今日から青森ねぶたが始まりました。帰り道が通行止めになってしまったから、というわけではないのですが、ねぶたが終わるまでの時間、「家の鍵」を見てきました。
原作はジュゼッペ・ポンディッジャの『家の鍵─明日、生まれ変わる』。彼の自伝的著作だそうです。監督はジャンニ・アメリオ。
ミラノに住む主人公ジャンニ(キム・ロッシ・スチュアート)は、かつて恋人が出産に際して命を落としたショックで、障害を持って生まれてきた息子を手放してしまう過去を持ちます。15年後、息子パオロ(アンドレア・ロッシ)を育ててくれた義兄に頼まれて、ジャンニはパオロをドイツのベルリンのリハビリ施設に連れて行くことになります。初めての対面の場所は、寝台列車の中。カメラは、眠っている(らしい)パオロをじっと見つめるジャンニの表情を追い続けます。私たちがパオロと出会えるのは、翌朝の食堂車。テーブルに座ってテレビゲームに夢中になっているパオロ。パオロは、先天的な脳性マヒに加え、高機能自閉症を負っている少年でした。初めて交わす父と子の会話。その短いやりとりが、この物語全体の導入となっています。
リハビリ施設やホテルでの生活を通して、父と子は少しずつお互いを理解し合っていきます。そんな中出会ったのが、パオロよりもっと重い障害を持つ娘を看護するニコール(シャーロット・ランプリング)です。ジャンニは、最初、自分の過去を話したくないという気持ちからでしょうか、パオロが自分の息子ではないと彼女に嘘をつくのですが、ニコールはそれをすぐに見破ってしまいます。ジャンニがパオロを見る時の目が、自分の夫が娘を見る目と同じだと言うのです。それもまた、障害を持った息子に愛情を感じ始めていたジャンニの心を鋭く見抜くものでした。彼女は、しかし、障害を持った子どもを育てることの大変さをジャンニに語ります。
その直後。駅のホームで自分がさっきジャンニに語った言葉を思い出すかのように、ニコールはじっと黙り込む。その時の表情がなんともいえない。気配を察して戻ってきたジャンニがそばに来たことを知ってか知らずか、彼女はおそらく人生で最初で最後になるであろう、ある言葉を吐くのです…。
このシーンはシャーロット・ランプリングの独断場。キム・ロッシ・スチュアートも全体を通していい演技を見せてくれますが、このシーンだけは完全に彼女に食われていますね。
その後、二人は病院を抜け出して、パオロの「恋人」がいるノルウェーに船で渡ります。ノルウェーに行くと知った時のパオロの底抜けにうれしそうな顔もまた印象的。パオロ役のアンドレア・ロッシは、自身、障害を持つ少年のようですが、まるでドキュメンタリーのような自然な演技を見せてくれています。おそらく、ジャンニとのやりとりもアドリブが多かったのではないでしょうか。作られた演技ではなく、自分のありのままを見てほしいという気持ちがあったのではないかと勝手に推測しています。
ノルウェーで二人は一緒に暮らすことを決めるのですが、しかし、パオロの気ままな行動にさすがに手を焼くジャンニの姿が描かれます。やりきれなさに車を降りて泣き出すジャンニ。それを慰めるパオロ。ノルウェーの荒野の中で、寄り添う二人の姿を見せつつ物語は閉じられます。本当に一緒に暮らせるのか、ジャンニの家は、パオロの持つ「鍵」で開けることができるのか。唐突とも思えるエンディングのせいで、そのことを逆に考えさせられました。
パオロにしてみれば、自分を一度は「捨てた」父に対して、もっと複雑な心境があったのではないでしょうか。果たして、何日か一緒に過ごしただけですんなり「父」と思えるものでしょうか。そのあたり多少納得いかない部分もありますが、ジャンニの見せる、「父」としての限りない優しさがそんな疑問さえ帳消しにしてくれます。
どっちに賭けると言われたら、私は断然、「パオロが家の鍵を手にする」方に賭けますね。
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