韓国の大統領が海上警察を解体して組織を造り直すという。しかし、韓国の姿を見ていると上辺だけ組織を造り直しただけでは安全を確保することはできないだろう。何故なら、韓国人の基本的な考え方を捨てて新しい安全の考え方に映らなければ元の木阿弥である。安全は表面的に何かをやったから、それでおしまい、というわけにはいかないのだ。国民自身が安全をどのように捉えているか、である。嘗て、日本も同じ轍を踏まないように徹底した安全教育を行った。当然、法整備も行うが、法律を作った、組織を変えた、だけでは安全な社会は造れない。
国の安全は国民の安全教育を徹底してやらなければできないこと。官僚が癒着に染まっていてはとても安全を確保することはできない。公務員が安全組織をどのように造ろうと、法律をどのように造ろうと、国民自身の安全に対する考え方がしっかりと心の中に入っていなければ絵に描いた餅になる。安全は運輸機関だけではない。建物、食品、など生活すべてに関係してくる。道を歩いていても安全なことが必要なのである。家に入っても安全な生活が必要なのである。社会全てが安全に暮らせるようにするには、国が全てを取り締まるだけではできない。
何故韓国で安全が軽視されてきたのか。それは、国の安全に対する教育が殆どされていなかったからである。適当にやっていればいいや、という感覚でしか安全を考えていなかった。事故に会うのは運が悪かったからだ、などという事しか考えていなかった。過去に地下鉄火災事故、デパート崩壊事故、などが起きたのに安全に関する施策が全く示されなかった。多くの人の命が失われてもなおかつ安全を軽視してきた付けが回ったのである。
国民の安全に対する心構えがどのようであったのか。事故の経過を見てみると、結果しか見ていない。学生が多くなくなった。荷物を積み過ぎた。海上警察が人を助けなかった。通報が遅れた。など多くの欠陥が報道されたが、それでは、事故を今後起こさないための方策が出てきたであろうか。組織を解体して新しい組織を作る。そんなことをしてもまた事故が起きるだろう。根本的な解決方法を考えていないからだ。トカゲのしっぽ切りで終わるのではないか。国民の安全に対する考えが変わらない限り。