出生前診断に対して、その目的から外れているかのような意見が出ている。しかし、『出生前診断、迫られる現実の選択…障害判明、中絶を「安易」とする意見は「当事者でない人の他人事」』と云うことが書かれていたが、ごく当然のことだ。何故なら、この問題はすべて本人が判断して決めることなのだから。例えば、生まれてくる子供がたとえどのような状況にあったとしても、育てるのはすべてその両親なのだから。他人がとやかく言う筋合いのものではない。
理想論を掲げるのは、特に医師たち。理想論を言っているだけで全てが解決するわけではない。生れてくる子供が身障者か健常者かによって親が育てることを放棄するわけにはいかないのである。生れて来たからには、どのような状態で生まれようと親は育てなければならない。それが親なのである。選択をする余地はない。医師は、出生前診断で障害が判明した場合に、生む、生まないの選択を示唆することは出来ない。
この制度を作るときに、そのへんのところは議論していたはずだ。今さら何を云うのだろうか。制度と云うのは、作る前に十分に議論を尽くしていなければならない。制度を作った後に、こんなはずではなかった、と云うのは議論をしていなかったのではないか。外国ではこの制度を取り入れている所が既にあった。それらの国で、どのように運用されていたか検討していたはずだ。恐らく今日本で問題とされていることは既に問題になっていたはず。
出生前診断がどうして取り入れられるようになったのか、その事が重要ではないか。取入れてプラスの面があればマイナスの面もある。制度設計の段階でそれをどのように考えて作っていくか、それは専門家が検討していたはず。今さら、と云う気がする。此の際は、理想論を言っている場合ではない。制度を作ったからには、より良い方向で運用をうまくやっていくのが国の指導ではないのか。まさか作りっぱなし、と云うことではないと思うのだが。とかく役人は制度を新しく作ったら、そのままほったらかしにすることが多い。またお役人の悪い癖が出たのだろうか。