カクレマショウ

やっぴBLOG

「21グラム」─もしかして“はなむけ”の重さかも。

2007-11-08 | ■映画
124分/2003年/米国
原題:21 Grams
監督 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
製作総指揮 テッド・ホープ
脚本 ギレルモ・アリアガ
出演 ポール・リヴァース/ショーン・ペン クリスティーナ・ペック/ナオミ・ワッツ
ジャック・ジョーダン/ベニチオ・デル・トロ メアリー・リヴァース/シャルロット・ゲンズブール

最近ちょっと流行りの「量るだけダイエット」は、できれば50g単位で計測できる体重計がのぞましい、らしい。朝と夜できるだけ正確な体重の変化を記録することが肝心なのだそうです。人間の体重を量るのに、回転寿司の一皿分の寿司の重さしかない50gの差なんてどんな意味があるのだろうと思いますが、チリも積もれば山となる、で、たとえば1日50gずつ体重が減ったとしても、3ヶ月たてば5kg減量になるわけか。体重が「減る」ことをウソのない数字で明示することで、ダイエットしていることを実感させる!というのがこのダイエット法のウリなんでしょうね。実際、電器店に行くとその手の体重計がたくさん出回っているので、それなりに需要はあるのでしょう。

で、「21グラム」というのは、人間の「魂の重さ」(!)。1907年、米国・マサチューセッツの医師、ダンカン・マクドゥーガルが行った実験で、人間が死んだ直後、4分の3オンス(約21.3g)だけ体重が減ることがわかったという。6人の患者での実験の結果なんだとか。50gの精度の体重計だってすごいと思うのですが、彼が用いたのは、10分の2オンス(約5.6g)の精度をもつはかりにのせたベッドだそうです。…なんとなくあやしい感じ…。15匹の犬でも実験しているそうですが、犬には体重変化が見られなかったと言い、これはまさしく人間だけが「魂」を持っている証拠だ!と彼は主張します。かくして、半ばオカルティックな数字「21g」は、「魂の重さ」として一人歩きしていくのです。

この映画のタイトルと、内容はそれほどリンクするものではありません。人がベッドの上で死ぬわけでもないし、「21g」ぶんの「魂」がゆらゆらと(?)天に昇っていくシーンがあるわけでももちろんない。

バベル」のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥの作品ですが、こっちの方が「バベル」より数段いい。ジグソーパズルのように、場面場面が時制を越えて入り乱れて積み重ねられていくので、そのスタイルに慣れるまで、少し時間がかかるかもしれません。

クリスティーナ(ナオミ・ワッツ)がセミナーかなんかで夫と子どもたちへの愛を生き生きと語るシーンと、夫の死後、やつれた表情で麻薬を吸うシーン。ジャック(ベニチオ・デル・トロ)が過去の犯罪歴と神への信仰心の狭間で悩みながらも必死に若者に神の愛を説くシーンと、「また戻ってきたのか」という声とともに刑務所に収監されるシーン。心臓移植手術を受けたポール(ショーン・ペン)がベッドに横渡るシーンと、廃墟で銃を手に呆然と座り込むシーン…。

こうした「前後」のシーンがそれぞれ続けざまに出てくるのだから、整理するのが本当に大変です。あれ、なんでショーン・ペンとナオミ・ワッツが一緒のクルマに乗ってんだろう?とか、無精髭を生やしてベッドの上で憔悴していたはずのショーン・ペンが、こぎれいな格好してどうして町を歩いているんだろう?とか。でも、そういう積み重ねに慣れる中盤あたりになると、逆に、このシーンはいったいどこにつながるんだろう?というワクワク感さえ感じるようになります。

本編が曲がりなりにも進んでいって、時折未来や過去のシーンが挿入されるという手法はよくあるパターンですが、この映画の場合、どっちが「挿入部分」なのか、まったく区別はつかない。一見すると、脈絡もなくつないでいるようにも思えます。二度三度と見ているうちに、実はその「つなげ方」が完璧だということに気づく。

そう、この映画は、二度目三度目に見た方がその「深さ」を味わえるタイプの映画。ナオミ・ワッツ、ベニチオ・デル・トロ、そしてショーン・ペンと、名優たちの演技にも支えられ、重厚な趣に仕上がっています。極力抑えた音楽もいい。

さて、日本人は、精神的な意味の「心」という場合と、臓器としての「心臓」は別の言葉として使い分けます。「心が痛い」と言っても、「心臓が痛い」わけではない。ところが、英語ではどちらも"heart"(ハート)なのです。その"heart"をドナー(臓器提供者)から移植されたポールは、この「心臓」はいったい誰の「心」だったのか、と思う。その気持ちはわからないでもない。クリスティーナとの出会いは、ポールの、禁じられているはずの“ドナー探し”の結果ですが、言いようによっては、彼女の夫の"heart"が結びつけた、とも取れます。それは物理的には「心臓」ですが、それだけではないのかも。それだけでないからこそ、臓器を提供した人と提供された人が接触することを禁じているのかもしれません。

死によって失われる体重が「21グラム」だとすれば、それは「魂の重さ」なんかではなく、きっと、残された者たちへの「はなむけの重さ」なのです。クリスティーナの夫が残した「21グラム」は、クリスティーナ、ポール、ジャックの3人にとっては、ことのほか重いものになったようです。でも、3人はそれぞれに、それを背負って生きていかなければならない。

──「人生は続くのよ 神に関係なく」

「21グラム」≫Amazon.co.jp

 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿