暘州通信

日本の山車

◇00043 岸和田だんじり祭

2009年05月13日 | 日本の山車
◇00043 岸和田だんじり祭

大阪府岸和田市岸城町
岸城神社(きしきじんじゃ)
□祭神
スサノオノミコト 素盞鳴命
ホムダワケノミコト 品陀別命(應神天皇)
□祭は九月中旬。
だんじりを曳く。
□山車(だんじり)
・宮本町
・本町
・中町
・北町
・堺町
・南町
・大工町
・中之浜町
・紙屋町
・大手町
・中北町
・大北町
・五軒屋町
・上町
・南上町
・魚屋町
休止。
(順不同)

□汎論
 岸城神社の創祀の詳細は不明ウである。南北朝期に京都八坂神社より分祀を受けてスサノオノミコトを祀り牛頭天王社と証したと伝える。
 小出秀政が岸和田に封じられたが、妻は豊臣秀吉の母である大政所の妹で、つまり秀政は豊臣秀吉の叔父である。
 秀政は岸和田に築城し、京都岩清水八幡宮の分祀を受けて牛頭天王社の社地に八幡宮を祀ることになった。岸城神社の社名は明治維新以後の命名である。
 岸城神社の祭には全国にもその名が知られる「岸和田だんじり祭」が行われる。
 岸和田だんじり祭は江戸時代中期の元禄年間に始まったといわれ、当時は練り物、河内方面にいまも継承される「にわか」がおこなわれ、歌舞伎狂言が興行されたこともあるとも伝えられる。だんじりを曳き、観客を熱狂させる名物の「コナカラ坂のやりまわし」が行われるようになったのは明治中期以後のことである。
 だんじりの起源はその名称とともに不明な点が多いが、四国地方の沿岸部に遺存する「せき舟」にさかのぼるのではないかと推定する。太子町には陸引きの古い形式の「舟だんじり」が曳かれているのは貴重な例である。

□外部リンク
◇岸和田城 とだんじり祭り ~秋のプチ観光②
2008/10/8(水) 午前 1:02
... 秀吉の家臣・小出秀政が3万石で入封。 天正15年(1587年)本格的な城と ... ちなみに、 だんじり祭りの由来 とは、 岡部氏3代目岸和田城主長泰が城内三の丸に伏見稲荷神社を勧請し、五穀豊穣を祈願する稲荷祭りに領民の参拝を許したことが起源なんんだそうですよ。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/tomyu1999/58428258.html

◇岸和田城周辺
2008/7/7(月) 午後 4:42
... 衆の抑えとして中村一氏を城主として根来寺壊滅後は小出秀政(1587~1597)を城主とし天守閣を築き城を ... (写真) また、城周辺には武家屋敷・岸神社・だんじり会館・2つの茶室を持った五風荘・紀州街道の沿った本町の古い街並み ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/sonenishimachi/11887890.html

◇岸城(きしき)神社
2008/6/1(日) 午前 8:09
... 南北朝時代、京都の八坂神社を勧請し、牛頭天王社 と呼んで岸和田村の鎮守にしました。  のちに、 小出秀政が岸和田城を創建した時、八幡大神を合祀し、 代々の城主・住民に崇拝され ... 大変賑わい、 こなから坂をかけ上がるだんじりの姿は圧巻です。 http://blogs.yahoo.co.jp/tommbokatu72000/39466046.html

◇岸和田探索
2007/3/18(日) 午後 8:23
... 1585年(天正13年)豊臣秀吉の家臣・小出秀政が3万石で入封し本格的な城砦とし ... 有名な岸和田だんじり祭りは岡部氏3代目岸和田城主長泰が城内三の丸に伏見稲荷神社を勧請し、五穀豊穣を祈願する稲荷祭りに領民の参拝を許したことが起源とされる。 ... http://blogs.yahoo.co.jp/syasu2219chosaja/30066325.html

◇06113 卯辰神社祭

2009年05月13日 | 日本の山車
◇06113 卯辰神社祭

石川県金沢市東山(茶屋町)
卯辰神社(天満宮)
□祭神
オオクニヌシノミコト 大國主命
スクナヒコナノミコト 少名彦名
配祀
 スガワラミチザネコウ 菅原道真公
□汎論
 金沢市街地の東南(卯辰)にある山なので卯辰山という。卯辰山にある豊国神社
(とよくにじんじゃ)は、石川県金沢市の卯辰山にある神社である。
 豊国神社は豊臣秀吉を祭神とし、加賀藩三代藩主前田利常が併祀される。元和二年(一六一六)に藩祖前田利家の遺志を奉じ、利常が卯辰山観音院に豊臣秀吉像を祀ったのに始まる。徳川幕府に憚かり、表向きは山王社と称した。
金沢藩政期には、歴代藩主が金沢の産土神として篤く敬い、祭礼は金沢の総祭として行われてきた。
 卯辰神社(天満宮)の社地は越後の上杉謙信が能登の七尾を攻めたとき陣を置いた場所といわれる。天満宮はもと名園で知られる兼六園の竹沢御殿に祀られていたものを遷したものである。「卯辰のてんじんさん」として親しまれてきたが、菅原道真は副神で主祭神が韜晦されている。
 愛宕神社は火伏せの神として祀られる。ともに卯辰山三社という。
 幕末の慶応三年(一八六七)に卯辰神社が建造された。付随協賛して、木町一番丁、木町二番丁、木町三、四番丁の山車が建造され曳行された。しかし、明治二十三年の火災で、二番丁の舟山車、木町三、四番丁の山車は罹災し、菊慈童の乗る木町一番丁山車のみが残された。いまは木町一番丁の山車も曳行休止状態にある。