今回は、上巻の最後から下巻にまたがって描かれる「ナーディル 1850-1853年」の章を取り上げます。
舞台はペルシアに飛びます。1850年、絶対的な権力を持つシャー(国王)は、警察長官ナーディルを宮廷に呼び出すと、彼にこんな命令を下しました。
「では、あれは本当なんだな? 神のように歌い、想像もできないような不思議なことをして見せる驚異の奇術師が存在するというのは。太后がさぞお喜びになられるだろう。かねて、それほどの芸をニジノ・ノブゴロド(訳注・現ゴーリキー市)などで見せていてはもったいないとおっしゃっておられる。その男をすぐここへ連れてまいれ。太后の御旨じゃ」(訳・北條元子)
「驚異の奇術師」とはもちろんエリックのことです。ローマで悲劇的な事故を引き起こしたエリックは、4年間の空白を経て、なぜかロシアで奇術師として生きる糧を得ていました。世にも不思議な仮面の奇術師の名は、遠くペルシアの宮廷にまでとどろいていたのです。
当時のペルシア(イラン)はカージャール朝(1796-1925)が支配していました。『ファントム』には名前こそ出てきませんが、「シャー」というのは、ナーセルッディン・シャー(位1848-1896)のことだと思われます。彼は、ペルシアの栄光の最後の担い手と言われていますが、ちょうど彼が即位した頃から、ペルシアは、イギリスとロシアの帝国主義列強の侵略に直面することになるのです。イギリスは、鉄道の建設、油田の開発といった権利を獲得し、経済的にペルシアの首をじわりじわりと締め上げていきます。対するロシアも、国境を接していることを利用して、中央アジアの都市を次々と支配下に入れるとともに、カスピ海の漁業権の獲得、ロシア将校指揮によるコサック連隊の導入など、あの手この手でペルシアに圧力をかけていました。
加えて、ペルシア内部では宗教暴動の嵐が吹き荒れ、イスラム教シーア派の新しい宗派バーブ教による反乱が虐殺によって鎮圧されたのは、ナーセルッディーンが即位して2年後のことでした。警察長官であるナーディルがシャーの呼び出しを受けたのは、ちょうどその混乱の直後だったのです。
シャーの気まぐれな命令にあらがうことなどできるはずもなく、ナーディルは病気の息子を残してロシアに向かいます。そして、ニジノ・ノブゴロドの町で奇術師と出会うことになるのです。19歳のエリックとの運命の出会いでした。
最初は居丈高にペルシアからの使者に対していたエリックですが、結局、ペルシアに同行することを承諾します。そうさせたのは、富への渇望か、あるいは権力への好奇心だったのか。エリックは、こんな片田舎で自分の才能を埋もれさせるわけにはいかないと思っていたことは確かだと思います。もっと自分の才能を認めさせたい、「醜い顔」ではなく、「自分の才能」で人々を注目させたい…。そんな思いがペルシア宮廷への招きに答えさせたのではないでしょうか。
エリックの傍若無人ぶりはペルシア宮廷でも変わることはありませんでした。そんなエリックに反発する人物として宰相ミルザ・タキ・カーンという人物が出てきますが、これも実在の人物です。シャーの妹を妻とし、シャーに継ぐ権力をほしいままにした人物です。イギリス、ロシアの経済的侵略にさらされながらもペルシアの近代化に貢献した宰相としてその名前を歴史に残しています。
エリックのペルシアでのエピソードについては、ここでは触れないでおきます。ただ、彼の様々な才能はペルシア宮廷の庇護により、さらに円熟味を増したと言えるでしょう。ここで磨き上げた技術やアイディアが、のちの「オペラ座」で生きることになるのです。
彼の才能を認めながらも、結局、彼を亡きものにしようとしたナーセルッディーン・シャーは、史実では、1896年5月1日、テヘラン郊外で暗殺されます。犯人は、レザー・ケルマーニーという男。彼は、欧米列強との対決を主張する「パン・イスラミズム」の旗手アフガーニーの弟子でした。
舞台はペルシアに飛びます。1850年、絶対的な権力を持つシャー(国王)は、警察長官ナーディルを宮廷に呼び出すと、彼にこんな命令を下しました。
「では、あれは本当なんだな? 神のように歌い、想像もできないような不思議なことをして見せる驚異の奇術師が存在するというのは。太后がさぞお喜びになられるだろう。かねて、それほどの芸をニジノ・ノブゴロド(訳注・現ゴーリキー市)などで見せていてはもったいないとおっしゃっておられる。その男をすぐここへ連れてまいれ。太后の御旨じゃ」(訳・北條元子)
「驚異の奇術師」とはもちろんエリックのことです。ローマで悲劇的な事故を引き起こしたエリックは、4年間の空白を経て、なぜかロシアで奇術師として生きる糧を得ていました。世にも不思議な仮面の奇術師の名は、遠くペルシアの宮廷にまでとどろいていたのです。
当時のペルシア(イラン)はカージャール朝(1796-1925)が支配していました。『ファントム』には名前こそ出てきませんが、「シャー」というのは、ナーセルッディン・シャー(位1848-1896)のことだと思われます。彼は、ペルシアの栄光の最後の担い手と言われていますが、ちょうど彼が即位した頃から、ペルシアは、イギリスとロシアの帝国主義列強の侵略に直面することになるのです。イギリスは、鉄道の建設、油田の開発といった権利を獲得し、経済的にペルシアの首をじわりじわりと締め上げていきます。対するロシアも、国境を接していることを利用して、中央アジアの都市を次々と支配下に入れるとともに、カスピ海の漁業権の獲得、ロシア将校指揮によるコサック連隊の導入など、あの手この手でペルシアに圧力をかけていました。
加えて、ペルシア内部では宗教暴動の嵐が吹き荒れ、イスラム教シーア派の新しい宗派バーブ教による反乱が虐殺によって鎮圧されたのは、ナーセルッディーンが即位して2年後のことでした。警察長官であるナーディルがシャーの呼び出しを受けたのは、ちょうどその混乱の直後だったのです。
シャーの気まぐれな命令にあらがうことなどできるはずもなく、ナーディルは病気の息子を残してロシアに向かいます。そして、ニジノ・ノブゴロドの町で奇術師と出会うことになるのです。19歳のエリックとの運命の出会いでした。
最初は居丈高にペルシアからの使者に対していたエリックですが、結局、ペルシアに同行することを承諾します。そうさせたのは、富への渇望か、あるいは権力への好奇心だったのか。エリックは、こんな片田舎で自分の才能を埋もれさせるわけにはいかないと思っていたことは確かだと思います。もっと自分の才能を認めさせたい、「醜い顔」ではなく、「自分の才能」で人々を注目させたい…。そんな思いがペルシア宮廷への招きに答えさせたのではないでしょうか。
エリックの傍若無人ぶりはペルシア宮廷でも変わることはありませんでした。そんなエリックに反発する人物として宰相ミルザ・タキ・カーンという人物が出てきますが、これも実在の人物です。シャーの妹を妻とし、シャーに継ぐ権力をほしいままにした人物です。イギリス、ロシアの経済的侵略にさらされながらもペルシアの近代化に貢献した宰相としてその名前を歴史に残しています。
エリックのペルシアでのエピソードについては、ここでは触れないでおきます。ただ、彼の様々な才能はペルシア宮廷の庇護により、さらに円熟味を増したと言えるでしょう。ここで磨き上げた技術やアイディアが、のちの「オペラ座」で生きることになるのです。
彼の才能を認めながらも、結局、彼を亡きものにしようとしたナーセルッディーン・シャーは、史実では、1896年5月1日、テヘラン郊外で暗殺されます。犯人は、レザー・ケルマーニーという男。彼は、欧米列強との対決を主張する「パン・イスラミズム」の旗手アフガーニーの弟子でした。
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