韮崎は両親の故郷、母の一番下の弟がいる。公務員を退職し、農業をしていたがいよいよそれも大変になって来たみたいだ。野菜がたくさん取れた時は送ってくれたり、いつも心のかけてくれていた。元気な姿を見せるととてもうれしそうだった。従兄弟たちも来てくれてしばし懐かしい話になった。
もう一人、県立医大の総婦長まで勤め上げ、趣味の山登りで気が合い、一緒にネパールに行った仲間だ。娘さんが管理栄養士ということもあり、郷土料理と何品か食卓に並び、楽しい一夜を過ごさせてもらった。
すでに時は1ヶ月を経過していた。私は本当に被災したのだろうか。時間が止まったような、もっともっと前に戻ったような不思議な気持ちになっていた。
それにしてもどこにいっても快く受け入れてくれ、また気を遣わないようにと、そこまでおおらかに接してくれたのには本当に感謝しかない。かといって流石に何日もいるわけには行かず、そろそろお暇をする時が来た。それに娘たち親子と一緒に過ごせる時間もなくなってきた。
帰路の大糸線では、いつになく風景を楽しむより、早く金沢に着きたい気持ちになっていた。