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「パンズ・ラビリンス」─おとぎ話と大人の世界と

2007-11-03 | ■映画
2006年/119分/メキシコ・スペイン・米国
監督: ギレルモ・デル・トロ
製作総指揮: ベレン・アティエンサ エレナ・マンリケ
脚本: ギレルモ・デル・トロ
撮影: ギレルモ・ナヴァロ
音楽: ハビエル・ナバレテ
出演: イバナ・バケロ/オフェリア セルジ・ロペス/ビダル
   マリベル・ベルドゥ/メルセデス ダグ・ジョーンズ/パン、ペイルマン
(C)2006ESTUDIOS PICASSO,TEQUILAGANGYESPERANTOFILMOJ.

スペイン語タイトル"EL LABERINTO DEL FAUNO"→英語タイトル"PAN'S LABYRINTH"→邦題「パンズ・ラビリンス」。

というわけで、スペイン語の"FAUNO"は、ローマ神話のファウヌス(牧羊神)を指します。では、英語の"PAN"とは何か。こっちはギリシア神話に出てくる、同じく牧羊神のパン。古代ローマの神々は、そのほとんどがギリシア神話を真似していますので、ファウヌスもパンも同じなのですね。要はどっちの名前を使うかの違いだけ。

ギリシア神話の牧羊の神、パン神は、山羊の脚とひずめを持ち、頭には角を生やした半獣半人の姿で描かれます。しばしば、ギリシア語で「すべて」を表す「パン」(汎=「パン・アメリカン」や「パンテオン」のパン)と混同されて、万能の神と誤解されてきました。パン神のトレードマークは、葦の茎で作った笛、パンパイプとかパンフルートと呼ばれる楽器です。パン神は、ひとけのないところに行くと、突然錯乱状態に陥ることがあるとされ、そこからpanic(パニック)という語ができたと言われています。

この映画、タイトルどおり、「牧羊神パンの迷宮」を舞台としたファンタジーです。

ファンタジー映画といえば、「ネバー・エンディング・ストーリー」とか「ラビリンス」とか「ナルニア国物語」、「ロード・オブ・ザ・リング」、そして「ハリー・ポッター」シリーズなどが思い浮かびますが、そのほとんどは、原作に基づいて作られた映画です。ハリー・ポッターはもちろん、「ロード・オブ・ザ・キング」はトールキンの『指輪物語』、「ネバー・エンディング・ストーリー」はミヒャエル・エンデの『はてしない物語』がそれぞれ原作となっています。そして、いずれも、主人公は子どもで、不思議な力の手を借りながら悪者をやっつけていく、というストーリーが基本。さらに、共通するテーマとして、人間の持つ勇気や強い意志、チャレンジ精神の大切さが強調されるという点を挙げることもできるでしょう。

そういう意味では、「パンズ・ラビリンス」は、これまでのファンタジーとは一線を画する作品と言えますし、何よりも、醜い現実世界と「ファンタジー的な世界」を明確に対比させているという点でも、これまでにない映画と言えます。

純朴な子どもが生きるにはあまりにも過酷な現実社会。そこから逃避してファンタジーの世界に安らぎを求めようとする少女。その二つの世界の間に横たわる溝は、とても深い。

少女オフェリアが生きる時代というのは、第二次世界大戦中のスペインです。現在、南米の国々がほとんどスペイン語を公用語としていることに象徴されるように、スペインという国は、17世紀頃には「太陽の沈まぬ国」と称される強大な国家でしたが、その後急速に没落し、18世紀初めのスペイン継承戦争でフランスのブルボン朝がスペイン王位を継ぐは、その100年後にはナポレオン軍の侵入を受けるはで、国際的な地位は急速に低下していきます。国内の政治もなかなか安定しない状況が20世紀に入っても続きました。

政情不安のなか、1936年、左派勢力が人民戦線政府を樹立し、社会主義的な改革を打ち出していきます。元・陸軍参謀総長で、人民戦線によって左遷されていたフランコは、人民戦線内閣を打倒するために反乱を起こします。この反乱はスペインを二分する大規模な内戦に発展しました。これが、この映画の背景に横たわる「スペイン内戦」です。

フランコ側には、共産主義打倒という共通の立場に立つ、ヒトラー率いるナチス・ドイツと、ムッソリーニのファシスト・イタリアが公然と軍事支援を行いました。こうして、30万人以上の死者を出したスペイン内戦は、フランコの勝利のもとに1939年に終結し、フランコはスペイン総統として独裁政権を樹立したのです。

内戦終結後も、ゲリラたちは山岳地帯に立てこもってフランコ政権に抵抗していました。「パンズ・ラビリンス」は、彼らを掃討するために森に駐屯するビダル大尉のもとへ、本好きの少女オフェリアが母とともに赴く場面から始まります。母は夫を亡くしたのちにビダルと知り合い、ビダルの子を身ごもる。すでに臨月を迎えていた彼女の体には、新しい夫を訪ねる旅は大きな負担でした。

ビダルは、極めて自己中心的で冷酷無情な軍人として描かれています。彼にとって、妻の体より跡継ぎである「息子」が大切であり、妻の連れ子であるオフェリアなんぞには目もくれない。ゲリラに対しても、ゲリラの疑いで捕まえた村人を虫ケラのようにあっけなく殺してしまう男です。オフェリアは、そんな新しい「父」から逃げるためにファンタジーの世界に迷い込んでいく…。

と、解説されていますが、よく考えると、オフェリアが妖精に導かれて「パンの迷宮」に入り込むのは、ビダルの駐屯する屋敷に着いたその日の夜なのです。まだビダルのことをよく知らないうちから、既に彼女は「ファンタジーに行っちゃってる」のですね。「パンの迷宮」は、昔々、人間世界に迷い込んで帰れなくなってしまった王女の帰りを待つ国王夫妻が住む王宮の入り口ということになっていて、オフェリアこそ、王女の生まれ変わりであるという設定…。「現実」が過酷であろうがなかろうが、最初からオフェリアは幻想の王国に行くことになっていたのです。2粒のブドウを口にしたゆえに、パンの掟を破ったとしていったんは見放されたオフェリアのもとに、取り立てて理由を述べることなく、再びパンが現れて「もう一度チャンスをやろう」と告げるのも、そう考えると納得いきますし。

では、なぜ現実世界を過酷なものに設定しているのか。その答えは、おそらくは「オフェリアの死」にある。現実の悲劇と、幻想の喜び。その対比を強調するために、あえて冷酷な大人による残酷なシーンを見せているのではないでしょうか。

オフェリアの唯一の味方が、メルセデスという女性です。しかし、彼女ですら、オフェリアの体験するファンタジーの世界は理解できないはずです。なぜなら、彼女が窮地に陥っても、ファンタジーの不思議な力が彼女を救ってくれることは決してないからです。悲しいことに、大人は、実際的なメリット、デメリットでしか生きられないのです。

そもそもクリーチャーたちは、大人の目には見えない。その理由は、「大人だから」としか言いようがない。大人であると自覚したとたんに、子どもの頃には見えていたものが、急に見えなくなるものらしいですね。

「残酷なシーンが多いから子どもには見せられない」というより、この映画は、子ども時代を忘れた大人こそ、観ておくべき映画だと思います。


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2 コメント

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ダーク? (れごまま)
2007-11-05 22:39:04
こんばんは
ダークファンタジーの「ダークって?ブラックユーモアのブラックと同義かしら?」ってのりで観にいきました。何が何が!これってR-15指定がついていないの?と聞きたくなるような映像の連続。

パンフにも書いてあったけど、宮崎駿の世界に似ていましたね。オフェリアもなんとなくあのアニメに出て来そうな風貌。地下に別世界があるって考える西洋文化と私たちの文化の違いが面白いと思いました。

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宮崎駿作品と… (やっぴ)
2007-11-05 23:43:47
れごままさんこんばんは。

R-15じゃないけど、PG-12だったみたいですね。パンフ見てないのですが、結構読み応えがある…という話も聞きます。

宮崎駿の日本的ファンタジーの世界と、共通点もたくさんありそう。宮崎作品はそれほど詳しくはないのですが、そういわれてみると、思い当たる点がいくつかありました。
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