏の一郡である、帯方郡の東南大海中の山島である。
以前は百余りの國が集まっており、すでに漢代の頃から中國への朝貢が行われていた。いま(『三國志 魏書、東夷傳倭人条』 記述中の時点では、そのうち三〇箇國と通交があり、言葉が通じる。
縄文時代終焉期とされる、紀元前およそ二千年ころから、北方から次第に南下していた縄文人らは、琉球人らと融和するとともに、北方に向かった支族は、九州南部に定着し、南方文化と祭祀を伝えて定住したと推察される。採集生活から、農耕生活へ変遷してゆく過程で、獲物を追う移動生活から定住生活へと変化していった。一族の人々が集落をつくって定住生活を営むようになり、集落の祖型は、グスク(城)と、ウタキ(御嶽)を中心に置いた山上祭祀が形式化していった。
九州から関東地方にまで及んでいたと考えられる祭祀の中心における御嶽の名称は痕跡状に現代に伝わっており、この信仰は様式は、山上祭祀としてさらに北方にまで伝播している。
この一軍に展開した氏族が、アメノミナカヌシノカミ(天御中主神)を信仰の対象とした【日氏】で、「ニギハヤヒノミコト(饒速日命)」によって九州から、大和に版図を広げていった氏族と推察する。
中國、朝鮮半島から、對馬、臺岐を経て渡来した氏族に、パダ(海)を祭祀の対象とする、海神(わだつみ)系氏族があり、その構成氏族は、カモ氏(賀茂、加茂、鴨)系氏族として
和田、羽田、秦、安曇、安積氏などを名乗るようになり、
九州から次第に北上し各地に集落を営んだ。
これが、【賀茂氏】、【秦氏】と推察する。
朝鮮半島から、對馬、九州に渡来した氏族に、スサノオノミコト(素盞鳴命)、オオナムチノミコト(大己貴命)を首長とする氏族があり、一族に武人集団を加えて強力な勢力となり、現在の、鹿児島県から、青森県に到る広範囲に展開した。その形跡は、平安時代の延喜年間に編まれた『延喜式神名帳』に記載される、大隅國から、陸奥國にオオナムチノミコトが祀られていることで実証されよう。
これが、【出雲氏】系氏族と推察する。
大まかに言って、縄文時代に続く日本の古代は、
【日氏系氏族】
【海神系氏族】
【出雲系氏族】
に三大別され、これら諸氏の覇権のあとが、魏志倭人傳の、「舊百餘國」であり、のちの、大和朝廷成立する以前に存在していた國ぐにで、のちの日本六〇余州と言われるようになった國の始まりだと考える。
【私論 魏志倭人傳】