駒大苫小牧高校の今回の事件については、昨夏の甲子園大会で2連覇を達成したチームだけに、マスコミの取り上げ方も「普通の高校」とはちょっと違うようです。
駒大苫小牧高校の3年生が卒業式の日に居酒屋で飲酒をし、喫煙もしていた。その中に、優勝チームのメンバーも含まれていたことから、事件が発覚した翌日には校長がセンバツの出場辞退を発表しました。この種の事件にしては異常なまでの迅速な措置。校長が会見で「二度目は言い訳はきかない」と語っていたように、その背景には、昨年に起きた当時の野球部長の暴力問題があったようです。
いつものように、世間の反応は二つに分かれています。センバツに出場する1、2年生には罪はないのにかわいそうという同情論と、野球部として、あるいは学校としての責任は当然問われてしかるべきという連帯責任論。
連帯責任。軍隊的な匂いのするこの言葉は、野球部に限らず、学校の部活動に常について回ります。1人の罪はみんなの罪。犯した罪に対する責任(罰)は全員で背負わなければならない…。団体スポーツの基本はチームワークだとよく言われます。日常的にチームワークがしっかり取れていないと、試合でチームワークは発揮できない、とも言われます。だから、連帯責任が叫ばれます。ミスをするな、1人のミスがみんなの足を引っ張るのだ。プレー以外の場でも同じ。決してミスをするな、みんなに迷惑をかけることになる。
実に後ろ向きの考え方です。逆のことを考えてみましょう。チームの1人の選手がとてもいいプレーをした、だからチーム全員を褒めてあげましょう。…ということはあり得ません。1人が試合後の帰り道で人命救助をした、これはいいことだからチーム全員を表彰します、とは決してなりませんね。連帯責任の「責任」とはあくまでもマイナスの意味の責任なのです。
そんな「連帯責任」がいまだにまかり通る高校スポーツ界(あるいは高校野球界)っていったい何なのでしょう。「教育」という名を借りつつ、結局は大人の都合だけで動いているような気がしてなりません。
確かに、飲酒に与した3年生部員の自覚のなさはあきれてモノも言えない。憶測で言いますが、もし仮に「みんなやってるのにどうして自分だけ…」なんて少しでも考えているとしたら、全く処置なし。もちろんそんなことはないだろうし、チームに迷惑をかけたことを十分反省しているとは思いますが、「連帯責任」のためにチームがセンバツに出場できなくなったから反省する、というのでは困ると思うのです。高校生の分際で、居酒屋で平気で酒を飲んでいた、そのこと自体を深く反省すべきだと私は想います。
それから、高校生の飲酒を許す大人の責任も問われるでしょう。「飲酒・喫煙は20歳から」という法律があるのは当然意味があるはずです。「高校生が酒を飲んで酔っぱらって、その結果生じる社会的な責任を担うことはできない。だから高校生には飲酒の権利を与えない」ということだと思うのですが、そういうことがまるでなし崩しにされています。先日の「東急イン」の社長のような会見は、同じ大人として恥ずかしい限りです。たまにはルールを守らなくてもいい、なんて大人が子どもに言えることでしょうか?
いったい、「けじめ」という美徳はどこに行ってしまったのでしょうか。高校生から金をもらって酒を飲ませる店が存在することに強い憤りを感じます。高校生とは思わなかったと開き直るくらいなら、それらしき若者には学生証なり身分証明証なりを提示させるべきです。
センバツに出られなくてかわいそうだから、ではなくて、「権利と責任」という視点から、今回の事件を考えてみることが必要なのではないでしょうか。
ただ、今回の事件で監督も辞任することになり、1、2年生部員はむしろそっちの方にショックを受けている、というのは、本当にかわいそうです。
駒大苫小牧高校の3年生が卒業式の日に居酒屋で飲酒をし、喫煙もしていた。その中に、優勝チームのメンバーも含まれていたことから、事件が発覚した翌日には校長がセンバツの出場辞退を発表しました。この種の事件にしては異常なまでの迅速な措置。校長が会見で「二度目は言い訳はきかない」と語っていたように、その背景には、昨年に起きた当時の野球部長の暴力問題があったようです。
いつものように、世間の反応は二つに分かれています。センバツに出場する1、2年生には罪はないのにかわいそうという同情論と、野球部として、あるいは学校としての責任は当然問われてしかるべきという連帯責任論。
連帯責任。軍隊的な匂いのするこの言葉は、野球部に限らず、学校の部活動に常について回ります。1人の罪はみんなの罪。犯した罪に対する責任(罰)は全員で背負わなければならない…。団体スポーツの基本はチームワークだとよく言われます。日常的にチームワークがしっかり取れていないと、試合でチームワークは発揮できない、とも言われます。だから、連帯責任が叫ばれます。ミスをするな、1人のミスがみんなの足を引っ張るのだ。プレー以外の場でも同じ。決してミスをするな、みんなに迷惑をかけることになる。
実に後ろ向きの考え方です。逆のことを考えてみましょう。チームの1人の選手がとてもいいプレーをした、だからチーム全員を褒めてあげましょう。…ということはあり得ません。1人が試合後の帰り道で人命救助をした、これはいいことだからチーム全員を表彰します、とは決してなりませんね。連帯責任の「責任」とはあくまでもマイナスの意味の責任なのです。
そんな「連帯責任」がいまだにまかり通る高校スポーツ界(あるいは高校野球界)っていったい何なのでしょう。「教育」という名を借りつつ、結局は大人の都合だけで動いているような気がしてなりません。
確かに、飲酒に与した3年生部員の自覚のなさはあきれてモノも言えない。憶測で言いますが、もし仮に「みんなやってるのにどうして自分だけ…」なんて少しでも考えているとしたら、全く処置なし。もちろんそんなことはないだろうし、チームに迷惑をかけたことを十分反省しているとは思いますが、「連帯責任」のためにチームがセンバツに出場できなくなったから反省する、というのでは困ると思うのです。高校生の分際で、居酒屋で平気で酒を飲んでいた、そのこと自体を深く反省すべきだと私は想います。
それから、高校生の飲酒を許す大人の責任も問われるでしょう。「飲酒・喫煙は20歳から」という法律があるのは当然意味があるはずです。「高校生が酒を飲んで酔っぱらって、その結果生じる社会的な責任を担うことはできない。だから高校生には飲酒の権利を与えない」ということだと思うのですが、そういうことがまるでなし崩しにされています。先日の「東急イン」の社長のような会見は、同じ大人として恥ずかしい限りです。たまにはルールを守らなくてもいい、なんて大人が子どもに言えることでしょうか?
いったい、「けじめ」という美徳はどこに行ってしまったのでしょうか。高校生から金をもらって酒を飲ませる店が存在することに強い憤りを感じます。高校生とは思わなかったと開き直るくらいなら、それらしき若者には学生証なり身分証明証なりを提示させるべきです。
センバツに出られなくてかわいそうだから、ではなくて、「権利と責任」という視点から、今回の事件を考えてみることが必要なのではないでしょうか。
ただ、今回の事件で監督も辞任することになり、1、2年生部員はむしろそっちの方にショックを受けている、というのは、本当にかわいそうです。
世の中、儲け主義に走るばかりで、子供に対する愛情が欠落しているように思います。
コメントありがとうございました。
本当に、お金とか見栄ばかりが美徳とされる社会になってしまったような気がしていやですね。子どもが子どもが、という前に大人がまず襟を正したい。世の中そんなきれいごとばかりじゃない、と言い放つのは、大人の役割なんかじゃないと思います。