一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

国技ってなんだろう

2010-09-14 05:42:00 | 日記
今大相撲が始まっている。日本には昔から「道」の付く競技がある。相撲道、柔道、剣道、合気道などである。一般的な感覚からすると、「道」が付いているのは総て国技なのかな~と思ってしまう。しかし、国技と云う言葉が使われたのは正岡子規となっている。(日本国語大辞典より)
ところが、公にはこの言葉は使われていない。所謂法律用語としては使われていないのである。日本相撲協会が相撲に関して「国技」と云う言葉を盛んに使っている。その他の「道」が付く競技では、あえて国技と云う言葉を使っていない。
相撲の起原は14世紀に遡る。この競技が日本独自のものなのかはっきりしないが、神事と繋がっていることは確かである。モンゴールには相撲に極めて酷似の競技がある。歴史を辿るとモンゴールや中国にたどり着く可能性は否定できない。
何故相撲が国技となったのだろうか。特別な理由が見出せない。剣道などは、昔の武士であれば総て身に付けるのが当然であったはず。武士にとって剣術は命を守るための道具の一部であったからだ。武具は誰でも身に着けているが、武術はその人が磨いたもの。柔道も合気道も同じ。武術として磨けば自身を守ることが出来る。現在のように飛び道具が多くなかった時代であればなおさらだ。
国技としての相撲道とはどのようなものなのか。詳しいことはわからないが、神事との関わりがあるということは、神社での行事の一部で行なわれていたということになる。確かに、神社の境内に土俵が作られていることもその理由であろう。ただし、明治以降神社が国教の如く扱われていたので、根本的なところで神事との関わりがどのようなものであったのか疑問が残る。
国技と云う言葉を余り強調しすぎると、違和感が出てくることも事実である。都合がいいときに使っているという気がするからだ。普段から国技として威厳が保たれていればいいのだが、横綱は強ければ言い、と云う感覚では国技と云う言葉は使えない。横綱として人間道と云うものも見なければならない。たとえ横綱が不在でも仕方が無いと考える。国技と云う言葉の重さを考えないといけないかもしれない。
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