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オリンピックの話◆第8話 マラソンの距離とフェイディピデスの美談

2004-08-19 | └オリンピックの話
マラソンの距離42.195kmは、なぜこんなに中途半端な数字なのでしょうか。

ちなみにマイルに換算してみても、26.22436マイルとこちらも切りのいい数字ではありません。じゃきっと、例の古代の「マラトン」にまつわる故事に由来しているのかと思いますが、どうもそうでもないらしい。

マラトンにまつわる故事というのは、古代のペルシア戦争の際の話です。紀元前490年、エーゲ海をはさんでギリシア世界と対峙するアケメネス朝ペルシアのダレイオス1世がギリシアに大軍を送り込んできました。ペルシア軍が上陸したのはアテネの北東に位置するマラトン。ミルティアデス率いるアテネの重装歩兵軍はこれを迎え撃ち、撃破します。

この勝利の知らせをアテネに伝えるため、伝令フェイディピデスがマラトンから36.75kmを走り抜き、「勝った」と叫ぶなりばったり倒れ、そのまま息絶えた…。

この話はローマ時代のプルタルコスの「英雄伝」などに出てくるだけで、事実かどうかはあやしいとされていますが、第1回近代オリンピック大会がアテネで開催される際、この伝説にちなんで、マラトン─アテネ間で長距離レースが行われることになったのです。これが現在のマラソン競技のもとになります。

問題の距離ですが、現在の42.195kmが正式に採用されたのは、第8回パリ大会(1924年)からであり、それまでは、約40kmという曖昧なものでした。この中途半端な数字の基準となったのは、第4回ロンドン大会(1908年)の時の距離です。

この時のマラソン競技は、国王の住むウィンザー宮殿とシェファードブッシュ競技場を結ぶコースで行われましたが、当時のイギリスの王女の要望で、スタート地点が宮殿の庭の育児室の前に、またゴールは競技場のロイヤルボックス前に設定されました。その時の距離が42.195kmだったということなのです。

しかし、その後の3回のオリンピックではまた「約40km」に戻り、第8回になってなぜロンドン大会の時の距離が採用されたのかははっきりとしないようです。

ペルシア戦争でペルシアを破ったアテネの重装歩兵軍は、アテネ市民の志願兵から成っていました。また、海戦でも当時の軍艦である「三段櫂船」の漕ぎ手として無産市民さえ勝利に貢献するようになります。戦争で活躍することによって、彼らの政治的な発言権も増し、成人男子市民による直接民主政が花開いていくことになるのです。

もしかしたら、名もない一兵士フェイディピデスの美談も、このようなアテネ民主政の発展の中で作られたものなのかもしれません。

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