暘州通信

日本の山車

◆三角縁神獣鏡

2018年04月25日 | 日本山車論
◆三角縁神獣鏡

 景初二年(二三八)、邪馬臺國女王の卑弥呼は、はるばると魏に使者を派遣して朝貢した。これに対して、魏王はこれをよろこび、【親魏倭王】の称号と、【金印紫綬】を授けて、卑弥呼を邪馬臺國の女王であると同時に、倭の女王として叙し、【親魏倭王】の称号を授け、【金印紫綬】を与えるとともに、次の貴重な品々が下賜されたとある。
 紺地句文錦三匹
 白絹五十匹
 金八兩
 五尺刀 二口
 銅鏡百枚
 真珠、鉛丹 各五十斤
 この下賜品の中に【銅鏡百枚】とあるのが目を惹く。
 
 この「銅鏡百枚」として下賜された、鏡とは、「三角縁神獣鏡」であろうとされていて、この鏡の分布は九州はもとより日本各地に広がっていて、畿内(近畿地方)の古墳からも多くが見つかっている。
 このことはまた、邪馬臺國畿内説の裏付けとしていわば物証のように取りざたされる原因のひとつともなっている。
 この背景を考慮すると、卑弥呼はおよそ七〇國とある倭各國の首長の氏族に与えて同盟関係を結んでいたと推察される。且つ、それは國に与えたものではなく、国王に与えたものではないかと考えられる。国に与えたものであれば、国王死去後古墳の中に納めることはないと考えられるからである。
 さらに、各國王らは【鏡の所望】多く、卑弥呼は銅鏡百枚を拝領する前に鏡の希望を魏王に申し出ていたと推察される。魏に十分な鋳造の準備期間がなければ卑弥呼に渡すことができないからである。
 しかも、鏡は一〇〇面では不足した……。

 その不足を補うために追加を希望したのが、皇帝死去後の元号である「経書四年銘の鏡」であり、それでも足らない分が倭で鋳造された「仿製鏡」ということになるのではなかろうか。

【私論 魏志倭人傳】