定期人事異動で職場が変わることになりました。といっても、もともといたところに出戻るだけですけど。
この3年間、ひたすら「キャリア教育」と向き合う日々でした。いろんな人の話を聞き、議論し、本や報告書を読み、新聞記事からネタを拾い上げたりする中で、キャリア教育の可能性に否応なく気づかされる一方で、キャリア教育がまだまだ多くの人に誤解されてとらえられていることもだんだんわかってきました。
キャリア教育こそ本当の「教育」だと、今ははっきり言えます。いや、こういう言い方をするから誤解されるのかもしれませんね。正しくは、「キャリア教育の視点」で子どもたちの教育に携わることがとても大事、ということです。私も、元々は教師の端くれ。教壇に立っていた時にキャリア教育の考え方や手法を知っていたら…と思うと、それがちょっとくやしい。世界史の授業だって、もっと別のやり方があったはず…と今つくづく思います。
ただ、キャリア教育は、「学校の先生」だけではできないのです。キャリア教育の一番のポイントは、「学校の先生以外」の大人が子どもたちの教育に関わることが絶対に必要だという点です。
もちろん、「キャリア教育の視点」でふだんの授業をすることは大切です。数学の授業だって、ただ公式を覚えさせて計算間違いしないように訓練するだけが数学ではないでしょう。何のために数学を学ぶのか、東野圭吾『容疑者Xの献身』に出てきたように、「入口」を示すことが大事という考えもあるでしょうし、「筋道を立てて考えること」が社会に出ていかに求められるか、という攻め方でもいいでしょう。いずれにしても、「大人になった時に、どんなことに役立つから数学を学ぶのか」ということを、すべての数学の教員が常に生徒に言い続けることが必要だと思います。それが「キャリア教育の視点」ということです。
ただ、それだけでは私は足りないと思っています。年に何度かでいいから、先生以外の大人、いろんな仕事をしている大人にきちんと話をしてもらったり、仕事を体験させてもらう機会がなければならない。「ねばならない」のです。でなければ、今の教育をめぐる現状は何も変わらない。
…つい、ちょっと大きなことを言いました。すいません。でも、学校が学校の中だけで子どもたちを教育する、という考え方や仕組みが変わらない限り、私は何も変わらないと思っています。教員の意識もそうだし、保護者や大人の考え方も全部です。文字通り、「地域で子どもを育てる」とか「社会全体で次の世代を育てる」ということをみんなが共有しないことには!
キャリア教育は、実はそのためにあると言ってもいいでしょう。「学校の先生でもない」大人が子どもたちの教育に関わるための手段として、キャリア教育がある。大人は誰だって、子どもたちの教育に関わる権利があるし、その術も持っています。今自分がしている仕事について子どもたちに教えること、これまでの生き方、成功体験、失敗談を伝えること。そういう「大人モデル」はできるだけたくさんあった方がいいし、多様であればなおいい。
最近になって、ようやく気づいたことがあります。それは、キャリア教育って、「子どもたちが大人になった時の姿を想像すること」から始まるのではないかということ。たとえば、前にこのブログでも紹介した品川女子学院の漆柴穂子校長の言う「"28歳"が学校教育の目標」。高校卒業してから10年後にどんな生き方をしているかで学校教育の価値が問われるという。また、仙台市教育委員会は、仙台版キャリア教育として、「自分づくり教育」を教育施策のトップに掲げていますが、その目標も「25歳」に置いています。つまり、中学校を出て10年後。
28歳の姿、25歳の姿。それを子どもたち自身が想像し、周りの大人も想像してみる。そこからスタートするのがキャリア教育なのではないでしょうか。
「創造力」が大事とよく言いますが、「創造」は実は「想像」することから生まれるのだと思います。つまり、創造力のもとになるのは「想像力」なのです。自分の将来を想像してみる。その時、周りのいろんな大人の生き方がものすごく参考になるはずですね。
部署は変わりますが、キャリア教育からは、もはや離れられないと思っています。自分の実践も含めて、これからも「追っかけ」していきます。
この3年間、ひたすら「キャリア教育」と向き合う日々でした。いろんな人の話を聞き、議論し、本や報告書を読み、新聞記事からネタを拾い上げたりする中で、キャリア教育の可能性に否応なく気づかされる一方で、キャリア教育がまだまだ多くの人に誤解されてとらえられていることもだんだんわかってきました。
キャリア教育こそ本当の「教育」だと、今ははっきり言えます。いや、こういう言い方をするから誤解されるのかもしれませんね。正しくは、「キャリア教育の視点」で子どもたちの教育に携わることがとても大事、ということです。私も、元々は教師の端くれ。教壇に立っていた時にキャリア教育の考え方や手法を知っていたら…と思うと、それがちょっとくやしい。世界史の授業だって、もっと別のやり方があったはず…と今つくづく思います。
ただ、キャリア教育は、「学校の先生」だけではできないのです。キャリア教育の一番のポイントは、「学校の先生以外」の大人が子どもたちの教育に関わることが絶対に必要だという点です。
もちろん、「キャリア教育の視点」でふだんの授業をすることは大切です。数学の授業だって、ただ公式を覚えさせて計算間違いしないように訓練するだけが数学ではないでしょう。何のために数学を学ぶのか、東野圭吾『容疑者Xの献身』に出てきたように、「入口」を示すことが大事という考えもあるでしょうし、「筋道を立てて考えること」が社会に出ていかに求められるか、という攻め方でもいいでしょう。いずれにしても、「大人になった時に、どんなことに役立つから数学を学ぶのか」ということを、すべての数学の教員が常に生徒に言い続けることが必要だと思います。それが「キャリア教育の視点」ということです。
ただ、それだけでは私は足りないと思っています。年に何度かでいいから、先生以外の大人、いろんな仕事をしている大人にきちんと話をしてもらったり、仕事を体験させてもらう機会がなければならない。「ねばならない」のです。でなければ、今の教育をめぐる現状は何も変わらない。
…つい、ちょっと大きなことを言いました。すいません。でも、学校が学校の中だけで子どもたちを教育する、という考え方や仕組みが変わらない限り、私は何も変わらないと思っています。教員の意識もそうだし、保護者や大人の考え方も全部です。文字通り、「地域で子どもを育てる」とか「社会全体で次の世代を育てる」ということをみんなが共有しないことには!
キャリア教育は、実はそのためにあると言ってもいいでしょう。「学校の先生でもない」大人が子どもたちの教育に関わるための手段として、キャリア教育がある。大人は誰だって、子どもたちの教育に関わる権利があるし、その術も持っています。今自分がしている仕事について子どもたちに教えること、これまでの生き方、成功体験、失敗談を伝えること。そういう「大人モデル」はできるだけたくさんあった方がいいし、多様であればなおいい。
最近になって、ようやく気づいたことがあります。それは、キャリア教育って、「子どもたちが大人になった時の姿を想像すること」から始まるのではないかということ。たとえば、前にこのブログでも紹介した品川女子学院の漆柴穂子校長の言う「"28歳"が学校教育の目標」。高校卒業してから10年後にどんな生き方をしているかで学校教育の価値が問われるという。また、仙台市教育委員会は、仙台版キャリア教育として、「自分づくり教育」を教育施策のトップに掲げていますが、その目標も「25歳」に置いています。つまり、中学校を出て10年後。
28歳の姿、25歳の姿。それを子どもたち自身が想像し、周りの大人も想像してみる。そこからスタートするのがキャリア教育なのではないでしょうか。
「創造力」が大事とよく言いますが、「創造」は実は「想像」することから生まれるのだと思います。つまり、創造力のもとになるのは「想像力」なのです。自分の将来を想像してみる。その時、周りのいろんな大人の生き方がものすごく参考になるはずですね。
部署は変わりますが、キャリア教育からは、もはや離れられないと思っています。自分の実践も含めて、これからも「追っかけ」していきます。
とはいえ、戻る場所は徹底的に箱の中から出た事のない人々の職場。管理人様が体験し会得した内容が伝わるかどうか、と感じます。
とはいえ、その部署も箱の外と中は違うと認識し、血を入れようと色々取り組んでいる様子。
今までの経験を生かす事も出来るかと思います。
力を入れ過ぎると周りが見えなくなるので、適度に頑張ってください。
応援しております。
子どもたちには体験が大事と言いながら、肝心の大人が自分では何も体験しようとしないんじゃあ困りますよね。「外」で体験したこと、得たことを「内」でどうアレンジしていくか、そのバランスに気をつけていきたいと思っています。
社会教育、生涯学習で迷っていたところこのサイトにたどり着きました。
公民館が廃止になり、○○センターと名称を変えて、地域住民の自主運営になり、私はその生涯学習(社会教育ではなく)部門の事務局をしております。
毎年替わる運営委員さんと、組織の方針のなかで、事業をどうすすめるか苦悩しております。
いろいろと参考になる内容がありましたので、よろしくご指導ください。
はじめまして。
コメントありがとうございます。
1 「生涯学習」は理念で「社会教育」こそ本質である。
2 社会教育は、住民主導が本来であり、決して社会教育=社会教育行政ではない。
と私は思っています。
そうなると、おのずと社会教育行政職員の役割も決まってくるのではないかと思っています。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。