H.G.ウェルズの原作も映画のタイトルもそうですが、英語の原題は"The War of the Worlds"なのですね。直訳すれば「世界と世界との戦争」。地球世界と宇宙のどこかの別世界との戦い、という意味でしょうか。
「宇宙戦争」という映画は、既に1952年に製作されています。監督バイロン・ハスキン、主演はジーン・バリー。今回のスピルバーグ版はそのリメイクということになります。
どちらも舞台を米国に移し、また物語としては、原作にない主人公を新たに設定して独自のストーリーを作り出しています。ハスキン版では、ジーン・バリー扮する科学者フォレスター博士、スピルバーグ版ではバツイチの港湾労働者レイ・フェリアー(トム・クルーズ)。決定的に異なるのは、前者が原作どおり「火星人の襲来」なのに対し、後者はさすがに現実的でない「火星人」ではなく、どこかの異星人による地球侵略としていることです。
フォレスターは、火星人の着陸現場で知り合った女性シルビア(アン・ロビンスン)とともに、科学者として火星人の襲来に対抗しようとします。火星人から奪った金属と血液を分析して彼らを撃退する手がかりをつかもうとするのですが、暴徒と課した市民に研究機材を積んだトラックを襲われ、万事休す。一方、レイは別れて暮らす二人の子どもを守るため異星人の攻撃から必死で逃れます。しかし、乗っていた車をやはり暴徒化した人々に奪われてしまう。「外」からの襲撃を受け、絶望の中で略奪や暴行に走ってしまう「一般市民」の描き方は共通しています。
スピルバーグ版でティム・ロビンス演じるオグルビーに誘われてレイ親子が逃げ込む農家が出てきます。「トライポッド」からニョキニョキ出てきた触覚が家にするすると入ってきて、まるで蛇のように家の中を探索する。もっともドキドキするシーンです。ハスキン版でもフォレスター博士とシルヴィアが逃げ込む家で全く同じようなシーンが出てきます。緊迫感はもちろんスピルバーグ版にはかないませんが。
ハスキン版では、火星人に対する反撃として「原子爆弾」が使われるのですが、これには時代を感じます。この映画が作られた1952年といえば、広島と長崎に原爆が落とされてからまだ7年しかたっていません。米ソの核兵器開発競争が始まる一方、この年にはイギリスが初の核実験に成功しています。「最終兵器」としての原子爆弾がこの映画では火星人に対して使われるのです。軍の幹部が「放射能の影響は気になるが…」と言いつつも、いとも簡単にロサンゼルス郊外での原爆の使用を決断します。今考えると恐ろしいことです。もっとも、火星人が操る宇宙船は強力な電磁バリアのおかげで、原爆にさえビクともしないのですが。これまた非現実的かも。
結末は触れないでおきますが、どちらの映画も原作に忠実です。H.G.ウェルズが「神がその英知により地上にもたらした、もっとも謙虚なものの手で殺された」と記したように、地球外生物は息絶えていきます。圧倒的な「力」で支配しようとするものに対して有効なのは「力」だけではないということ、そして、そもそも地球の支配者は人間だけではないということを改めて感じます。
『宇宙戦争』>>Amazon.co.jp
「宇宙戦争」という映画は、既に1952年に製作されています。監督バイロン・ハスキン、主演はジーン・バリー。今回のスピルバーグ版はそのリメイクということになります。
どちらも舞台を米国に移し、また物語としては、原作にない主人公を新たに設定して独自のストーリーを作り出しています。ハスキン版では、ジーン・バリー扮する科学者フォレスター博士、スピルバーグ版ではバツイチの港湾労働者レイ・フェリアー(トム・クルーズ)。決定的に異なるのは、前者が原作どおり「火星人の襲来」なのに対し、後者はさすがに現実的でない「火星人」ではなく、どこかの異星人による地球侵略としていることです。
フォレスターは、火星人の着陸現場で知り合った女性シルビア(アン・ロビンスン)とともに、科学者として火星人の襲来に対抗しようとします。火星人から奪った金属と血液を分析して彼らを撃退する手がかりをつかもうとするのですが、暴徒と課した市民に研究機材を積んだトラックを襲われ、万事休す。一方、レイは別れて暮らす二人の子どもを守るため異星人の攻撃から必死で逃れます。しかし、乗っていた車をやはり暴徒化した人々に奪われてしまう。「外」からの襲撃を受け、絶望の中で略奪や暴行に走ってしまう「一般市民」の描き方は共通しています。
スピルバーグ版でティム・ロビンス演じるオグルビーに誘われてレイ親子が逃げ込む農家が出てきます。「トライポッド」からニョキニョキ出てきた触覚が家にするすると入ってきて、まるで蛇のように家の中を探索する。もっともドキドキするシーンです。ハスキン版でもフォレスター博士とシルヴィアが逃げ込む家で全く同じようなシーンが出てきます。緊迫感はもちろんスピルバーグ版にはかないませんが。
ハスキン版では、火星人に対する反撃として「原子爆弾」が使われるのですが、これには時代を感じます。この映画が作られた1952年といえば、広島と長崎に原爆が落とされてからまだ7年しかたっていません。米ソの核兵器開発競争が始まる一方、この年にはイギリスが初の核実験に成功しています。「最終兵器」としての原子爆弾がこの映画では火星人に対して使われるのです。軍の幹部が「放射能の影響は気になるが…」と言いつつも、いとも簡単にロサンゼルス郊外での原爆の使用を決断します。今考えると恐ろしいことです。もっとも、火星人が操る宇宙船は強力な電磁バリアのおかげで、原爆にさえビクともしないのですが。これまた非現実的かも。
結末は触れないでおきますが、どちらの映画も原作に忠実です。H.G.ウェルズが「神がその英知により地上にもたらした、もっとも謙虚なものの手で殺された」と記したように、地球外生物は息絶えていきます。圧倒的な「力」で支配しようとするものに対して有効なのは「力」だけではないということ、そして、そもそも地球の支配者は人間だけではないということを改めて感じます。
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私もまず、題名にひっかかったんです。
まだ昔の作品も原作も読んでないですが、スピルバーグが描いた無機質なキャラクター像や惨殺の表現、そして結末を見て、題名に戻りました。
「日々」あることですよね。
風邪ひいたってことだと思います。
自分のサイズで計ったモノの見方は、時には視野を狭める・・・そして全てが何かに属するone of themである・・・。属性外物への恐怖より、属するものの役割と儚さを感じました。
あえてキャスティングをトムクルーズやダコタファニングにしたのがまたミソなのかも・・と深読みは続く一方です・・。
奥深いコメントありがとうございます。
この映画、いろんな角度からいろんな見方ができるようですね。私なりの見方を今日UPしましたので読んでいただければうれしいです。
そもそものタイトルこそもっとも奥深いのかも。つけられたのは100年以上も前ですよ!